技術者同士は NAB・サファイア・グループ・AES で情報を共有していたのに、なぜ Columbia と RCA Victor は別々の規格でぶつかったのか

最終更新: 2026年4月15日

技術者は協力していたのに、なぜ Columbia と RCA Victor は別々の規格を出したのか?

このページで答える問い: サファイア・グループや NAB 録音小委員会で各社の録音エンジニアは技術情報を共有していたのに、なぜ 1948 年から 1949 年にかけて Columbia LP と RCA 45 は互換性のない別規格として世に出たのか。



短い答え

規格戦争は、技術レベルの問題ではなく経営判断のレベルの問題でした。

  • 技術者層では、1941 年の NAB 録音小委員会、ニューヨーク/ハリウッドのサファイア・グループ、1948 年設立の AES を通じて、Columbia・RCA Victor・NBC・CBS・Decca 等のエンジニアが日常的に顔を合わせ、溝形状・スタイラス・用語の統一を議論していました。
  • 一方で、Columbia は 1939 年以降 Peter Goldmark 主導の LP 開発を 社外に一切漏らさないまま 進め、1948 年 4 月には RCA 経営陣に極秘デモでライセンス供与を提案しました。RCA 側は既に 45 回転の「ファイングルーヴ・レコードと専用チェンジャーのセット」を棚に載せていました。両社とも、物理フォーマットと事業計画の部分では完全な秘密主義 で動いていたのです。

この「技術者は協力、経営は対立」という二層構造こそが、1948–1949 年の規格戦争の正体です。Columbia LP カーブの実装値が後年の研究で明らかになるまで半世紀以上かかったのも、同じ秘密主義の延長線上にあります。

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技術者協力の系譜 — 1941 年から続く情報共有の回路

各社のエンジニアが互いに情報を共有する場は、規格戦争のはるか前から存在していました。

  • 1941 年: NAB(全米放送事業者協会)録音小委員会が、放送局向けにディスク録音の物理規格・周波数特性を文書化。Columbia の Vincent Liebler、NBC の G.E. Stewart 等が参加。
  • 1940 年代前半〜: ニューヨーク・サファイア・グループ。戦時物資不足をきっかけに始まった非公式の夕食会が、やがて技術情報交換の場に育つ。
  • 1946 年 2 月: ハリウッド・サファイア・グループ発足。2 年後には会員 50 名、録音標準規格委員会と 3 小委員会を擁する組織に。
  • 1948 年: Audio Engineering Society(AES)設立。サファイア・グループの人脈がそのまま移行。

つまり 1948 年の時点で、Columbia と RCA Victor のエンジニアは 同じ部屋で夕食を共にし、スタイラス寸法や用語の標準化を議論していた わけです。

サファイア・グループとは何か?

NAB 規格とは何か?


秘密主義の三区分 — どこまでが共有され、どこからが封じられていたか

1940 年代後半のレコード産業における「秘密主義」を一枚岩で捉えると、この時代の力学を見誤ります。実際には次の三層に分かれていました。

  1. 公知: NAB 文書、AES 論文、技術誌に掲載されたグラフ・用語・スタイラス寸法。エンジニア同士はここを共有していた
  2. 社内限定: ホットスタイラス切削技術、LP の回路実装値、販売チャネルの具体計画、新製品の投入時期。ここは企業秘密として厳重に囲われていた
  3. 業界委員会内の実務議論: NAB・AES・後の RIAA の小委員会で交わされる「まだ公表されていないが参加社間では共有されている技術的論点」。

問題は、Columbia LP の全体像(物理フォーマット+実装詳細+販売戦略)が、エンジニアも含めて社内限定の第 2 層に置かれていた ことです。LP プロジェクトに関わった Bachman すら、社内では「情報を誰にも話すな」と厳命されていました。

ホットスタイラスとは何か? (同時代の「技術者間でしか共有されなかった」知識の別例)


Wallerstein の証言 — 1948 年 4 月の CBS 役員会議室極秘デモ

Columbia Records の社長だった Edward Wallerstein は、1976 年の High Fidelity 誌に「LP 誕生」の回想録を寄稿しています。LP 開発の秘密主義はどの程度徹底されていたのか。本人の言葉がそれを端的に示します。

"We had been given strict instructions to tell no one about it, not even our wives."

(我々は、LP について誰にも話すなと厳命されていた。妻にさえも、である。)

— Edward Wallerstein, "Creating the LP Record," High Fidelity, April 1976

LP の完成度が役員会議室に示せる段階に達したとき、Columbia は RCA にライセンス供与を提案する決断を下します。1948 年 4 月、CBS 社長 Frank Stanton は RCA 社長 David Sarnoff と RCA エンジニア一行を CBS 役員会議室に迎え、2 台のターンテーブルで LP と 78 回転の比較デモを行いました。Wallerstein の記憶によれば、Sarnoff は動揺を隠せなかったといいます。

"Wallerstein's memory was that Sarnoff looked down his side of the table at his RCA engineers, pulled the cigar from his mouth and said, 'You sonsabitches got caught with your pants down again!'"

(Wallerstein の記憶によると、Sarnoff は横にいる RCA のエンジニア達を見下ろし、くわえていた葉巻を手に持ち、こう言ったそうだ。「このくそったれどもめ、またしても不意打ちくらってるじゃねえかよ!」)

— Gary Marmorstein, The Label: The Story of Columbia Records, Thunder's Mouth Press, 2007, p.164

Left to right: Frank Stanton (CBS president), David Sarnoff (RCA president), William S. Paley (CBS chairman)
左から Frank Stanton(CBS 社長)、David Sarnoff(RCA 社長)、William S. Paley(CBS 会長)。1948 年 4 月 CBS 役員会議室での極秘 LP デモの当事者たち。写真は Wikimedia Commons および picryl のパブリックドメイン画像を合成。

CBS 側は LP の 物理フォーマットと全体設計を RCA 幹部に開示 しました。つまりこの瞬間、Columbia 自身が「秘密主義のフタを戦略的に開ける」判断を下していた。技術者間の日常的情報共有とは別レイヤで、経営判断としての情報開示が起きたのです。それでも RCA はこの提案を受け入れませんでした。


なぜ統一に至らなかったのか — RCA は「棚の上に」既に持っていた

1948 年 4 月の CBS 役員会議室での Columbia によるライセンス供与の提案は、なぜ失敗に終わったのでしょうか。

William S. Bachman は 1978 年の JAES 回想録でこう証言しています。

"At this time RCA had a fine-groove record of its own and a record changer for it all designed and ready 'on the shelf.'"

(この時点で RCA は、自社のファイングルーヴ・レコードとそれ用のレコード・チェンジャーを、既に設計完了・準備万端の状態で『棚の上に』載せていた。)

— William S. Bachman, "The LP and the Single," JAES, Vol. 25, 1977

RCA はすでに 45 回転システムを完成させていた。つまり CBS 側のライセンス供与の提案は、技術的に「RCA が必要としていないもの」だった。にもかかわらず Columbia がその提案をした理由について、Bachman は次のように述べています。

"The eventual success of the LP would require that the repertoires of all companies be available to the public."

(LP が最終的に成功するには、全レーベルのレパートリーが公衆に利用可能である必要があった。)

— William S. Bachman, "The LP and the Single," JAES, Vol. 25, 1977

Columbia の狙いはクラシック音楽の全社レパートリーを LP に巻き取ることでした。一方、RCA は 45 で「自社フォーマットの独占的成功」を選んだ。両社の経営判断が交わらなかったのはここです。

Wallerstein は別の角度からこの失敗を振り返っています。彼は CBS 社長 William Paley を名指しで批判し、ライセンス供与交渉を主導した Goldmark が Paley に「悪い助言」を植えていたと示唆しています。技術者たちが情報を共有していた一方で、経営判断のレベルでは、個人的な野心や誤った助言が意思決定を歪めていた。それがこの時代の力学でした。

45 回転と LP の規格戦争 (1949 年以降の具体的時系列はこちら)


EQ 秘密主義の実相 — グラフは公開、実装値は 60 年間封印

経営判断のレベルでの秘密主義は、1948 年の決裂と 1949 年の両フォーマット発売でひとまず決着しました。しかし、もう一つ、より長く機能し続けた秘密主義があります。EQ カーブの実装詳細です。

Columbia LP の EQ カーブについて、Peter Goldmark 率いるチームは 1949 年の IRE(米国電気工学会)で論文を発表します。ところが、その論文は次のような構造になっていました。

"The recording characteristic employed is shown in Fig. 3."

(使用された録音特性は Fig. 3 に示す。)

— Goldmark, Snepvangers, Bachman, "The Columbia Long-Playing Microgroove Recording System," Proceedings of the IRE, August 1949

Fig. 3 には周波数特性のグラフが描かれていました。しかし、時定数も、ターンオーバー周波数も、回路値も、一切記載されていません。Gary A. Galo はこの点について、2009 年の ARSC Journal 論文でこう書いています。

"Snepvangers, Bachmann and Goldmark failed to accompany the graph in Figure 2 with any data on the time constants or turnover frequencies used to produce it."

(Snepvangers、Bachmann、Goldmark は、Figure 2 のグラフを作成するために用いた時定数やターンオーバー周波数のデータを一切添えなかった。)

— Gary A. Galo, "Columbia LP Equalization Curve," ARSC Journal, Vol. 40, No. 1, Spring 2009

Columbia LP recording characteristic and 1949 NAB curve, published as a graph only without time constants or circuit values
Columbia LP 録音カーブ(上)と 1949 NAB 録音カーブ(下)。周波数特性のプロットだけが示され、時定数・ターンオーバー周波数・回路値は一切記載されていない。出典:Goldmark, Snepvangers, Bachman「The Columbia Long-Playing Microgroove Recording System」Proceedings of the I.R.E., Vol.37 No.8, August 1949, p.926, Fig.3

結果として、Columbia LP カーブの実装値は 60 年間にわたって複数の「諸説」が並立する状態 になりました。KAB、Tremaine、Copeland、Langford-Smith、McIntosh、Powell/Rek-O-Kut が、それぞれ異なる時定数を提唱したのです。

Galo は 2009 年、Snepvangers のオリジナル・グラフを dial-caliper で実測し、CircuitMaker 2000 でシミュレーションすることで、John Eargle が提唱していた F1 = 100 Hz (1590 μS), F2 = 500 Hz (318 μS), F3 = 1590 Hz (100 μS) が誤差 0.3 dB 以内で真値であることを確定しました。EQ カーブの秘密の 1 つが完全に解かれたのは、Columbia LP 発表から 60 年後だったのです。

Columbia LP カーブとは何か?

興味深いことに、この「グラフのみ開示」パターンは Columbia LP に限りませんでした。RCA Victor も 1949 年 6 月の RCA Review 誌に H.I. Reiskind による 45 回転システムの技術解説「A Record Changer and Record Complementary Design」を掲載していますが、そこで示された Old Orthophonic カーブもまた周波数特性のプロットのみで、時定数や回路値は添えられていません。1949 年の時点では、Columbia も RCA Victor も、自社の録音カーブを 図として公開しながら実装値は手元に留めていた のです。

Overall frequency characteristic used in recording 45 rpm records, the RCA Victor Old Orthophonic curve shown as a plot only
RCA Victor の 45 回転盤で採用された録音特性、通称「Old Orthophonic」カーブ。Columbia LP と同じく、周波数特性のプロットだけが示されている。出典:H.I. Reiskind「A Record Changer and Record Complementary Design」RCA Review, Vol.X No.2, June 1949, p.189, Fig.11

ここで注目すべきは、独立した複数の資料がそろって同じ一点について沈黙している ことです。Wallerstein の経営回想、Bachman の技術回想、Goldmark et al. の 1949 年技術論文、Reiskind の 1949 年 RCA 側論文。立場も時代も異なるこれらの資料は、LP と 45 回転の創出物語をそれぞれの角度から語りながら、EQ カーブの実装詳細にはいずれも踏み込んでいません。EQ 秘密主義は、物理フォーマットの秘密主義とは別のレイヤで、両社に共通してより長く機能していたことがこの共通の沈黙から読み取れます。

ただし RCA Victor 側の沈黙は、1953 年 7 月に破れます。この月の Audio Engineering 誌に、RCA Victor Division の R.C. Moyer が「Evolution of a Recording Curve」と題する論考を寄稿し、「RCA Victor レコードに現在使用されている New Orthophonic カーブの公式仕様の提示」と自ら位置づけた上で、30 Hz から 15 kHz までの相対速度数値表(Table 1)と、三極管・五極管両方のイコライザ回路図を実定数つきで(Fig. 9)公開 したのです。

R.C. Moyer's Fig. 9 from Audio Engineering July 1953: triode and pentode equalizer circuits for the New Orthophonic curve, with component values
Moyer 1953/7 Fig. 9。New Orthophonic カーブ用の三極管(上)・五極管(下)再生イコライザ回路図。R・C の実定数が記載されており、RCA Victor が自社カーブの実装詳細を公開情報に転じた瞬間の一次資料。出典:R.C. Moyer「Evolution of a Recording Curve」Audio Engineering, Vol.37 No.7, July 1953, p.22, Fig.9

掲載は NARTB 新規格承認(1953 年 6 月)の直後、RIAA 公式発行(1954 年)の前。規格統一の機運が固まった瞬間に、RCA は自社カーブの実装詳細を公開情報に転じました。Columbia LP カーブの実装値が 60 年間「諸説」の状態に置かれたのとは対照的で、この非対称は、EQ 秘密主義が技術文化そのものではなく商業計算に紐付いていたことを示唆します。企業間の対立が標準化に道を譲ったとき、技術者たちは実装詳細を公表することが許されたのです。

ここからは筆者の推測です。RCA が 1953 年 7 月に自社カーブの実装詳細を公開したのに対し、Columbia が Columbia LP カーブの実装詳細を同時期に公表しなかった理由としては、次のような業界状況が考えられます。1953 年 6 月には NARTB が新規格を承認し、1954 年には改訂 AES 暫定版と RIAA 録音再生規格が続く。米国内の民生用カーブは統一に向けて急速に収斂していました。この流れのなかで、間もなく旧式となる Columbia LP カーブの実装詳細を、このタイミングで改めて公表する必然性は Columbia 側になかった のではないか。こう考えると、Columbia LP カーブが 60 年間「諸説」の状態に置かれたのは、積極的に封印したというよりも、公開する動機が失われたまま時代が進んだ結果と見ることもできます。


収束 — 1951 年 AES から 1954 年 RIAA へ

規格戦争は 1951 年以降、技術者層の協力によって収束に向かいます。

  • 1951 年: AES のイコライゼーション委員会が業界共通のカーブ策定を開始。
  • 1953 年 6 月: NARTB が新規格を発行。これが実質的に現行 RIAA カーブと同等の特性を持っていました。
  • 1954 年: RIAA がこれを追認する形で「RIAA カーブ」を正式発行。

注目すべきは、1951〜1954 年のこの収束プロセスを推進したのが、1940 年代から NAB・サファイア・グループ・AES で顔を合わせていた技術者たち だったという事実です。経営判断のレベルで分断されていた Columbia と RCA は、技術者層の回路を通じて再び統合されたのです。

RIAA カーブはいつ策定されたか?

なぜ RIAA が標準になったのか?

NAB 規格とは何か?


関連ページ

サファイア・グループとは何か? -- 技術者協力の起点

45 回転と LP の規格戦争 -- 1949 年以降の時系列

Columbia LP カーブとは何か? -- EQ 実装値の確定経緯

ホットスタイラスとは何か? -- 社内限定知識の別例

RIAA カーブはいつ策定されたか? -- 1953〜1954 年の標準化集中期

なぜ RIAA が標準になったのか? -- 技術・政治・経済の要因

詳しくは → Pt.11 / Pt.12 / Pt.13


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変更履歴

  • 2026年4月15日: 初版公開

MATSUBAYASHI 'Shaolin' Kohji <shaolin@rhythmaning.org>