またまた長らくお待たせしました。今回の インタビュー Pt. 3 では、1988年〜1994年頃、しばらくバンド活動をお休みされていた時期です。ミュージシャンならずコレクターの皆さんもにやりとさせられるエピソードが満載です。まさかインタビューで「西新宿のコレクターズショップ」「レコード・コレクターズ」誌の話が出てくるとは思ってもいませんでした(笑)
サイモンガー&ファンク、サイモンガー・モバイル、ファンクラ大臣の歴史を紐解くインタビュー、毎回興味深く熟読している。モンガ氏とは全くの同世代なのだけど、いや〜うちの学校周りにはこんな人達いなかったなー 凄すぎる。 https://t.co/h2G1DiG3OR
— 上海マリー (@marie_shang) December 4, 2015
例の連載インタビュー、パート2がアップされました。ボリュームあり過ぎる。
Posted by サイモンガー・モバイル on Wednesday, December 2, 2015
いよいよ第2弾いただきました〜! われわれの歴史を紐解いて頂く、スーパーロングインタビュー。 読み応えがありすぎます!是非とも。
Posted by ファンクラ大臣 on Monday, December 7, 2015
インタビュー パート0(ちびっこインタビュー編)、パート1(サイモンガーさんと大臣さんの小中学生時代〜初めて出会うまで)、そして長編となった パート2 (Extended Version)(豊橋・豊川での精力的なバンド活動編)ときました。
前回 Pt. 2 の終わりに出てきた会話を再掲します。
じゃあ「ファンクってなに?」ってなるんですけど、実は(当時は)何も聴いたことがない、という(笑)
大臣さんとサイモンガーさんが高校時代にやっていた、オリジナリティ溢れる音楽活動。
そんなお二人の状況が一変するのは、大臣さんが上京されたことがきっかけでした。全国、いや、全世界でも類をみないほど、輸入レコード・中古レコード店が密集する首都圏。ほどなくお二人も、そこで多くの音楽を掘り出し、溢れんばかりの音楽の洪水にまみれ、ホンモノに触れていくことになる、今回はそんなエピソードです。
Contents / 目次
ライブ告知
インタビューに入る前に、サイモンガーさん、大臣さんの年末のライブ告知です!年末はファンクでお楽しみください!
まずは大臣さんから。2015年12月20日(日)、三軒茶屋の グレープフルーツムーン にて行われる「momoholic in tokyo – joint live 2015 winter –」にて、momoholic、whisker pad、丸い月の下と共に ファンクラ大臣トリオ が(トリで!)出演されます。詳細は Facebook イベントページ をご確認ください。
【12/20(日)Live!!@三軒茶屋】 ファンクラ大臣トリオ! あと1週間に迫りました! 金沢のカッコイイSoulバンド”momoholic”を迎え、 ベーシストの絆がつむぐ、ステキな冬の夜のLIVE、 我々はトリです! 季節関係なく、激アツFUNKをいつもどおりぶちかましますよ〜! – – – momoholic in tokyo – joint live 2015 winter – 出演: momoholic whisker pad 丸い月の下 ファンクラ大臣トリオ! 2015年12月20日 日曜日 三軒茶屋 GRAPEFRUIT MOON Open 18:20 Start 18:45 チャージ 2,000円、1 drink 別オーダー
Posted by ファンクラ大臣 on Sunday, December 13, 2015
続きまして サイモンガー・モバイル さん。2015年12月26日(土)、新宿の ゴールデンエッグ にて、FREEFUNK さんと2マンで大忘年会ライブを行います。
12/26、新宿ゴールデンエッグで今年最後のライブ! FREEFUNKさんとともに盛り上がりますよ!
Posted by サイモンガー・モバイル on Sunday, November 29, 2015
どちらともぜひお見逃しなく!
インタビュー登場人物
Pt. 3: リスナーとしてのインプット時代
(Pt. 2 から続く)
その後、彼(大臣さん)がもともと医者になるつもりだったので、東京の予備校、そして東京のお医者さんの大学に行くわけですよ。 で、東京に行き始めたら、もうレコード一色だよね。
フラッシュ・ディスク・ランチ。私もかつてよく行きました。とはいっても、当時は大阪〜京都在住でしたので、東京に出て行ったついでに、西新宿の中古レコード屋めぐりとセットで行っていた程度ですが。最近行ってないので、また行きたいな。。。
大臣さんに後日追加で伺ったところ、そのコレクターの聖地、西新宿近辺のお店にも入り浸っていたとのことです。当時レコ漁りしながらニアミスしていたのかもしれませんね(笑)私も含めてレコードマニアの方々には懐かしい名前がざっくざっく。一部を引用してみましょう。
ファンクラ大臣(陶山)さん:
西新宿は、予備校の頃(1988年夏に上京したばかりの頃)でした。
一番最初に衝撃を受けた西新宿のレコ屋は、名前忘れたんですが、小さい公園の前にある小さいレコード屋、ファンク専門じゃあ全然ない店で、グラハム・セントラル・ステーション (Graham Central Station, GCS) の 1st, 2nd のデッドストックシールドが入荷したと、確かレコード・コレクターズだったか、ミュージックマガジンだかの広告で知って、それを買いに行ったのを覚えてます。GCS との邂逅は、実はそこです。「POW」のイメージしかなかった GCS が、ご承知の通り、1st, 2ndって、スライの流れを汲んで地味な音作りなので、興奮とがっかりの複雑な心境になったのを思い出しました。
西新宿であとからできたのが、なんだっけ? VIEW RECORD とかいったかな、ソウル&ファンク専門の、店内がキレイでレコードも高い店でした(笑)
その後は西新宿を離れて、フラッシュをはじめ、渋谷のマンハッタンレコード(もとの渋谷警察署の裏にあった)、桜上水の WAXX TRAXX、銀座とか渋谷のハンターもよくいきました。ハンターは100円でとんでもないものがたまにあったので(笑)
また、大学に入学し、市川に通っていた頃、市川駅から徒歩数分の質屋さんで GCS の「Now Do-You-Wanta-Dance」や、Kay-Gees の「Keep On Bumpin’ & Masterplan」「Find A Friend 」、Bar-Kays など、いろいろ出会いました。全部500円とかだったんですが、狂喜乱舞して買って帰って。多分、そこから泥沼が始まった気がします。まだ、モンガ(加藤さん)らが上京する前です。
いや〜、私も当時はロックやジャズのレコード漁りに夢中でしたが、どのレコードをどのお店で買ったか、その時のお店の雰囲気がどんなだったか、とか、本当によく覚えています。あの頃はみんな音に「飢えて」いたんですよねぇ。
はー、なるほどー。けど、そうやって、高校時代はなんとなくのイメージだったものから、自分の好きな音楽を見つけられたわけですね。
そう、本当に昔は輸入中古レコードが高かったんですよね。CDでのリイシューも始まってはいたものの、再発されていない人気盤も多数ありましたし。そして一番大きかったのは、中古レコード店の仕入れに任せるしかなかった、ということなんですよね。海外から直接買う手段というのは、本当に限られていた時代。
その後、2000年頃から eBay による個人間でのレコード売買が本格化しだし、ある意味価格破壊が起こりました。入手困難だと思われていた盤がアメリカではゴロゴロしていたりして、あっという間に中古屋さんでの値段が下がりだし。その一方で、ファーストプレスのオリジナル盤をみんなが買い求めるようになり、いわゆる貴重盤、オリジナル盤の類は逆に世界中で物凄い勢いで値上がりを始め。
件の「Let’s Take It to the Stage」ですと、いま eBay で検索してみたら、当時のオリジナル盤、近年のリイシューLP共に、おおよそ20ドル〜30ドル(送料別)といったところに落ち着いているようです。まあファンク系などは、ジャズやロックでいうところのいわゆる「オリジナル盤コレクター」はあまりいないでしょうしね。
JB の黄金期も、当時は高かったですよねぇ。
だから、その先のファンカデリックを聴きたくても、高くてなかなか聴けない、という。
当時「One Nation Under A Groove (1978)」を、8,000円で買って「安い!」とか言ってたんですよ。
何が悪かったって、レコード・コレクターズ「P-FUNK 特集」 ですよ!(笑)
筆者が初めてリアルタイムで買ったレココレは1989年2月号「トッド・ラングレン特集号」でしたが、残念ながら、1989年8月号「P-FUNK 特集号」を当時リアルタイムで買うことはありませんでした。のちにその内容を初めて目にしたのは、1993年10月に出版された「増刊号 ソウル&ファンク」においてでした(のちに1989年8月号も入手)。当時はすでに輸入盤 (Westbound)・国内盤 (P-VINE) 共に CD 化も進んでいたことを覚えています。
余談: 1989年〜1995年当時の P-FUNK リイシュー状況
ここで、本来の当ブログらしく(笑)、当時の P-FUNK 関係のCDリイシュー状況をふりかえってみましょう。調査にあたり、家にあるレココレのバックナンバー、そしてディスコグラファー御用達のサイト Discogs を参照しました。
日・英・米のCDリリース、パーラメントは「Parliament P-Funk Earth Tour」まで、ファンカデリックは「One Nation Under A Groove」までを列挙してみました。
1989年発売 ---------- Ace(UK)/Westbound CDSEW010 Funkadelic (1st) Westbound(US) WBCD2001 Free Your Mind... Ace(UK)/Westbound CDSEW002 Maggot Brain Westbound(US) WBCD2007 Maggot Brain 1990年発売 ---------- Westbound(US) WBCD2000 Funkadelic (1st) Ace(UK)/Westbound CDSEW012 Free Your Mind... Casablanca(US) 836 700-2 Chocolate City 1990年2月21日発売 ---------- Casablanca(US) 824 502-2 Mothership Connection 1990年3月13日発売 ---------- Casablanca(US) 824 501-2 Funkentelechy vs. The Placebo Syndrome 1990年4月20日発売 ---------- Casablanca(US) 842 619-2 Up For A Down Stroke 1990年5月18日発売 ---------- Casablanca(US) 842 620-2 The Clones Of Dr. Funkenstein 1990年6月25日発売 ---------- Polystar(JP) PSCW1009 Up For A Down Stroke Polystar(JP) PSCW1010 Chocolate City Polystar(JP) PSCW1011 Mothership Connection Polystar(JP) PSCW1012 Funkentelechy vs. The Placebo Syndrome 1990年7月25日発売 ---------- Polystar(JP) PSCW1015 The Clones Of Dr. Funkenstein 1991年発売 ---------- Ace(UK)/Westbound CDSEWD029 America Eats Its Young Westbound(US) 2WBCD2020 America Eats Its Young Ace(UK)/Westbound CDSEWD035 Cosmic Slop Westbound(US) CDWB2022 Cosmic Slop Ace(UK)/Westbound CDSEW040 Standing On The Verge Of Getting It On 1991年5月25日発売 ---------- Polystar(JP) PSCW1018 Parliament P-Funk Earth Tour 1991年6月10日発売 ---------- P-VINE(JP) PCD761 Tales Of Kidd Funkadelic 1992年発売 ---------- Ace(UK)/Westbound CDSEWM044 Let's Take It To The Stage Ace(UK)/Westbound CDSEW054 Tales Of Kidd Funkadelic Westbound(US) WBCD227 Tales Of Kidd Funkadelic 1992年3月25日発売 ---------- P-VINE(JP) PCD754 Let's Take It To The Stage 1992年4月10日発売 ---------- P-VINE(JP) PCD755 Funkadelic (1st) P-VINE(JP) PCD756 Free Your Mind... P-VINE(JP) PCD757 Maggot Brain 1992年5月10日発売 ---------- P-VINE(JP) PCD758 America Eats Its Young P-VINE(JP) PCD759 Cosmic Slop P-VINE(JP) PCD760 Standing On The Verge Of Getting It On 1993年発売 ---------- CharlieGroove(UK) CDGR101 Hardcore Jollies Priority(US) P2 53873 Hardcore Jollies CharlieGroove(UK) CDGR100 One Nation Under A Groove Priority(US) P2 53872 One Nation Under A Groove 1993年8月21日発売 ---------- Alfa(JP) ALCB835 Hardcore Jollies 1995年8月20日発売 ---------- Alfa(JP) ALCB836 One Nation Under A Groove
最初に頑張っていた日本のレーベルといえば P-VINE の印象が私も強かったのですが、意外や意外、パーラメントのポリスターでしたね。ともあれ、サイモンガーさんのおっしゃる「Westbound の Funkadelic」は、国内盤としては1992年まで入手不可能だったということになりそうです。
閑話休題。インタビューの続きです。
Pt. 3: リスナーとしてのインプット時代(続き)
まあそんな感じで、レココレも徐々に「市場価値」に迎合する方向に強く行ってしまったというか、特に2000年代に入ると。
まあそんな感じで、徐々に(レココレを)買わなくなってしまったんですけど。
これは信じがたいですね、あの頃から考えると(笑)
「Knights of the Sound Table」なんて、8,500円で買いましたもん。
こっち(豊橋・豊川)にいるときは、そこでよく買ってたんです。
その音が流れた瞬間に「買います!」って言ってました(笑)
買わせ上手だったよね。
「~~~~ぃぃぃひぃぃぃぃぃぃ、どどんたかどんどんどん!!!!」と「ペッペッペッペェ~」については、「Knights of the Sound Table」のA面1曲目、「Knights by Nights」のイントロを聴いていただくと、当時の大臣さんがいかに速攻で購入を決意したかがリアルにわかって面白いです(笑)
インタビュー時に大臣さんが「LP をサウンドテーブルに乗せてね、イントロが流れるわけですよ」とおっしゃった箇所。明らかに「ターンテーブル」のことだろうな、と思ったのですが、「それだけ Cameo 好きなんだなぁ」と(笑)
千種区の ダウンステア ですが、調べてみたところ、その後矢場町に場所を移し、その後は分かりません。もしかしたら廃業されているのかもしれません。ブログ は残っていますが、2009年を最後に更新がないみたいです。また webサイト は見事に別のサイトに変わっているようです。。。
後日、このダウンステアに通っていた時代のエピソードを、大臣さんに教えてもらいました。
ファンクラ大臣(陶山)さん:
ある日帰省したら、僕の実家で、モンガ(加藤さん)が、「名古屋で買ったんだ!」って、Graham Central Station の「My Radio Sure Sounds Good To Me」をドヤ顔で見せつけてきて。針を落として、いきなりの「Pow」で、ひっじょーーーうに悔しかった記憶があります。それがダウンステアだったんですね。
ファンクラ大臣(陶山)さん:
で、僕も一緒に行こう!ということになって、キャメオの(「Knights Of The Sound Table」の)話あたりにつながります。
あと、我々が、本当に一番参考にした資料というのがありまして。ダウンステアで、何千円以上買うとくれるとかっていってもらった、コピー(笑)。
当時たぶん早稲田の GALAXY とかいうファンクの好きな人たちのサークル?があって、そこが出してた会報みたいなののコピーでした。タイトルうろ覚えですが、「マストバイFUNK 100選」みたいな、ファンクの出来の良いレコードが、100枚紹介してあるものでした。
それはすごかったです。今思うと、中に JAM さんとかいました。
レコードジャケットの作りがA式かE式か、とか、そういう世界になってるんです(笑)
それが、さっき言った、2000年くらいからのレココレが、ロックでも(骨董品的扱いを)やり始めたんですよ。
この刻印があるのはどこのプレス工場だから高い、とか。刻印の枝番が若い方が音がいいから高い、とか。あの時代をリアルタイムで聴いてきた方々が、定年を迎えて、お金もあるわ、暇もあるわ、で、高いオーディオに走ったり、「オリジナル盤は音が特別なんだ」といってオークションで高値を呼んだり、とか。
- 参考: 比較検証 レッド・ツェッペリン PART2 その1
(紙ジャケ探検隊、1999年9月)
Beatles でも、1st アルバムのゴールド・パーロフォンレーベル、ステレオ盤が、針飛びしても30万とか、一時オークションで300万円越えをつけたりとか。
インプットの時代はあんまりバンドやってなかったもんね。
それもあって、音楽活動はやれてなかったんです。
そうこうしているうちに、ここ(大臣)とやってる「ザ・スタンダード」というバンドで上京することになりまして。
みんなで(東京に)出て行って。そして、まさにこの武蔵小杉で集まった、という。
その上京したバンドはほどなく終わってしまうんですけど(笑)
いま大臣トリオがやってるような感じの、小さい編成からスタートしたわけです。
ついに、ファンクさん登場です!!(笑)
衆議院、圧力団体、ザ・スタンダードその他多くのバンドで精力的に活動されていた高校生時代(Pt. 2)から一変、サイモンガーさんも大臣さんも、ひたすらレコ漁りの日々。圧倒的な量のインプットにより、自分達の本当に好きな音楽=ファンクのなんたるかを咀嚼し、血肉と化し、きたるべき本格的バンド活動再開への下地作りをしていた時期だったのでしょうね。
サイモンガー・モバイルやサイモンガー&ファンク、ファンクラ大臣トリオ、そしてファンクさんがかつて活動されていたバンド Afrodisiac も含め、筆者がリスナーとして聴いてすみずみまで大満足できるのは、やはり皆さんがミュージシャンである前に、圧倒的にリスナーであるからなんだよなぁ、と改めて納得した次第です。「この超絶技巧の演奏を、俺もやりたい!」ではなく、「これだけ聴き応えがあって体を動かしたくなるすごい音楽を、自分も作りたい!」である、という違いといいますか。
さて、次回 Pt. 4 は、大変お待たせしました、ファンクさんのエピソードです。
Pt. 1 では、サイモンガーさんと大臣さんの音楽ことはじめをお届けしましたが、今度はファンクさんがどのようにして音楽への興味を強めていったのか、全インタビューパートでも屈指の、とても素晴らしく心を打つエピソードです。
あのインタビューの日の感動をうまく伝えられるよう、今まで以上に心して文字起こし、編集をしたいと思います。どうぞお楽しみに!