Re: ハヤトチリ

はやとちり (始めるは万事の半ば における草さんの post)
昨日Shaolinさんが日記を書くのを止めたと書いたが、新しい日記へ変更しただけだった。今度の日記は前より一寸外向きな感じかな。
(注:日記 という表記は当方で修正しました)

別に「外向き」とか意識してる訳ではないんですけどね.ということで一寸考えてみました.





ここに最初に書いた通り,「本当になんとなく」 HNS から MovableType に変更した訳ですが (やまださん の様に RWiki にしようかしらとも思いましたが,これまた「なんとなく」 MT にしただけです),使用するツールが変わった為に,記述する際の無意識に心構えが変わっている,というのはあるのかも知れない,というのが一つ.

そういえば昔,日記帳に日記を付けていた頃,生まれて初めてコンピュータに向かい文章を書いた時の事.なんというか,出来上がってくる文面が,万年筆を手にとっている時と,キーボードをかちゃかちゃやっている時と,全然違うことに非常に驚きました.実際のところ,文章というのは,入力(或いは出力)メディアによる揺れが結構あるのではないかしら,と当時考えた記憶があります.

そう考えると,web で文章を読んでその人の印象を想像していて,実際にお会いしてみると全く異なる印象だった,というケースも合点がいきます.勿論,「どういう場で」「誰に対して」語りかけているか,という前提が全然異なりますのでそれだけではないのでしょうが.

じゃあ HNS と MovableType では,私の文章 (といっても大したものは全然ありませんが) に有意な違いを生む様な側面はあるのか,というと,かたや 簡易HTML的なコマンドを使いつつ vi なんかで直書き.かたやブラウザ上でフォームに向かってぽちぽちと書く.せいぜいその程度.どっちが優れているかなんて無駄話は私にはどうでもいいのですが,私がいざ何か書こうとした際に受ける無意識の制限として,何かが違うのかも.とはいえ,ツールのどういう側面がどういう影響を与えるのか,については人それぞれ異なる訳で.

或いは単なる出来上がりの「見栄え」. どっちが良いとか,どっちの方が優れている,とかそういうのはどうでもいい話なのでさておき,実際のところ web ブラウザを介して読む際の 日記 の見てくれは変わったわけで, それによって例え同じ文面があったとしても受ける印象が異なる,というのもあるのかも知れない.もしかしたら mozilla で読むのと w3m で読むのとでは,読み手には違う印象が伝わっているのかも,なるほどそういうこともあるのかも.

以前は多用していた関西弁を使わへん様になったのは,結構大きんちゃいますかね.これも,別になんでやいわれてもよう分からんのですが,そういえばここでは関西弁で書いてへんかった.ほんまなんでやろ.

と書いていて,不図思いました.実際,書いているときの自分の状態は何かしら変化している.それは何だろう.

もしかしたら,巷で噂の「論争」とやらが,私に影響してるのかしら.

実を言うと,例えば I can't blog などは以前読んだ事があった筈なのですが,「ふーん,なんや物騒やなあ」位の印象しか持ちませんでしたし,記憶の彼方に追いやられていました.「どっちがええとか,どっちがダメとかゆうて論争したはる人がぎょうさんいはるんか.へぇ,まあ別に何つこて書いてもええやん」位の印象.

ところが,本当になんとなく「MovableType に変えてみようかな」と思っただけだったのですが,実際に変えるとなると,どんなサイトがあるのかな,どんな風に使われているのかな,と web をあちらこちら彷徨ってみて,そこかしこにこの論争絡みの話題があるのにびっくりしました.フレーム状態になっているものも多くて.

私個人としては,どっちがいいとかどっちが優れているとかどっちに「可能性があるか」とかいう議論は殆ど興味のないことで「なんだってええやん別に」なんですが.手段と目的が逆転している状態というのは一寸気持ち悪いかも.web に個人々々が気軽に好き放題書く環境 (各種日記システムとか blog うんちゃらとか,suk2 の様なレンタル日記サイトとか) が整ってきておもろいことになっとるね,という包括的な話題ならいざしらず,何を使ってようが結局「読む」という行為に変わりはない訳で,技術的,はたまた「可能性」という言葉を安易に使った自慢し合いの様なお話には興味はありません.「BMW乗ってる奴はアホだね」とかいう類の,その人に付属する一部分,或いはその人の道具で,その人自身の価値判断をしてしまう,というあれ.

ちょっと脱線して仕舞いましたが,ともあれそういう「論争」の様なものの存在を知ってしまったが為に「無意識に身構えて仕舞っている」のかも知れません.実際,今書いている文章でもそこかしこに「なんとなく」とか「どっちでもええやん」と多用しているのがその現れなのでしょうか.

ともかく,今も昔も私は私.それだけ.





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This page contains a single entry by Shaolin published on December 28, 2002 3:50 PM.

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