なぜEQカーブについてこれほど意見が分かれるのか、特に日本で — 議論の構造を整理する
なぜ EQ カーブについてこれほど意見が分かれるのか?
このページで答える問い: EQカーブをめぐる情報はなぜ錯綜しているのか。特に日本語圏で意見が大きく分かれるのはなぜか。
意見が分かれる3つの軸
EQカーブをめぐる議論を整理すると、意見の相違は概ね3つの軸に沿って生じています。
軸1:「事実としての録音カーブ」と「好ましく聴こえる再生設定」の混同
EQカーブを変えると音が変わります。これは物理的に当然のことです。 そして、ある設定の方が「好ましく聴こえる」ことがあります。
しかし、「好ましく聴こえる設定」と「録音時に使われたカーブ」は、 別の問いです。
この2つが混同されると、「好ましく聴こえた → これが録音時のカーブだ」 という飛躍が起こります。 EQカーブをめぐる議論が噛み合わない最大の原因は、ここにあります。
軸2:真に不明な領域と、確定した事実の混同
EQカーブの歴史には、確かに不明な部分があります。
- プレRIAA期(1954年以前)のモノーラル録音 の一部は、使用カーブの記録が残っていません。特に独立系スタジオの録音については、正確なカーブが不明なケースが多くあります
しかし、この「不明」は全時代・全レーベルに均等に当てはまるわけではありません。
- 米国のステレオLP(1958年以降) については、カッティング機材の設計、エンジニアの証言、社内文書など、複数の独立した根拠が RIAA カーブの使用を示しています
「プレRIAA期に不明な部分がある」という事実が、 「ステレオ時代のレコードも非RIAAかもしれない」という推論に拡大されることがあります。 しかし、前者が正しいことは後者の根拠にはなりません。
軸3:検証方法の違い — 聴感比較と一次資料
EQカーブに関する主張の根拠は、大きく2つに分かれます。
聴感比較: 可変EQフォノイコライザでカーブを切り替えて聴き比べ、 「最も良い音」と判断した設定を「正しいカーブ」と結論づける方法です。 体験としてはわかりやすく、共有もしやすい。 しかし、人間の聴覚特性(音量による周波数バランスの感じ方の変化)や、 個人の好み、再生環境の違いなどが結果に影響します。
一次資料による検証: 録音機材の仕様書、カッティングエンジニアの証言、 レーベルの社内文書、業界誌の記事などに基づいて、 録音時に使われたカーブを特定する方法です。 入手が難しく、多くの場合英語の資料です。
これら2つの方法が異なる結論に到達した場合、 どちらをより信頼すべきかについて、意見が分かれることになります。
なぜ日本語圏で特に意見が分かれるのか
上記の3つの軸は世界共通のものですが、 日本語圏では議論が特に錯綜しやすい構造的要因があります。
一次資料へのアクセス障壁: 録音技術の歴史に関する一次資料の多くは英語です。 AES(Audio Engineering Society)の論文、Billboard 誌の記事、 カッティングエンジニアへのインタビューなど、 事実関係を確認するための英語資料にアクセスするのは、困難が伴います。
海外での議論の経緯が伝わりにくい: 欧米でも「ステレオLPに非RIAAカーブが使われている」という主張が 一時期存在しましたが、カッティング機材の設計仕様や複数のエンジニア自身の証言により、 現在ではほぼ否定されています。 しかし、この経緯は日本語ではあまり報じられておらず、 言語の壁により日本語圏には伝わりにくい状況にあります。
一次資料を伴わない情報の流通: インターネット上には、一次資料による裏づけのないまま編纂された 「レーベル別推奨カーブ一覧」が一部存在します。 その中には、オーディオ専門メディアでも取り上げられたものがあり、 結果として広く参照されるようになりました。
このサイトのスタンス
筆者は2年以上をかけて、EQカーブの歴史を一次資料に基づいて調査しました。 その結果をブログ連載 Pt.0〜Pt.25 に記録しています。
このサイトのスタンスは以下の通りです:
- 一次資料で確認できる事実は、事実として明確に書く。 「諸説ある」とは書かない
- 真に不明な事柄は、「不明」と書く。 わかったふりはしない
- 特定の人名や説を批判しない。 事実を提示し、読者自身の判断に委ねる
- 好みの音で聴くことは個人の自由である。 それと歴史的事実の同定は別の行為である
→ 連載「Things I learned on Phono EQ curves」Pt.0〜Pt.25を読む
変更履歴
- 2026年4月8日: 初版公開