How The Funk Was Won: The Simonger & Funk Story, Pt. 1

はやいもので インタビュー Pt. 0 (ちびっこインタビュー編) 公開から、はや1週間が経過してしまいました。

当該記事へのアクセスも非常に多く、いかに多くの方々が今回のインタビューに興味を持って下さっているかが分かり、身の引き締まる思いです。

さて、今回の Pt. 1 から、いよいよインタビュー本編へと突入します。とはいっても、サイモンガー&ファンク が登場するのは、まだまだ先です(今の予定では、Pt. 5 か Pt. 6 あたりになると思います 笑)。

今回は、サイモンガーさんとファンクラ大臣さんの小・中学生の頃のおはなし です。どんな音楽がきっかけで楽器や作曲を始めることになったか、その源流についてのパートになります。

なお、実際のインタビューの時系列のまま掲載しているわけではなく、インタビュー全体から流れを再構成していますことをご了承ください。また、11月7日のインタビュー後に、メールやチャットでお三方から追加情報を適宜いただいており、それらも反映されたものとなります。

では、お楽しみください!




インタビュー登場人物

サイモンガーさん

サイモンガー(加藤)さん

ファンクさん

ファンク(小野寺)さん

大臣さん

ファンクラ大臣(陶山)さん

筆者の娘 (8歳)

筆者の娘(8歳)
(写真は5歳当時)

筆者

筆者




Pt. 1: サイモンガー meets 大臣(の前夜)

Pt. 0 から続く)

いやー、もう、ここまでの娘のインタビューだけでも、たらふく伺いましたが(笑)
(笑)
せっかくなので、一応最初の方からというか。皆さんが子どもの頃にどういう風に楽器を始められたとか、皆さんがどんな風に知り合ったかとか。
なんでしたっけ、ファンクさんとサイモンガーさんがものすごくヒマなバイトで知り合って、でしたっけ。
(爆笑)
それで、休憩室で延々打ち合わせをされていた話でしたっけ、そういったところから伺えればと。
それね、我々のストーリーの中では、おそらく半ば以降にでてくる話ですよ。
(そうそう、と頷く)
半ば以降!え、そんなにもっと前があるんですか?!
いや、なんせ、我々の付き合いは、ここ30年なんで。
そう、30年、いや、31年かな。
ってことは高校生くらいの頃ですか?
そう、高校。高校1年生かなぁ。
出会ったのは、正確には中3なんだよね。ハヤシ楽器で。
え、そうだっけ?
ああ、(大臣が)DW-8000、いやちがう、DW-6000 買いに行ったときでしょ?
そう、そうそう。
へ~!それはすごいですね。そんなに長いお付き合いがあったんですね!
まあ、一緒にバンドをやりはじめたのは高1からなんですけど。中3の時に楽器屋で会ってるんですよ。
うむ。もう、あれですよ、(大臣は当時)いわゆる豊川の「花形満」ですよ。
(大爆笑)
じゃあ、ちょっとさかのぼって、自分の音楽遍歴からいくんですけど。
はい、ぜひおねがいします!



サイモンガーさん、はじめのはじめ

小学生の時にですね、YMO というバンドとの出会いがありまして。
はい、はい。
で、家が喫茶店なんですけど、喫茶店のお客さんがウォークマンを貸してくれたんですよ。
へぇー。

サイモンガー・モバイルファンの間では有名な、ご実家の喫茶店。私もいつか機会があればぜひ伺ってみたいと思います。けど、豊橋って、通過したことしかないんですよね。。。「たまに豊橋に止まる」ひかり号に乗って行けばいいんでしょうね(笑)

そのお客さんに「ウォークマンで何が聴きたいか」って聞かれて、「YMO が聴きたい!」って答えたんですよ。
で、YMO のテープをウォークマンと一緒に借りまして。えーっと、あれは確か、ファースト(Yellow Magic Orchestra)とセカンド(Solid State Survivor)が2枚一緒に入ったカセットで。
「ツイン・スーパー・ベスト」的なね(笑)

やはり出て参りました、イエロー・マジック・オーケストラ の名前。サイモンガーさんの音楽的源流はここにあったんですね。

そう。それで、それを聴いているうちに、シンセサイザーがやりたくなってきて、って話になるんですけど。
けど、小学生が(親に)ねだるものとしては、シンセサイザーは高すぎたんですよね。
そうですよねぇ。1980年代前半のシンセですからねぇ。
で、その中でも欲しいシンセってのがいくつかありまして。けど、安いやつから選ぶんですよ、親に気を遣って(笑)それでも、YAMAHA CS-10 ってのが当時 82,000円。KORG MS-20 ってのは 98,000円とかで。これはちょっと親にはねだれねぇなぁ、と思って。

わたしが、このくだりで一番びっくりしたのが、サイモンガーさん、とにかく記憶力が抜群だったことです。当時の定価を、よどみなくスラスラと話されるその姿、本当に当時の加藤少年が、どれだけシンセに夢中になって、欲しくて欲しくて仕方がなかったか、楽器店に通ったりカタログを穴があくほど読んだり、きっとされてたんだろうなぁ、と思いました。

けど、確かに私も「PC-8001の定価は168,000円」「MZ-80B/80B2の定価は278,000円」「X1D (CZ-802C) は198,000円、ディスプレイのCZ-802Dは128,000円」「ぴゅう太は59,800円」とか、すらすら出てきます(笑)

で、ぐっと安い、YAMAHA の「ポータサウンド」、36,000円だったんですけど、それにして。これはシンセじゃないんですよ。伴奏機能のついたちっちゃいキーボードなんですけど。それを買ってもらって。

私(インタビューア)もサイモンガーさんや大臣さんの一つ下の学年、つまりほぼ同世代ですので、当時ポータサウンドについて知っていてもおかしくなさそうなものなんですが、私はクラシックピアノしかやっていなかったので、シンセなどの電子楽器系は当時全然興味がいかなかったのかもしれません。

それはさておき、「ポータサウンドとの長いつきあい Vol.1」というサイトによりますと、

PS-1(1980年、32鍵、アイボリー)
PS-2(1980年、37鍵、チョコレート色)
PS-3(1980年、44鍵、チョコレート色、36,000円)
PC-100(1982年、78,000円)
MK-100(1983年、59,800円)

と、この辺りが当時の加藤少年の心をときめかせたポータサウンドということになりそうですね。

YAMAHA Portasound PS-3
それを買ってもらって、なんとなく YMO を弾くところから始めて。弾けないんですけど当時は(笑)
で、中学生になったら、多重録音をやっている友達がいまして。
へぇ。ちなみに、当時はなにで多重録音されていたんですか?
いや、ダブルラジカセで(笑)
あー、なるほどー!(笑)
そうそう、そうなんです。ダブルラジカセで一個ずつピンポンする、っていう多重録音で。それをやっていた友達というのが、いま漫画家をやっている 河井克夫 さんなんですけれども。
その友達の家に行って、ポータサウンドで録ったものを多重録音したりとか。そのうち、自分でもダブルラジカセ買ってもらって、家で多重録音したり。
だから、最初は「バンド」とかではなくて、私の音楽は「多重録音」から始まってるんです。
打ち込みみたいな、ね。
そうそう。
DTM から始まってるってことだよね。
そうそう、DTM から始まってるんです。
まあ、当時はシーケンサーとかもなかったですし、なんせポータサウンドしかなかったんで。
で、いちばん近所に ハヤシ楽器 というのがありまして。そこに通っておりました。同級生の女の子の家でもあったんですけど(笑)
(笑)
そこに、本当に毎日のように通ってたんですよ。
そこで、中3のとき、初めて当時の大臣と出会ったんです。
へぇ、その頃に出会っておられたんですね。



ファンクラ大臣さん、はじめのはじめ

じゃあ、ちょっと話を戻しまして。今度は、自分の歴史語りをしますと。
はい。お願いします。
大臣の「空白の時期」だよね(笑)
僕はサイモンガーとは全然反対で。
2歳からヴァイオリンを始め、3歳からピアノ弾いて、5歳から作曲を始め、6歳からドラム叩き、小学校に入ったらラッパを吹き。そんな風に音楽は英才教育(笑)で来たんですよ。ずっとそれで来ていて。
で、ベースはですね、出会ったのは ヒカシュー なんですよ。
へぇ、ヒカシューですか。
小学校4年だか5年だかの時に、ヒカシューの 巻上公一 さんが、ベース弾きながら、こう、クネクネ歌ってるわけですよ。それをみて「これだよ!!」と思ったんです。
その時から「俺はベースを弾いて歌を歌う!」と、人生決めてたんです、小学生4、5年の時から。

大臣さんの口から「ヒカシュー」という名前が出てきたことも、大変意外でした。

そういえば、あれ、ヒカシューのベーシストって、坂出雅海 さんじゃなかったっけ、と思ったのですが、後日大臣さんに確認してみたところ、「(テレビで初めて観た)ヒカシューでベースを弾いて歌っていたのは、紛れもなく巻上さんです。坂出さんは、4枚目から加入され、ベース専任となり、巻上さんがヴォーカル専任になりました。」 とのことです。

以下のビデオは、当時の陶山少年が観た番組そのものではないそうですが、同時期のヒカシューの映像として紹介してくださいました。確かに巻上さんがベースを弾かれてますね。

で、小学5年生の時に、サイモンガーは豊橋という町にいたんですけど、僕はその隣のちょっと小さい豊川という町に住んでまして。その豊川の町の楽器屋さんとかだと、中古のベースとかないわけですよ。で、その、町の小さな楽器屋さん(笑)で、たまたま、2万円でヴァイオリンベースが売ってたんです。
おー、ヴァイオリンベースですか。
ヴァイオリンベースといっても、Paul McCartney の(Hofner の)ヴァイオリンベースじゃないんですよ(笑)
ブルーコメッツ(の高橋健二さん)が弾いてた、黒いヴァイオリンベースで。それを小学校5年生の時の誕生日プレゼントに買ってもらったのが、最初のベースなんです。

でました、伝説の ファーストマン バロックベース

大臣さんは、この人生最初のベースを、今でも大事に所有されているそうです。

Firstman Baroque Bass
  • 参考: F2
    (ファンクラ大臣の増え~る(?)-BASSINDEX-)
けど、それだけ大臣さんが小さい時から音楽の英才教育を施されてたご両親は、息子が「ベースが欲しい」といったら。
けど、ベースも全然オッケーだったんでしょ、まあベースも含めて。まあサイモンガーじゃないけど、小学校の4~5年くらいから、ダブルカセットで自宅で曲を作って。まあ曲自体は、小学校入る前から、ピアノ習っているときに作曲してたんですけど、ヤマハをやってたので。
なるほど。
それでさっき言ったヒカシューとの衝撃の出会いがあって。ベース弾いて歌うんだ、と人生決めて。
そのあと、中学でも、実はいくつかバンドはやってたんですよ。学園祭バンドみたいなものを。けど、なんせ「バンド」になるようなレベルではなかったんです。
いやー、大臣さんの源流がヒカシューだとは、想像してませんでした。
で、確か中学2年のときに、当時「かごやはうす」っていうライブハウスに入り浸ってたんですけれども、爆風スランプっていうバンドが初めて来て。
それまでは、ベースって指でこうやって弾くもんだと思っていたんですが、それが親指でバッチンバッチン弾いてるわけですよ。
「なんだこれは?!?!」ということになりまして。そこで人生変わっちゃったかなぁ、と思いますよね。
へぇ。じゃあ、そっからはもうずっとチョッパー一筋で。
そうなんです。そのときからなんです。

いやはや、まさか 爆風スランプ の名前が、インタビューで出るとは、想像だにしていませんでした(笑)ファンクラ大臣さんは 江川ほーじん さんのプレイに衝撃を受けてチョッパーベースの道に進まれた、と。

インタビュー後、大臣さんにいろいろ確認してもらったところ、豊川の「かごやはうす」で爆風スランプを観たのは、1983年頃 のことだそうです。デビューシングル「週間東京『少女A』」とデビューアルバム「よい」のリリース日は1984年8月25日ですので、メジャーデビュー前の爆風ということになります。

また、爆風スランプの思い出 というサイトの ヒストリー をみると、「1983年7月 初のライブツアー敢行」とありました。よって、大臣さんが爆風スランプをかごやはうすで見たのは 1983年7月〜12月 ということになりそうです。

のちに大臣さんのご好意で、当時の(デビュー前の)爆風のライブ音源を聴かせていただきましたが。いや、これは本当に凄いですね。いわゆる「爆風スランプ」と聞いて思い描くであろう、後年のあのイメージとはまるで違いました。。。

「ありがとうEVERYBODY」「ええじゃないか」「ゴジラの愛」「ふんだりけったり」「ポックリクラブ」その他。。。もっと荒削りで、もっとハチャメチャで、もっとパンクで。いっぺんで気に入ってしまいました。あー、当時知っていればなぁ。

デビュー直後のスタジオライブが YouTube で公開されていたので、参考のためにはっておきます。




のちのサイモンガーさん、のちの大臣さん、ついに出会う?

そして、お二人が出会われた、と。
そう。そのハヤシ楽器で、中3の時です。

なお、お二人が初めて出会われた ハヤシ楽器 は今でも営業しているそうですが、現在では楽器販売はしておらず、スタジオのみの経営となっているとのことです。

そこで、同じくらいの歳の、いや、ふけて見えたな、確か(笑)まあ、なんか、お兄さんがいて。
(爆笑)
そのお兄さんが「シンセサイザー買いにきた」って言って。
いや、あの時はベース弾いてたんだよ。MOON のベースをさ、バッチンバッチン。
あー、そうそう、そうだったよね。チョッパーベースを弾いてた。
なるほどー。
だってこの人(大臣)、当時はチョッパーベースしかできなかったもん。あとから話きいてみたら。
(爆笑)
いや、まぁ、それで、チョッパーベースをバッキンバッキンキメてて、ずっと弾いてるんで。
あれ、あんときは話をしたんだよね?
いや、あのときはしてない。
あとから(その時の話を)聞いて、「えーっ、あの時の!」って。
とにかく、すげぇ奴がいたもんだなぁ、と当時思ってたんです。
で、そのお兄さんは、ベースをひとしきり弾いたあと、ベースを弾いたあとですよ、なんとシンセを買って帰ったんですよ(笑)
(爆笑)
それが KORG DW-6000
Korg DW-8000

1985年に発売されたKorg DW-8000
(大臣さんが当時購入されたのは下位機種の DW-6000)
(original photo by Matt Perry. CC BY-SA 3.0)

いやー、ホントに 花形満 ですよ、これは!
(爆笑)
スポーツカーで学校のグラウンドに来る、みたいな(笑)
だって、DW-6000 は当時16万とかしましたよね。
(注:当時の定価は184,000円だったそうです)
いや、あれはね、高校の入学祝いだったんですよ。
とにかく、あの時は MOON のベースが弾きたくて。今でいう「ハイエンド」な楽器を弾きたくて。「うわぁ、MOON だ!弾かせてもらえる!」ってな感じですよ。
いやー、ホントに「すげぇ奴がいたもんだ」と思いましたよ。
あれですよ、今より20kgくらいやせてましたよ、大臣。
当時の写真、持ってきたよ。
え、当時の写真ある?
持ってきましたよ。
(ゴソゴソ)これは高校1年生の頃の写真ですけど。
わー、すごい!
若かりし日の、現ファンクラ大臣さん
(爆笑)
(娘に向かって)これ、大臣さんの若い頃の写真だって。
!!!!
どっちがイケメンですか?この写真と今の大臣さんと(笑)
。。。。わかんない!
(爆笑)
いや、実際当時、この人、モテてたんですよ!
まあ、そんな感じで中学3年の時の出会いがあり。当時はことばも交わしてなかったんですけど。
そして高校に入ってからなんです、本格的にふたりが出会うのは。



YMO、ヒカシュー、爆風スランプ。今回のパートでも、意外な名前が出てきました。ところが、爆風スランプについては、次回 Pt. 2(豊橋・豊川での高校時代、お二人がそれぞれバンドを組まれる話など)で触れるエピソードで、とても重要な意味を持ってきます。ぜひ覚えておいてください。

かたや、YMOによるポータサウンドとダブルラジカセ。かたや、ヒカシューと爆風スランプによるベース。こんな対照的なおふたりが、その後30年以上も盟友として音楽活動をされているのは、本当に興味深いものがあります。

なお、前回の インタビュー Pt. 0 で大活躍だった娘は、今回のインタビュー辺りではだんだん飽きてきていて(笑)ほとんど登場してきませんでした。

また、ファンクさんも今回ほとんど登場しませんでしたが、ご安心ください。現在の予定構成案では、Pt. 4 で最初の大フィーチャーとなります!(笑)

それでは、次回も乞うご期待ください!




おまけ:サイモンガーさんと大臣さんの年表(〜中学生)

1969年
現サイモンガーさん、現大臣さん、同じ年に生誕
1971年〜1975年
大臣、2歳にしてヴァイオリンを弾きだす
大臣、3歳にしてピアノを弾きだす
大臣、5歳にして作曲を学び出す
大臣、6歳にしてドラムを叩き出す
大臣、小学校に入ったらトランペットを吹き出す
大臣、ヤマハで学び、小学生の頃から作曲も始めていた
1979〜1980年頃
陶山少年、ヒカシューに出会い、くねくねベースを弾き歌う巻上公一さんの姿に衝撃を受ける
大臣さんからの追加情報:「長いですが、この番組 (1981年のヒカシュードキュメンタリー) は一生忘れられません。 人生の最初のモチベーションです。」
1980年
小学校5年生の陶山少年、豊川の小さな楽器屋でヴァイオリンベースを2万円で買ってもらう(ファーストマン バロックベース)小学校の誕生日プレゼントとして。
1980年頃
小学生(おそらく5年生頃)の加藤少年、YMOと出会う。
実家の喫茶店にて、お客さんからYMO(YMO(1978) + Solid State Survivor(1979) のツインベスト)をウォークマンで聞かせてもらう
1981年2月
加藤少年、がぜんシンセサイザーが欲しくなり、親にねだって買ってもらう(ヤマハ ポータサウンド PS-3
1981年
加藤少年、すでにダブルラジカセを持っていた河井克夫さんの家で、ポータサウンドで多重録音したりしていた
1982年
中学生の加藤さん、ダブルラジカセを買ってもらい、自宅でも多重録音開始
1983年
中学生の陶山さん、豊川のかごやはうすでメジャーデビュー前の爆風スランプを観て衝撃を受ける。特に江川ほーじんさんのチョッパーベース。
大臣さんからの追加情報:「爆風ライブ、最初に見たのは中2なので、昭和58年で正解です。お二人(ファンキー末吉さん、江川ほーじんさん)は、現在 アーリー爆風トリビュート というバンドで、まさに僕がみたデビュー前の爆風スランプの曲を再演ツアーされています。」
1985年1月〜3月(中3の3学期)
陶山さん、加藤さん、豊橋のハヤシ楽器店で出会う(この時は声をかけてはいない)
陶山さんはMOONのベースをひとしきり弾いたあと、KORG DW-6000 を買って帰る

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