米国と欧州でEQカーブが異なっていた理由 — ターンオーバー周波数の分岐とその背景

最終更新: 2026年4月8日 読了時間の目安: 約5分

なぜ米国と欧州ではEQカーブが異なっていたのか?

このページで答える問い: 米国と英国・欧州のレーベルが異なるEQカーブを使っていたのはなぜか。その違いはどこにあり、どのように収束したのか。



最大の違い:ターンオーバー周波数

米国と欧州のEQカーブにおける最も根本的な違いは、 ターンオーバー周波数 にありました。

ターンオーバー周波数とは、低域の定振幅記録から定速度記録に切り替わる境界の周波数です。 この周波数が高いほど、低域のカッティングレベルが相対的に下がり、 溝の振幅を抑えて収録時間を延ばすことができます。


なぜ分岐したのか

この分岐にはいくつかの要因が絡んでいます。

米国側の事情:Bell Labs / Western Electric システムの影響

米国では、Bell Labs / Western Electric が開発した電気録音システムが 1925年から Victor と Columbia に供給されました。 1930年代前半には、500Hz ターンオーバーへの移行が進んでいたことが、 Victor のテストレコード(1931〜32年頃)などからうかがえます。

放送用トランスクリプション盤の分野でも、 1930年代後半には 500Hz ターンオーバーに高域プリエンファシスを加える 録音特性が採用され始めました。 1942年の NAB 標準規格は、この流れを公式に規格化したものです。

欧州側の事情:機械式蓄音機との互換性

一方、欧州(特に英国)では、植民地も含めた広大な市場で 機械式蓄音機(電気増幅を伴わないアコースティック再生機)がまだ広く使われていました。

ターンオーバー周波数を上げると、低域のカッティングレベルが下がるため、 機械式蓄音機での再生時に低音がさらに不足します。 このため、欧州のレーベルは保守的なアプローチをとり、 250Hz 付近のターンオーバーを長く維持しました。

また、シェラックの組成や溝の間隔に関する慣行の違いも、 両地域のカーブの差異に寄与していた可能性があります。


高域プリエンファシスの違い

ターンオーバーだけでなく、高域プリエンファシスにも差がありました。

米国の NAB 標準規格(1942年)は 100μs(±16dB at 10kHz)の 強いプリエンファシスを規定していましたが、 英国ではこれほど強いプリエンファシスは一般的ではありませんでした。

BBC の A.E. Barrett 氏は、1949年の NAB 委員会の会合において、 NAB カーブのプリエンファシスは BBC の機材で対応できる範囲よりも極端に強い、 と指摘しています。BBC では 10kHz で約 +10dB(約 50μs に相当)の カーブが使われていました。


ffrr:英 Decca の革新

英国における注目すべき例外が、Decca の ffrr(full frequency range recording)です。

Arthur Haddy 氏が開発したモーショナルフィードバック方式のカッターヘッドを核として、 1944年に ffrr システムが完成しました。 これは当時の一般的な録音よりも広い高域周波数応答を実現したもので、 英国の録音技術における重要な革新でした。

ffrr の録音特性は、当初は 500Hz ターンオーバーのみ、 のちに 500Hz ターンオーバー + 50μs の高域プリエンファシスという、 米国の主流カーブとは異なる組み合わせを持っていました。 米国では London レーベルとして流通した英 Decca の盤は、 この ffrr 特性で録音されていたため、 米国のリスナーにとっては専用の再生カーブ設定が必要でした。


収束:規格の統一

米国と欧州のカーブの違いは、段階的に解消されました。

米国 では、1958年のステレオLP登場時に、カッティング機材が RIAA カーブを前提に設計されていたため、ステレオ盤において RIAA 以外のカーブを使用する余地はありませんでした。

英国 では、1955年に BS 1928:1955 が RIAA と同一の特性(3180/318/75μs)を採用しました。

欧州大陸 では、1956年の CCIR 中間勧告 No.208 が、ターンオーバーとベースシェルフは RIAA と同一ながら、高域プリエンファシスを 50μs(RIAA は 75μs)とする独自カーブを規定しました。ドイツでは DIN 45536/45537(1959年)としてこれを規格化しています。この高域の差は、1962年に CCIR/DIN が 75μs に変更されたことで解消され、RIAA と完全に同一となりました。

一方、1950年代中頃以降に欧州で使用されていた録音機材(Neumann LV60 など)には RIAA と CCIR/DIN の切り替え機能がありました。また、米国製の録音イコライザ Westrex RA-1514 にも、欧州への輸出を意識してか、CCIR/DIN 対応のバリアントの存在が確認できます。これらはモノーラル用の1チャンネル機でしたが、2台1セットでステレオ運用されていた可能性もあるため、欧州において CCIR/DIN 特性のステレオLPが存在した可能性を否定することはできません。少なくとも、RIAA と同等の DIN 45547 が1962年11月に採用されるまで、DIN 45537 規格(ターンオーバー 500Hz、高域プリエンファシス 50μs、ベースシェルフ 3,180μs)のステレオLPが存在した可能性はあります。ただし、本シリーズは米国における歴史変遷を主題としているため、この問題についてはこれ以上は掘り下げません。


本シリーズの範囲について

本シリーズ(Pt.0〜Pt.25)は、主に北米におけるEQカーブの歴史に焦点を当てています。 英国や欧州の事情については、北米の歴史との接点において言及していますが、 網羅的に扱ってはいません。

欧州の録音技術史についてより詳しく知りたい方には、 Peter Copeland 氏(元 BBC エンジニア、大英図書館サウンドアーカイブ収蔵管理者)の 著作が優れた資料として知られています。


関連トピック

RIAA 以前にはどんなカーブが使われていたのか?

RIAA 規格はいつ、なぜ策定されたのか?

詳しくは → Pt.9, Pt.10, Pt.25


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変更履歴

  • 2026年4月8日: 初版公開