なに、好きなお湯割りを少しばかり

早朝テニス が終わり帰宅後、ふと思い立ち、自転車に乗って 三条のイノダってコーヒー屋へ、じゃなくて、 吉祥寺の いせや本店 に行ってきました。昼飯がてら。

背中を若干まるめつつ、立ち飲みコーナーに佇む、ヤニで髭が茶色くなった 高田渡 さんを見かけることはもちろんもうできませんが、25年振りに吉祥寺を訪れたという隣の年輩のご夫婦と談笑しつつ、焼酎呑みながらたらふく食いました。そして会計を済ませたあと、自転車を押しながら桜が満開の井の頭恩賜公園へ。

[高田渡アンソロジー]

高田渡アンソロジー
(avex io IOCD-40120/23)

この 4枚組 CD は初回限定生産なのですが、やはり白眉は 4枚目の「レア・トラックス」に尽きます。

CD 1枚目はファーストアルバム「高田渡・五つの赤い風船」の A面に収録された 6曲 (スタジオライブでの観客の反応がちょっと時代を感じますが…)、及び URC 時代のシングルリリースを追加したもの。

CD 2枚目は、セカンドアルバム、フルアルバムとしては1枚目の「汽車が田舎を通るそのとき」をそのまま収録。この時点で晩年まで続く高田渡ワールドが完成したといってもいいでしょう。いや、こんなアルバムに纏まるはるか以前から、高田さんはすでに高田さんだったのでしょう。たまたまスタジオ録音のアルバムとしてしっかり纏まったのはこれが最初だったということで。続く大名盤「ごあいさつ」はキング (のちにベルウッド) からのリリースのため、この 4枚組には収録されていません。

CD 3枚目は「フォークジャンボリーの高田渡」と銘打たれ、1969年から1971年までのライブパフォーマンス16曲を収録。恐らく、フォークジャンボリーに出演していた他のアーティストの音源と一緒に聴けば、高田さんがこの時点から完全に孤高のポジションを得ていたことがよりはっきりすることでしょう。後年ののんだくれ MC ではありませんが、この時期から既に照れかくしの様な微妙な MC をしているのが興味深いです。

CD 4枚目は「レア・トラックス」。1968年 (!) の第3回フォークキャンプから2曲、1969年の第4回フォークキャンプから1曲、1969年のプロテストソング大会 (高田さんには全く似合わないコンサート名ですね) から 2曲、1971年の精神貴族フォークの集い (なんじゃこのネーミングセンスは) から 3曲。どれもこれも、その生涯を通じて唯我独尊な高田渡さんを鮮やかに聴かせてくれますが、この CD で最も重要なのは続く 7曲。 2004年2月21日井の頭公園 で収録され、 同年3月27日に ニッポン放送スーパーステーション「風のように今をいきる〜フォークシンガー・高田渡」 という ラジオ番組で放送された音源 が収録されています。

急逝される約1年前の演奏。井の頭公園の某所のベンチで 1人たたずみながら、録音マイクに向かってぼそぼそとひとりごとの様にしゃがれ声で話しつつ、寒空の下歌う渡さん。曲が終わっても拍手は聴こえず、わずかに小鳥達のさえずりと子供達の声が遠くで響くだけ。「こうやって公園で独りで歌うのは妙な気分ですね。飲んだお酒がすぐに抜けていくような。」とか「寒くなってきたねぇ」とかひとりごと MC をいれつつ歌われる 7曲全てが、まるで自分のためだけに演奏してくれているかの様な錯覚を覚える程生々しく、そして改めて涙を誘われてしまいます。最後の曲になると、どうやら女性の方が 1名、高田さんの前に陣取っていたようで、ふたりで話しながら演奏に突入。さっきまでのヨレヨレ声から一転して急に力の入った歌唱と演奏になるのがさすがです。

きっと、これの収録が終わったあとは、いせや本店に直行されたんでしょうね。 恐らく、収録前も一杯ひっかけてたんでしょうけど。

最後に収められている1曲は、なぎらけんいちさんの「昭和の銀二」。1972年、五つの赤い風船・解散記念ライブでの演奏。高田渡さんはマンドリンを弾いておられます。なお、なぎらさんは本 CD でライナーノーツも書かれています。

音楽的スタイルは違うけれども、高田渡さんは間違いなく 日本のブルースシンガー です。 その思いを、この CD 4枚組を聴いて新たにしました。

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