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A Few Facts About EmArcy Label, Pt.1 (Page 2 of 3)
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Down Beat Magazine, Mar. 24, 1954私が所有している様々な資料の中で、一番最初に EmArcy について触れているものは、 Down Beat (ダウン・ビート) 誌 (当時は2週間に1回の発行) の 1954年 3月24日号です。 この中で、Mercury の傍系レーベルとして ジャズ専門の EmArcy が発足した、 という記事が掲載されています。 執筆者はあの Nat Hentoff (ナット・ヘントフ) です。 この記事の冒頭は、Bob Shad の紹介にあてられています。 1940年代初頭からスーパーヴァイズ/プロデュースにあたり、 Savoy、Continental、 Manor、Black and White といったレーベルに関わってきた他、自身でも Haven や Sittin' In といったレーベルを設立していたそうです。 また、Charlie Parker (チャーリー・パーカー) や Dizzy Gillespie (ディジー・ガレスピー) とも 親交が深かったことが強調されており、 特に Dizzy が 1945年に Manor レーベルに吹き込んだ録音は、 その1年後の有名な Guild レーベルの録音に さきがけて、ビバップ (記事中では modern sounds) を公式に録音した初期のひとつに数えられる、と記されています。
その後、彼は Miracle / Sunrise レーベルなどで、
主に R&B やゴスペルのプロデュースを行っていた様です。
Miracle / Sunrise レーベル
(および彼自身の Sittin' In レーベル)
については、
R. Pruter、R.L. Campbell 両氏の素晴らしい記事
の中で詳しく述べられています。
さて、Bob Shad はその後 1951年から 1953年まで、Mercury に関わることになります。 この時は、主に R&B やブルースを中心とした黒人音楽のプロデュースを 行っており、一部ジャズのスーパーヴァイズもしていたそうです。 この時期の録音で、恐らく Bob Shad が 絡んでいたと思われる録音は、 Memphis Slim (メンフィス・スリム)、 Big Bill Broonzy (ビッグ・ビル・ブルーンジー) (この音源はのちに EmArcy からもリリースされました)、 Robert Lockwood, Jr. (ロバート・ロックウッド・Jr) といったブルース系や The Ravens (レイヴンス)、 Johnny Otis (ジョニー・オーティス) (Ben Webster 参加) といった R&B 系、 更に、のちの EmArcy 時代の録音でもお馴染みの Dinah Washington や Paul Quinichette (ポール・クイニシェット)、 James Moody (ジェームス・ムーディー) といったあたりではないかと思われます (ただこれは裏がとれた情報ではありませんので、鵜呑みにはされませんように)。
なお、のちに
「The Big Tenor」
(EmArcy MG-26006)
にも収録された 1951年12月27日の
Ben Webster (ベン・ウェブスター) セクステットの録音
(Maynard Ferguson (メナード・ファーガソン)、
Benny Carter (ベニー・カーター)
参加)
は、Bob Shad がプロデューサーである旨、
本記事で触れられています。
その後 1953年に Decca に移籍し、 同様のジャンル (R&B) のプロデュースを行ったあと、1954年に Mercury に復帰、やはり R&B 系の 担当もこなしつつ、ジャズ専門の EmArcy レーベルの創設を行った、というわけです。 この記事に引用されている Bob Shad への インタビューの中で興味深いのは、彼が R&B にいかに入れ込んでいたか、 が感じられる部分で、以下その部分を引用します:
Shad はこう強調する。「R&B プロデュースを経験してきたことは、
私のバックグラウンド形成上、重要な要素だと言える。
多くの人は、R&B のイディオムを知らず、見向きもしない。
確かにそういう人達は、Bessie Smith (ベッシー・スミス) のジャズとしての
歴史を知ってはいるが、Lightning Hopkins (ライトニン・ホプキンス) や
Blind Boy Fuller (ブラインド・ボーイ・フラー) や
Leroy Carr (リロイ・カー) や Richard Jones (リチャード・ジョーンズ)
が同様にジャズの観点からみても素晴らしいということに気付いていない。
要するに、私がなんらかの録音をプロデュースする時に一番重要視するのは
- それがジャズであってもブルースであっても - ビートだ。
バラードであろうが、アップテンポであろうが、
スウィングしてなきゃダメなんだ。」
この記事の大半は、設立まもない EmArcy が今後どういった作品のリリースを予定しているか、どういった アーティストと契約をしていくか、について割かれています。 まず最初に触れられているのが「シリーズもののプロジェクト」で、 黒人霊歌、ブルースに始まり、ディキシーランド、スウィング、 そしてモダンジャズへとつらなるジャズの歴史のアンソロジーだと 書かれています。これは、のちに EmArcy の 12インチとして出された「The Jazz Giants」 というシリーズもの (MG-36048 から MG-36055 まで、及び MG-36071) を指していると思われます。 続いて、「ジャズというものは、表現したいものを持っている新しい ミュージシャン達によって進歩してゆくんだ」という、 Shad の発言が引用され、 もっか才能あるミュージシャンを発掘し契約していく予定だと書かれています。 そこでまず触れられているのは Junior Mance (文中では Julian Mance)、 Clark Terry、 Med Flory といった面々です。 ここで Ruppli のディスコグラフィー のうち、1954年初頭のデータを眺めてみると、これらの名前が既に出てきます。 まず Junior Mance (ジュニア・マンス) ですが、 1954年3月にトリオ録音が4曲分行われています。 残念ながら、この時の音源は当時はリリースされず、 のちに日本でリリースされた 「Mercury 40th Anniversary V.S.O.P. Album」 (Mercury [J] 25PJ-58/61) という4枚組ボックスで 2曲が、 残る2曲は非売品のボーナスディスク 「Mercury V.S.O.P. Album II」(Mercury [J] SNP-131) に収録されることで日の目をみました。 なお、Junior Mance が Mercury で初吹込みを行ったのは 1947年のこと、Gene Ammons (ジーン・アモンズ) のサイドマンとしてでした。
Clark Terry (クラーク・テリー) は、
1955年1月にレコーディングされた初リーダーアルバム
「Clark Terry」
(EmArcy MG-36007)
が有名ですが、
実は 1954年2月にもクインテット編成
(Art Blakey 参加)
でレコーディングが行われており、これものちに
「Mercury 40th Anniversary V.S.O.P. Album」
に 2テイクが収録されるまで未発表でした
(本セッションではあと3曲が未発表となっています)。
Clark Terry の
Mercury 初吹込みは 1952年、
Dinah Washington のバックバンドの一員としてでした。
残る Med Flory (メッド・フローリー) オーケストラは、
1954年2月4日に 4曲が録音され、
“Straight Ahead c/w The Fuzz”
(EmArcy 16001 / 16001x45)
と
“No Thanks c/w Three Times Around”
(EmArcy 16011 / 16011x45)
という 2枚のシングル (78回転/45回転) としてリリースされました。
Med Flory はこの録音を最後に
EmArcy を去り、
次に Mercury に現れるのは 1959年、
Terry Gibbs (テリー・ギブス)
ドリームバンドの一員としてでした。
続いて本記事において「New Singer」 と銘打たれて大々的にフィーチャーされているのが、 あの Helen Merrill (ヘレン・メリル) です。 Bob Shad がいかに彼女の才能にホレ込んでいたか、 そこで引用されているインタビューから滲み出ています。
「彼女の歌声は、ここ数年来聴いたこともなかったような新しいサウンドだ」
と Shad は言う。
「彼女は誰の物まねでもない。そしてなにより、
歌うということに対する彼女の理想の高さを、私は心から尊敬しているんだ。
彼女に歌わせて,出来の悪い曲になったりすることはありえない。
彼女はなにより自分に対して厳しく、そして彼女自身が音楽的に完璧な存在なんだ。」
上でご覧頂ける様に、本記事には Johnny Richards、 Helen Merrill、Bob Shad の3人が並ぶスタジオでの写真が掲載されており、 これは Helen Merrill の EmArcy 初セッション (1954年2月) 時に撮影されたものでしょう。
この時の 4曲 6テイクのうち 2曲が
“Alone Together c/w This Is My Night To Cry”
(EmArcy 16000 / 16000x45) として当時シングルリリースされた他、
“Alone Together” は
1956年頃に Mercury から出されたコンピレーション
「Songs For The Mood You're In」
(Mercury MG-20161) にも収録されました。
残り曲は
「Mercury 40th Anniversary V.S.O.P. Album」、
「Mercury V.S.O.P. Album II」、
そして
「The Complete Helen Merrill On Mercury」
(Mercury [J] 18PJ-1047/50)
によって日の目をみました。
その他、
Paul Gonsalves (ポール・ゴンザルヴェス)
や
Maynard Ferguson (メナード・ファーガソン)
とも契約した、と書かれています。
Paul Gonsalves
は 1954年 2月 6日に初リーダー録音、その時の 2曲は
“Don't Blame Me c/w It Don't Mean A Thing”
(EmArcy 16008 / 16008x45)
としてリリースされ、残り 2曲は 1年後に
「The Jazz School」(Wing MGW-60002)
に収録されました。
Maynard Ferguson
は 2月19日〜23日に12曲13テイクが一気に録音され、
これらは EmArcy からリリースされた
何枚かのシングル、LP としてリリースされました。
本記事の最後で触れられているのは、Mercury が 保有する過去のジャズ録音を EmArcy からリリースする、 という話です。 1948年に Mercury が取得した Keynote 音源 ( Lester Young、 Coleman Hawkins、 Roy Eldridge、 Bill Harris、 その他 ) のリイシューについて語られている他、 EmArcy からリイシューする予定の Mercury のジャズ録音として Beryl Booker (ベリル・ブッカー)、 Gene Ammons (ジーン・アモンズ)、 James Moody (ジェームス・ムーディー)、 Paul Quinichette (ポール・クイニシェット)、 Ben Webster (ベン・ウェブスター)、 Rex Stewart (レックス・スチュワート)、 Erroll Garner (エロール・ガーナー) といった名前が挙げられています。 ここで挙げられた名前を見ると、「あぁ、あの LP に収録された奴ね」とか 「あぁ、あの時の録音ね」と分かるものばかりですが、 実際には EmArcy からは リリースされなかった人がひとりだけいます。 そう、Rex Stewart です。
Ruppli のディスコグラフィー
で調べてみると、Rex Stewart の
Mercury 録音というのは 1セッション、
たった 4曲しかありません。
それは
“Boy Meets Horn c/w Jug Blues”
(Mercury 8001)
と
“B.O. Blues c/w That's Rhythm”
(Mercury 8008)
としてリリースされた音源で、聴いたことがある方はご存じでしょうが、
ジャズというよりは、ややノヴェルティ/ジャイブ気味の演奏です。
Shad はこの 1946年録音の演奏を聴いて、
どう思ったのでしょうか?
REX STEWART & HIS REXTET:
Rex Stewart (c, vo) Stafford Simon (tp) Sandy Williams (tb)
Pete Clark (ts) Mike Colucchio (p) Wilson Myers (b, vo)
Bazeley “Bay” Perry (dm).
NYC, February 8, 1946
236 Boy Meets Horn (instr.) Merc.8001
237 Jug Blues (voRS) -
238 B.O. Blues (voWM) Merc.8008
239 That's Rhythm (voRS) -
All titles also issued on Official(Dk)CD 83054.
あるいは、Shad が念頭に置いていたのは、 Rex Stewart が Keynote に吹き込んだ (実は元々 H.R.S. レーベルに吹き込まれた音源で、 Keynote が買い取った) リーダーセッションだったのかもしれません。 これは、Ellington 色濃厚なアレンジで聴かせる 好セッションなのですが、こちらも残念ながら EmArcy からリイシューされることはありませんでした (Mercury からは、過去に SP アルバム A-51 として リリースされていたようです)。 1954年前半の EmArcyこうやって、Down Beat 誌の記事を出発点にして、 設立直後の EmArcy レーベルにおける レコーディングやリリースを概観してみると、 当初はまだ シングルリリース用の録音がメインだった ことが分かります。 事実、この 1954年3月24日号の Down Beat 誌の レビュー欄をみてみると、まだまだ半分くらいが 78rpm/45rpm の シングルリリースに対するレビューであったりします。 レーベル立ち上げ直後はいろんなアーティストと契約して、 てっとり早くリリースできるシングルを対象にした録音を行い、 それで足がかりをつかんでから、きたるべき本格的 LP リリースへと 準備していたさまがみてとれるかのようです。 なお、一連の EmArcy 向け録音のうち、 LP フォーマットを最初に意識したと思われるセッションは、 1954年2月22日の Maynard Ferguson セプテットに よるジャムセッションでした。この音源は 「Maynard Ferguson's Hollywood Party」(MG-26017, のちに MG-36046 として12インチ化もされた) としてリリースされることになります。 翌23日にも、メンバーをかえて Maynard Ferguson 名義で ジャムセッションを録音、こちらはのちに 「Jam Session Featuring Maynard Ferguson」(MG-36009) という 12インチでリリースされました。 Shad が当時、いかに Maynard Ferguson にホレ込んでいたかが みてとれるかのようです。
こういったジャムセッション形式での長尺録音は、
あきらかに
Jazz At The Philharmonic
の成功をたぶんに意識したものと言え、
のちの Dinah Washington - Clifford Brown で有名な
1954年8月14日の、観客を入れたスタジオジャムセッションへと
連なるものといえそうです。
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