2009年7月17日〜18日、8時間にも渡って、忌野清志郎 フジテレビアーカイブス 完全版 という奇跡的な番組が フジテレビ NEXT チャンネルで放送されました。
フジテレビが所蔵する演奏シーンを、余計な解説や編集も抜きで、ただひたすら時系列に放送してくれるというもので、放送当時に見た懐かしい演奏から、初めて目にする貴重なものまで、圧倒的な放送でした。
無理なお願いにも関わらず長時間録画してくれた takuo さん、ホントにありがとうございます。おかげで観ることができました。
(どうでもいい前書き)
時に屈折しジメジメと後ろ向きな表現者、時にパンクな不良を演じたパフォーマー、時にあっけらかんと純朴に愛を信じ。結局キャリア全体を通じて、いつも背伸びすることなく自分にどこまでも正直な等身大の生身の表現者で。
日本語による歌詞を天才的なセンスで紡ぎ出す才能に溢れ、唯一無二の声の持ち主で、サザン・ソウルやファンク、1960年代ロックやフォークのエッセンスを絶妙にかつ自然にブレンドする能力に長け、、、
書き出したらきりがないですが、個人的に最も強く感銘を受けた忌野さんの特質は、
- 歌詞やメロディ、アレンジ、唱法などが完全に不可分
という点です。
ごく一時期の、ごく一部の例外はあるにはあるものの、基本的にどの曲も、いつ歌っていても、常にアレンジ、歌い方、キー、更にはテンポまでもが、常に ほぼ 同一であったというのは、これだけ長いキャリアを持つシンガー・ミュージシャンとしては奇跡的なことかもしれません。
バンドの編成などにより若干の変化はあるものの、基本となるアレンジはいつもほぼ一緒。なのにどのパフォーマンスも「こなれた」「ヤレた」感じが全くない。
普通、何百回も何千回も演奏し、歌ってきたら、歌手・演奏者として「飽き」てしまうように思うんですよ。それで、軽く歌ってしまったりとか、アレンジもラフになってきてしまったりとか、あるいは飽きないように全然違うテンポで全然違うアレンジにしなおしてみたりとか。
そういうことをほとんどやってこなかったのに、どのパフォーマンスもほとんどが素晴らしい。リスナーとしてファンとしてもう完全に耳タコになっている「スローバラード」「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」あたりであっても、何十年も前のリリース時から昨年の「完全復活祭」の時まで、一貫してほぼ同一アレンジ・テンポ・キー・唱法。それなのに、ほとんどのパフォーマンスが素晴らしい。
限りなくインプロビゼーションがゼロなのに、ソロ・トリオ・カルテット・オーケストラ等どのフォーマットでも演奏がほとんど同じなのに、すべてが素晴らしいと感じられてしまう セロニアス・モンク (Thelonious Monk) の隠れ(?)名曲「クレプスキュール・ウィズ・ネリー」(Crepuscule with Nellie) という曲があります。
上に書いた忌野さんの特質に感服するたびに、演奏する姿勢や音楽に対する姿勢というか、そういうものまで含めて、いつもモンクの「クレプスキュール・ウィズ・ネリー」のことを思い出してしまうのです。
1981年 2月16日「夜のヒットスタジオ」 / RC サクセション
- トランジスタ・ラジオ
RC サクセションとしての「夜のヒットスタジオ」初出演時の演奏。 さぞ番組内で他の出演者から浮いていたことでしょう。
後半、セーラー服を着たスクールメイツが突然現れてダンスし始めるのですが、この陳腐な演出が時代を感じさせます。
長い不遇時代から脱出、一気に大ブレークして「Rhapsody」「Please」と立て続けにアルバムをリリースしたのが 1980年。 「シングルマン」までの (忌野さん的には) 凝りに凝った作風とはうってかわり、ストーンズやパンクあたりにインスピレーションを受けた明快な不良ロックの時代の幕開けです。
1981年 2月18日「テレビアンナイト」 / RC サクセション
- トランジスタ・ラジオ
- Sweet Soul Music
- あきれて物も言えない
- スローバラード
演奏もタイトだし、動きのキレもあるけど、忌野さんの声が若干カスれてるようです。 もしかして体調良くなかったのでしょうか?
「あきれて物も言えない」でのチャボさん格好良すぎです。 また、この曲でギターを持つ忌野さんが、角度によっては村八分の山口冨士夫さんに見えてしまう程、グラムロックやパンク、ニューウェーブ、そしてストーンズ辺りの研究成果というべき不健康な不良を演じるエンターテイナー忌野さんの真骨頂が見られます。
1981年 7月30日「オールナイトニッポン スーパーフェス」 / RC サクセション
- よぉーこそ
- トランジスタ・ラジオ
- スローバラード
- Step!
- 雨あがりの夜空に
1981年 7月26日に西武所沢球場で行われたフェスでのライブ演奏。 圧倒的なステージ、演奏、歌唱に圧倒されます。特に生活向上委員会のホーンセクションは完璧。良質なサザン・ソウルとオールドウェイブな王道ロックをベースにニューウェーブ感覚をブレンドした、パンキッシュな明快日本語ロック、というこの時期の RC の特質がいかんなく発揮されています。
トリだったらしく、ラストの「雨上がりの夜空に」ではシャネルズ / シーナ&ロケッツ といった懐かしい面々もステージに登場しています。
1982年 2月 8日「夜のヒットスタジオ」 / RC サクセション
- ロックン・ロール・ショー
アルバム「Blue」のオープニングナンバー。
ただただ、格好良すぎ。シビれます。オールドウェイブなパンクです。
このパフォーマンスを「夜のヒットスタジオ」でやってしまうのが凄い。 エドサリバンショーにフランク・ザッパ & マザーズが出演してしまう感じというか。盆踊りでファウストが演奏してしまう感じというか。市民ホールのバロック音楽の夕べでタージマハール旅行団が出てしまう感じというか、紅白歌合戦にセックスピストルズが出演みたいな感じというか。いや、どれもテキトーに書いてるだけなので気にしないで下さい (笑)
当時、私は小学校5年生。午後10時から放送されていた「夜のヒットスタジオ」を見ていたはずもなく、またもし見ていたとしても、当時はきっと意味が分からなかったことでしょう。
1982年 3月22日「夜のヒットスタジオ」 / 忌野清志郎 + 坂本龍一
- い・け・な・い ルージュマジック
2月にシングルリリースされた楽曲で、早速のテレビパフォーマンス。
ハシゴに座る白レオタードねーちゃん軍団と演奏者のギャップがおもろすぎです。
1982年 6月14日「夜のヒットスタジオ」 / RCサクセション
- Summer Tour
有名な、ガム吐き捨て事件の時の映像。
特に後半、忌野さんもチャボさんもテレビカメラに向かって挑発しまくり。
楽曲はやや時代を感じさせますが、演奏のキレは最高で、まさに RC 絶頂期。
こののち、年末に「Beat Pops」をリリース。翌 1983年にはツアーの疲労、不摂生(?)、ストレスその他で体調不良のなかハワイで完成させた「OK」、その後のツアーの (ややダレた?) ライブ盤「The King of Live」などが続きます。
1984年 8月30日「スーパーフェス ’84 KING OF LIVE!」 / RC サクセション
- よぉーこそ (タイトルロール部分で)
- ベイビー! 逃げるんだ
- 不思議
- Summer Tour
- ドカドカうるさい R&R バンド
- 雨あがりの夜空に
- 上を向いて歩こう
- キモちE
前回の所沢球場フェスから3年後の圧倒的ライブ演奏。RC 絶頂期ど真ん中という感じです。
数ヵ月後にリリースされる「Feel So Bad」から「不思議」がはやくも演奏されています。
1985年 5月 1日「夜のヒットスタジオDELUXE」 / RC サクセション
- すべては Alright (Ya Baby)
RC としての最後の「夜のヒットスタジオ」出演。RC 円熟期のタイトな演奏。
4月にシングルリリースされたばかりの新曲 (年末にリリースされた「Heart Ace」に収録) をはやくも演奏。
1986年12月13日「オールナイトフジ スペシャルコンサート」 / RC サクセション
- In The Midnight Hour
- Shake
- 雨あがりの夜空に
- スローバラード
- 君はそのうち死ぬだろう
- ブン・ブン・ブン
- Lonely Night (Never Never)
- キモちE
「オールナイトフジ」に出るのを渋っていたのか、冒頭や途中の MC では「こんな番組に俺たちが出るとはよう」とか「爆風スランプみたいなイモバンドが出る番組だとバカにしてたぜ」みたいなことをブツクサと言ってます。客層もあまり気にいらなかったのか、小馬鹿にしてるんだかなんだか分からない事を言ってます。「女子大生ベイベー。もう最後の曲になっちまったぜ。あとは帰ってオナニーしてください」とか。
冒頭のウィルソン・ピケットとオーティス・レディングのカバー二連発はなかなかハマってますし、「君はそのうち死ぬだろう」もかなりイイ演奏ではあるものの、その他お馴染みの楽曲については、ややアレンジが崩れているというか、マンネリ化していたといわれる RC の実情がそのまま演奏に表れているように聞こえてしまい、やや残念です (本当は単にミキシングの問題だけだったりするのかもしれませんが)。
「ブン・ブン・ブン」演奏前に「俺のダチ、ビートたけしに捧げるぜ」と言っているのは、12月9日に起こった フライデー襲撃事件 でビートたけし氏が逮捕されたことに呼応したもののようです。
1987年 3月18日「夜のヒットスタジオ DELUXE」 / 忌野清志郎 w/ Razor Sharps
- Around The Corner / 曲がり角のところで
忌野さんのファーストソロアルバム「Razor Sharp」からのシングル。
ほとんどブロックヘッズのメンバーで構成されたバックメンバーと凱旋来日(?)中のテレビ出演。とにかく楽しそうにやってます。実際の音は、別にイアン・デューリーっぽくもないし、RC っぽさもそんなに感じられない 1980年代中盤に典型的なポップスな感じで面白いです。
1989年10月13日「ヒットスタジオ R&N」 / The Timers
- タイマーズのテーマ
偽善者FM 東京- デイ・ドリーム・ビリーバー
- イモ
- タイマーズのテーマ (エンディング)
そして、動画共有サイトでもお馴染みの、この伝説の演奏も無事に (例の放送禁止用語部分は「ピー」が入っていますが) 再放送されました。めでたしめでたし。
アルバム「The Timers」リリースを翌月に控えた出演。
個人的には、初めて (限りなく) リアルタイムでテレビで見た忌野さん (に似たゼリーさん) がこの放送でした。大学1年生の秋、大阪の下宿の小さなテレビで口あんぐりで見たのを覚えています。記憶が定かではないのですが、当時 R&N は関西では放送されてなかったように思うので、どうにかしてビデオ録画した (してもらった) テープを見たということなのかもしれません。その辺の経緯をイマイチ思い出せません。。。
1991年 6月 7 日「ヒットパレード90’s」 / 忌野清志郎
- パパの歌
当時シングルでもリリースされ、そこそこヒットしましたね (いまだと「入門編」あたりのベスト盤で入手するのが楽か)。歌詞は糸井重里氏によって書かれたものなので、忌野さんテイストとはちょっと違いますけど。
演奏スタイルやアレンジは、これ以降年を重ねられる毎にさらに顕著になっていく「まっとうに作りこまれたほんのりソウル風味のほんわか王道ポップス」「必要以上に不良ぶったりせず素直に楽しく歌ってます」的なタイプの先駆けとでもいうか。
初期〜「シングルマン」時代と、RC 全盛期との間に (少なくとも表面的には) 演奏・アレンジ・歌詞・歌い方などの傾向に大きな断絶がありますが、この「パパの歌」、RC 時代を意識的に避けてか意外と試行錯誤の印象があるソロ初期から、吹っ切れて実直に歌うようになる晩年への変化を先取りしたものだったのかもしれません。「こんな感触で歌うのも悪くないな」という風に忌野さんが当時思われたのかどうか。
確かに、この頃から、若い頃のツッパリっぽい態度が薄れてきて、はにかみ笑顔が似合うようになってきました。それでも歌唱力や音楽的レベル、表現欲求、毒気、、、が全く落ちずに最後まで続いたのは本当に特筆すべきことでしょう。
1991年 6月28日「ヒットパレード90’s」 / H.I.S.
- 夜空の誓い
そして以前「平成の歌謡曲」という記事を本サイトに書いた HIS の演奏。まさにこの放送日当日にファーストシングルとしてリリースされた名曲の演奏。細野晴臣さん、坂本冬美さん、忌野さん、みんなステキです。
1991年に生み出された日本のポピュラー音楽史上稀有の大名盤と信じて疑わないアルバム「日本の人」が本当に愛おしい。坂本冬美さん名義で 2005年にリリースされたシングル「幸せハッピー」のあと、ぜひ、せめてもう1枚は、アルバムを残してもらいたかったのですが。。。
1992年 2月 7日「G-STAGE」 / 忌野清志郎
- Boys
忌野さん憧れの Booker T & The MG’s とメンフィスで録音した、RC 解散後では初のソロアルバム「Memphis」からシングルカットされた「世間知らず」のカップリング曲。もうあっけらかんとしたフツーのポップソングという趣。
忌野さん一人だけがステージに立ち、カラオケ状態で歌ってるのがなんか不思議です。4月から MG’s と全国ツアーにまわったのですが、まだ MG’s の面々は来日する前のテレビ出演だったということでしょうかね。
この時の全国ツアーしょっぱなの大阪公演が、私が唯一行った忌野さんのコンサートでした。ステージ上で「すげえだろ!ブッカーTとMG’sとステージに立ってるもんね!」と子供の様に興奮しながら歌っているその姿は面白かった。
ソロアルバムとしては可も不可もなくの佳作・良作といったところでしょうか。のちに、吹っ切れてかつ円熟味を増した忌野さんと MG’s (というかスティーブ・クロッパー軍団) のコクのあるサウンドが完璧に結実するのは、ラストアルバムで最後の大傑作、忌野さんの最終到達点となってしまった「夢助」を待たないといけないわけですが。。。
1995年10月23日「Hey! Hey! Hey! Music Champ」 / 忌野清志郎
- 君だけにわかる言葉
スクリーミングレビューをバックに、もはや円熟味すら感じる忌野さんが聞かせるソウルフルなアレンジの王道ラブソング。いわゆるナッシュビル録音のシングル三部作のひとつで、どれもが「いま」の忌野さん (怒りと、はにかみと、スケベさと、透明な心と、いい加減さと、生真面目さが絶妙なバランスでブレンドされた、あるいはそういったキャラクターの演じ方) らしい、雛形的名曲。
この時期のマッシュルームヘアーみたいな髪型はどうなんでしょうか。。。
1996年 2月12日「Hey! Hey! Hey! Music Champ」〜忌野清志郎スペシャルライブ〜
- Good Lovin’
- Sweet Soul Music
- I’ve Got Dreams To Remember
- トランジスタ・ラジオ
- 雨あがりの夜空に
- ドカドカうるさい R&R バンド
- スローバラード
- Razor Sharp キレる奴
再び大所帯のスクリーミングレビューをバックに繰り広げられる異常な程ソウルフルなステージ。全体的なアレンジはスタックスソウルというよりはフィリーソウル系も入ってる感じ。
ナッシュビル録音シングル三部作の2枚目「Good Lovin’」もコクのある名曲。相当イイです。ソロ活動開始後、最初の表現者的・音楽的なピークがまちがいなくキテます。
折角のホーンセクションの音が、ミキシングのせいかオフマイク気味なのが残念。当日ステージ前でかぶりつきで観てた人はちゃんと聴こえてたんでしょうけど。。。
このバンドでの「Razor Sharp」のライブ演奏は貴重かも。
1996年 6月10日「Hey! Hey! Hey! Music Champ」/ 忌野清志郎
- 世界中の人に自慢したいよ
ナッシュビル録音三部作の3枚目。これまた「いま」の忌野さんを代表するベタで胸キュンでソウルフルな名曲 (当時のプロモーションビデオは こちら)。バックのゴージャスな大所帯コーラス隊が壮観です。
この三部作シングルをベースに、スクリーミングレビューのアルバムを1枚でも作っていたら、どんなにか素晴らしいものになっていただろうかと悔やまれます。三枚のシングルが大して売れなかった、更に (忌野さんに「シングル3枚連続で出して、それをベースにアルバム作ろう」と最初に持ちかけた当本人の) レーベルの担当者が突然会社を止めた、などなど、いろいろ事情があったようです。
ちなみにオリコンでのランキングは、 「君にだけわかる言葉」と「世界中の人に自慢したいよ」はチャート圏外、「Good Lovin’」だけがかろうじてランクインし、最高98位だそうです。
1996年12月16日「Hey! Hey! Hey! Music Champ」 / 忌野清志郎と篠原涼子
- パーティーをぬけだそう!
この時点で、スクリーミングレビューをスリムにした Little Screaming Revue によるバンドのツアーも始まっていましたが、11月に突然 (?) 篠原涼子さんとのデュエットによるシングルをリリース、その直後のテレビ出演ということになるようですが。
よっぽど、スクリーミングレビューの時のゴタゴタ (シングルは売れないわ、担当者は辞めるわ、アルバム製作の話もどっか行ってしまうわ) で怒りモード再発になっていたのでしょうか、ここでの忌野さんは不良っぽさ全開のパフォーマンスです。冒頭で篠原さんにキスしてるし、後半にかけては恍惚とした目の篠原さんとエロくからみまくるし。「ここまでやってやればヒットするのかよ」「てめーらどうせ俺の作る名曲は分からねーだろ」的なニュアンスが濃厚のステージ。
けど、やっぱり、オリコン最高位48位 と、売れなかったようです。。。
しかし、どうにもこうにも、篠原さんの歌がヘタなので、正直聞くのが辛い。。。
( . . . . 「その2」へ続く . . . .)