(ざっくり歴史3) その歴史は今のレコード再生に何を意味するか — RIAA以降の移行期、ステレオLP、そして開かれた問い
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その歴史は、今のレコード再生に何を意味するか
1954年、ついにRIAA規格が策定されました。 しかし、規格の策定と業界全体の移行は別の話です。 そして「移行がいつ完了したのか」は、今なお議論の残る問題です。
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1. RIAA移行期:1954年〜1958年
RIAA規格が策定された1954年1月29日以降も、 米国のレーベルが一斉に新規格に切り替えたわけではありません。 移行が即座に完了しなかった理由は、大きく2つあります。
製造済み在庫の問題: RIAA採用前にカッティングされたスタンパーからプレスされた盤は、 当然ながら旧カーブのままです。在庫が尽きて再カッティングされるまで、 旧カーブの盤が市場に流通し続けました。
録音機器交換のコスト: ディスク録音イコライザは固定特性であり、 再生側のように切り替えることはできません。 特に全米各地にマスタリング設備を持つ大手レーベルでは、 全施設の機器を統一的に更新するにはコストと時間がかかりました。 単にイコライザを交換するだけでなく、テストカッティングによる計測と微調整を繰り返し、 安定した録音特性を確保する作業も必要でした。
資金力による移行速度の差
RCA Victor は1952年頃から New Orthophonic 録音特性を採用していましたが、 これは RIAA と同一の特性であり、事実上すでに移行済みでした。 一方、Columbia や NAB カーブを使用していたレーベル・スタジオにとっては、 高域プリエンファシスやベースシェルフの特性が異なるため、機材の変更が必要でした。 独立系の小規模スタジオでは、旧機材を継続使用した可能性があり、 移行のタイミングはスタジオごとに異なっていたと推定されます (Pt.19 / Pt.20 を参照)。
2. ステレオLPの登場(1958年)—— RIAA移行の事実上の完成
1958年、米国でWestrex 45/45方式によるステレオLPが一般発売されました。
ステレオ用のカッティング機材(Westrex 3C/3Dステレオカッターヘッドなど)は、 RIAA録音特性を前提として設計されていました。 ステレオLPを制作するには、これらの新しいカッティング機材を導入する必要があり、 その時点で録音システム全体がRIAA前提に更新されることになります。
つまり、米国では、1958年のステレオLP登場をもって、 RIAA前提での録音・再生は事実上完成したと言えます。
再生機器側の移行
民生用アンプの変遷も、この流れを裏づけています。
1957年以前のモノーラルアンプには、Columbia LP、AES、Orthophonic など 複数のEQカーブを切り替えられるものが多く存在していました。 しかし、1958年以降のステレオアンプでは、RIAAのみに対応した機種が急速に増加。 1965年頃には、非RIAA対応のポジションを備えていたのは McIntosh、Marantz、Harman-Kardon といったごく一部の高級機のみとなっていました (Pt.22 を参照)。
3. 歴史が残した「問い」
以上が、EQカーブの歴史の大きな流れです。 しかし、この歴史には、今なお解明されていない部分が残されています。
確定している事実
- 1954年のRIAA規格策定以降、米国の主要レーベルは順次RIAAへ移行した
- 1958年のステレオLP用カッティング機材はRIAAを前提に設計されていた
- 米国のステレオLPは、RIAAカーブで録音されている
未解明の領域
- 特定のプレRIAAモノーラル録音(特に1954年前後の独立系レーベル)に、 実際にどのカーブが使われていたかは、技術資料が残されていないケースが多く、 正確なところは不明である
- 当時の録音チェーンには、マイクの特性、ローパスフィルタ、 イコライザ回路の方式の違い(LCR / CR / NF)など、 カーブの3パラメータ(ターンオーバー、プリエンファシス、ベースシェルフ)だけでは 捉えきれない変動要因が多数存在していた (Pt.23 / Pt.24 を参照)
意見が分かれる軸
EQカーブをめぐる議論は、概ね以下の軸で意見が分かれています:
- 「事実としてどのカーブで録音されたか」と「どのカーブで再生すると好ましく聴こえるか」は別の問いである——この区別が混同されていることが、議論を複雑にしている一因
- 1954年〜1958年のモノーラル移行期 の一部の録音について、正確な録音カーブが不明であることは事実。ただし「不明」であることと「非RIAAだった」ということは同義ではない
- 米国のステレオLP時代(1958年以降)については、録音機材の設計からして RIAA以外のカーブが使われた可能性は極めて低い。 当時の録音現場を知るエンジニアの証言もこの点を裏づけている (Pt.20 を参照)
おわりに:歴史を知った上で、聴くということ
この100年間の歴史が教えてくれるのは、 特に1950年代中頃までの録音には、 ターンオーバー・高域プリエンファシス・ベースシェルフの3パラメータを選ぶだけでは 捉えきれない複雑さがあった、ということです。
現代の可変フォノイコライザで選べるパラメータは近似値であり、 「この設定が正しい」と保証されているわけではありません。 しかし、その背景にどんな歴史があったかを知ることは、 レコード再生への向き合い方を変えてくれるはずです。
この歴史が読者にとって、レコード再生を考える手がかりになれば幸いです。
個別の疑問については、FAQページもご参照ください。
→ FAQを見る
さらに深く知りたい方は、筆者が2年以上かけて調べた全25回の連載を お読みいただければと思います。
→ 連載「Things I learned on Phono EQ curves」の全体像と読み方ガイド
詳しくは(ブログ記事連載)
- Pt.19 — RIAA策定後の録音イコライザ各機種と、非RIAAでの録音がいかに困難だったか
- Pt.20 — 各レーベルのRIAA移行時期、EQカーブリスト資料の検討
- Pt.21 — テストレコードの多様性と周波数テスト盤の調査
- Pt.22 — Allied Radio カタログに見る民生アンプのEQ対応の変遷
- Pt.23 — RIAA再生特性からの偏差、LCR vs RC イコライゼーション
- Pt.24 — 録音チェーン全体の信号経路と変動要因
- Pt.25 — シリーズ総まとめ
変更履歴
- 2026年4月8日: 初版公開