How The Funk Was Won: The Simonger & Funk Story, Pt. 3

またまた長らくお待たせしました。今回の インタビュー Pt. 3 では、1988年〜1994年頃、しばらくバンド活動をお休みされていた時期です。ミュージシャンならずコレクターの皆さんもにやりとさせられるエピソードが満載です。まさかインタビューで「西新宿のコレクターズショップ」「レコード・コレクターズ」誌の話が出てくるとは思ってもいませんでした(笑)

例の連載インタビュー、パート2がアップされました。ボリュームあり過ぎる。

Posted by サイモンガー・モバイル on Wednesday, December 2, 2015

いよいよ第2弾いただきました〜! われわれの歴史を紐解いて頂く、スーパーロングインタビュー。 読み応えがありすぎます!是非とも。

Posted by ファンクラ大臣 on Monday, December 7, 2015

インタビュー パート0(ちびっこインタビュー編)、パート1(サイモンガーさんと大臣さんの小中学生時代〜初めて出会うまで)、そして長編となった パート2 (Extended Version)(豊橋・豊川での精力的なバンド活動編)ときました。

前回 Pt. 2 の終わりに出てきた会話を再掲します。

圧力団体は、もともと「ファンクバンド」っていうアイデンティティでやってたんですよ。
じゃあ「ファンクってなに?」ってなるんですけど、実は(当時は)何も聴いたことがない、という(笑)
(笑)
せいぜい プリンス (Prince) くらいでした、当時聴いたことがあるのは。
じゃあ、「なんか、あんな感じの」って風に、イメージでファンクを演奏されていた、と。
そんな感じですね。(インタビュー Pt. 1 で)お話ししましたように、江川ほーじんさんのチョッパーベースを目の前で観て「なんじゃこりゃ〜?!」となって。 とりあえず、チョッパーベースで16ビートでやりましょう、と。「これがファンクなんだ!」と。そんな感じでした(笑)

大臣さんとサイモンガーさんが高校時代にやっていた、オリジナリティ溢れる音楽活動。

そんなお二人の状況が一変するのは、大臣さんが上京されたことがきっかけでした。全国、いや、全世界でも類をみないほど、輸入レコード・中古レコード店が密集する首都圏。ほどなくお二人も、そこで多くの音楽を掘り出し、溢れんばかりの音楽の洪水にまみれ、ホンモノに触れていくことになる、今回はそんなエピソードです。




ライブ告知

インタビューに入る前に、サイモンガーさん、大臣さんの年末のライブ告知です!年末はファンクでお楽しみください!

まずは大臣さんから。2015年12月20日(日)、三軒茶屋の グレープフルーツムーン にて行われる「momoholic in tokyo – joint live 2015 winter –」にて、momoholic、whisker pad、丸い月の下と共に ファンクラ大臣トリオ が(トリで!)出演されます。詳細は Facebook イベントページ をご確認ください。

【12/20(日)Live!!@三軒茶屋】 ファンクラ大臣トリオ! あと1週間に迫りました! 金沢のカッコイイSoulバンド”momoholic”を迎え、 ベーシストの絆がつむぐ、ステキな冬の夜のLIVE、 我々はトリです! 季節関係なく、激アツFUNKをいつもどおりぶちかましますよ〜! – – – momoholic in tokyo – joint live 2015 winter – 出演: momoholic whisker pad 丸い月の下 ファンクラ大臣トリオ! 2015年12月20日 日曜日 三軒茶屋 GRAPEFRUIT MOON Open 18:20 Start 18:45  チャージ 2,000円、1 drink 別オーダー

Posted by ファンクラ大臣 on Sunday, December 13, 2015

続きまして サイモンガー・モバイル さん。2015年12月26日(土)、新宿の ゴールデンエッグ にて、FREEFUNK さんと2マンで大忘年会ライブを行います。

12/26、新宿ゴールデンエッグで今年最後のライブ! FREEFUNKさんとともに盛り上がりますよ!

Posted by サイモンガー・モバイル on Sunday, November 29, 2015

どちらともぜひお見逃しなく!




インタビュー登場人物

サイモンガーさん

サイモンガー(加藤)さん

ファンクさん

ファンク(小野寺)さん

大臣さん

ファンクラ大臣(陶山)さん

筆者の娘 (8歳)

筆者の娘(8歳)
(写真は5歳当時)

筆者

筆者




Pt. 3: リスナーとしてのインプット時代

Pt. 2 から続く)

まあ、先ほどまで話してたような、そういう高校時代を過ごしてまして。
その後、彼(大臣さん)がもともと医者になるつもりだったので、東京の予備校、そして東京のお医者さんの大学に行くわけですよ。 で、東京に行き始めたら、もうレコード一色だよね。
だね。
高校時代は、ファンクバンドをやりながら、あまり聞いたことがなかった(笑)ファンクに、どっぷりハマっていくわけですよ。
そう、毎週末レコード屋通いしてね。
そして彼(大臣)は毎週末下北沢の フラッシュ・ディスク・ランチ に通い。
あー、あそこですね。安いですからねぇ。
そう、フラッシュの週末大放出に行ってね。
で、私もそれに付き合って。我々も東京に出てはフラッシュに連れていってもらったりとかして、レコードを買って。

フラッシュ・ディスク・ランチ。私もかつてよく行きました。とはいっても、当時は大阪〜京都在住でしたので、東京に出て行ったついでに、西新宿の中古レコード屋めぐりとセットで行っていた程度ですが。最近行ってないので、また行きたいな。。。

大臣さんに後日追加で伺ったところ、そのコレクターの聖地、西新宿近辺のお店にも入り浸っていたとのことです。当時レコ漁りしながらニアミスしていたのかもしれませんね(笑)私も含めてレコードマニアの方々には懐かしい名前がざっくざっく。一部を引用してみましょう。

ファンクラ大臣(陶山)さん:
西新宿は、予備校の頃(1988年夏に上京したばかりの頃)でした。
一番最初に衝撃を受けた西新宿のレコ屋は、名前忘れたんですが、小さい公園の前にある小さいレコード屋、ファンク専門じゃあ全然ない店で、グラハム・セントラル・ステーション (Graham Central Station, GCS) の 1st, 2nd のデッドストックシールドが入荷したと、確かレコード・コレクターズだったか、ミュージックマガジンだかの広告で知って、それを買いに行ったのを覚えてます。GCS との邂逅は、実はそこです。「POW」のイメージしかなかった GCS が、ご承知の通り、1st, 2ndって、スライの流れを汲んで地味な音作りなので、興奮とがっかりの複雑な心境になったのを思い出しました。
西新宿であとからできたのが、なんだっけ? VIEW RECORD とかいったかな、ソウル&ファンク専門の、店内がキレイでレコードも高い店でした(笑)
その後は西新宿を離れて、フラッシュをはじめ、渋谷のマンハッタンレコード(もとの渋谷警察署の裏にあった)、桜上水の WAXX TRAXX、銀座とか渋谷のハンターもよくいきました。ハンターは100円でとんでもないものがたまにあったので(笑)
また、大学に入学し、市川に通っていた頃、市川駅から徒歩数分の質屋さんで GCS の「Now Do-You-Wanta-Dance」や、Kay-Gees の「Keep On Bumpin’ & Masterplan」「Find A Friend 」、Bar-Kays など、いろいろ出会いました。全部500円とかだったんですが、狂喜乱舞して買って帰って。多分、そこから泥沼が始まった気がします。まだ、モンガ(加藤さん)らが上京する前です。

いや〜、私も当時はロックやジャズのレコード漁りに夢中でしたが、どのレコードをどのお店で買ったか、その時のお店の雰囲気がどんなだったか、とか、本当によく覚えています。あの頃はみんな音に「飢えて」いたんですよねぇ。

その頃ですね。グラハム・セントラル・ステーション (Graham Central Station) とか、P-FUNK とか、スレイヴ (Slave)、バーケイズ (Bar-Kays) といった、今われわれの根幹をなしている音楽に初めて出会ったわけです。
そうやって、上京して初めて「ファンク」に出会ったわけです。「これがホンモノか!!」的な。
「俺が好きだった音楽は、本当はこんなんだったんだ!」という感じですかね。
そうそう。あとになって「これだよね!」という。 それが昭和63年〜平成元年あたり、1988〜89年あたりの話です。
そう、だってさ、「昭和天皇がいよいよ。。。」という話を、大臣の家でみんなでレコードを聴いてる時に、テレビで流れていて聞いたもんね。
そう、「Xデー」とか、当時言ってましたけど。
まさに、豊川の大臣の家に集まって、「先週入手したレコード」って言って、みんなで聴きあったりダビングしあったり(笑)ってやってたんです。
そうでしたかー。私は高校3年生の3学期の始業式が昭和最後の日、1月7日だったんで、その日のことはよく覚えています。「明日から元号変わるんだねぇ」とか話したり。
はー、なるほどー。けど、そうやって、高校時代はなんとなくのイメージだったものから、自分の好きな音楽を見つけられたわけですね。
そう、「俺が、好きな感じって、これだったんだ!」と。
「ここにホンモノがあったんだ!」ってね。



で、今みたいにCD出てなかったんで、とにかくLPが高かった。
そう、高い。高かった!
高かったよね。特にP-FUNKが高かった。
そうか、まだあの頃はほとんどリイシューされてませんでしたよね、確かに。
まったくなかった。
特に Westbound 期の ファンカデリック (Funkadelic) は、高かった。
例えば、「Let’s Take It to the Stage (1975)」のLPは、買取で5万円っていう(笑)
へぇ〜、当時はそんなに高かったんですか!

そう、本当に昔は輸入中古レコードが高かったんですよね。CDでのリイシューも始まってはいたものの、再発されていない人気盤も多数ありましたし。そして一番大きかったのは、中古レコード店の仕入れに任せるしかなかった、ということなんですよね。海外から直接買う手段というのは、本当に限られていた時代。

その後、2000年頃から eBay による個人間でのレコード売買が本格化しだし、ある意味価格破壊が起こりました。入手困難だと思われていた盤がアメリカではゴロゴロしていたりして、あっという間に中古屋さんでの値段が下がりだし。その一方で、ファーストプレスのオリジナル盤をみんなが買い求めるようになり、いわゆる貴重盤、オリジナル盤の類は逆に世界中で物凄い勢いで値上がりを始め。

件の「Let’s Take It to the Stage」ですと、いま eBay で検索してみたら、当時のオリジナル盤、近年のリイシューLP共に、おおよそ20ドル〜30ドル(送料別)といったところに落ち着いているようです。まあファンク系などは、ジャズやロックでいうところのいわゆる「オリジナル盤コレクター」はあまりいないでしょうしね。

けど1980年代のオールスターズとかは、安いエサ箱に入ってましたよね(笑)
ああ、そうそう。あの辺は安かった!
けど、いちばん聴きたいところが、軒並み高くて入手が大変だった、という。
JB の黄金期も、当時は高かったですよねぇ。
それで P-FUNK は、P-VINE が頑張ってたけど、せいぜいパーラメント (Parliament) の「Mothership Connection (1975)」とか。
あと、初期3枚、ファンカデリック (Funkadelic) の最初期3枚が P-VINE で出たぐらいでしたね。
だから、その先のファンカデリックを聴きたくても、高くてなかなか聴けない、という。
当時「One Nation Under A Groove (1978)」を、8,000円で買って「安い!」とか言ってたんですよ。
(笑)
そういえば私が初めて P-FUNK を買った時は、もうCD化されはじめた頃で、1991〜1992年くらいだった記憶があります。Westbound の輸入盤「America Eats Its Young (1972)」でした。その頃にはもういろいろ出ていましたね。
そうそう。だから、ほんの2〜3年の差ですよね。
そう。ほんの2〜3年の差です。
何が悪かったって、レコード・コレクターズ「P-FUNK 特集」 ですよ!(笑)
(笑)
あれは悪かったね!
ほんと、あれは「呪いの本」ですよ!
あの一冊のおかげで、どんだけ散財したか、ね(笑)

筆者が初めてリアルタイムで買ったレココレは1989年2月号「トッド・ラングレン特集号」でしたが、残念ながら、1989年8月号「P-FUNK 特集号」を当時リアルタイムで買うことはありませんでした。のちにその内容を初めて目にしたのは、1993年10月に出版された「増刊号 ソウル&ファンク」においてでした(のちに1989年8月号も入手)。当時はすでに輸入盤 (Westbound)・国内盤 (P-VINE) 共に CD 化も進んでいたことを覚えています。

レコード・コレクターズ 1989年8月号 P-FUNK 特集
レコード・コレクターズ 増刊号 Soul & Funk



余談: 1989年〜1995年当時の P-FUNK リイシュー状況

ここで、本来の当ブログらしく(笑)、当時の P-FUNK 関係のCDリイシュー状況をふりかえってみましょう。調査にあたり、家にあるレココレのバックナンバー、そしてディスコグラファー御用達のサイト Discogs を参照しました。

日・英・米のCDリリース、パーラメントは「Parliament P-Funk Earth Tour」まで、ファンカデリックは「One Nation Under A Groove」までを列挙してみました。

1989年発売
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Ace(UK)/Westbound CDSEW010  Funkadelic (1st)
Westbound(US)     WBCD2001  Free Your Mind...
Ace(UK)/Westbound CDSEW002  Maggot Brain
Westbound(US)     WBCD2007  Maggot Brain

1990年発売
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Westbound(US)     WBCD2000  Funkadelic (1st)
Ace(UK)/Westbound CDSEW012  Free Your Mind...
Casablanca(US)    836 700-2 Chocolate City

1990年2月21日発売
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Casablanca(US)    824 502-2 Mothership Connection

1990年3月13日発売
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Casablanca(US)    824 501-2 Funkentelechy vs. The Placebo Syndrome

1990年4月20日発売
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Casablanca(US)    842 619-2 Up For A Down Stroke

1990年5月18日発売
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Casablanca(US)    842 620-2 The Clones Of Dr. Funkenstein

1990年6月25日発売
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Polystar(JP)      PSCW1009  Up For A Down Stroke
Polystar(JP)      PSCW1010  Chocolate City
Polystar(JP)      PSCW1011  Mothership Connection
Polystar(JP)      PSCW1012  Funkentelechy vs. The Placebo Syndrome

1990年7月25日発売
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Polystar(JP)      PSCW1015  The Clones Of Dr. Funkenstein

1991年発売
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Ace(UK)/Westbound CDSEWD029 America Eats Its Young
Westbound(US)     2WBCD2020 America Eats Its Young
Ace(UK)/Westbound CDSEWD035 Cosmic Slop
Westbound(US)     CDWB2022  Cosmic Slop
Ace(UK)/Westbound CDSEW040  Standing On The Verge Of Getting It On

1991年5月25日発売
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Polystar(JP)      PSCW1018  Parliament P-Funk Earth Tour

1991年6月10日発売
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P-VINE(JP)        PCD761    Tales Of Kidd Funkadelic

1992年発売
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Ace(UK)/Westbound CDSEWM044 Let's Take It To The Stage
Ace(UK)/Westbound CDSEW054  Tales Of Kidd Funkadelic
Westbound(US)     WBCD227   Tales Of Kidd Funkadelic

1992年3月25日発売
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P-VINE(JP)        PCD754    Let's Take It To The Stage

1992年4月10日発売
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P-VINE(JP)        PCD755    Funkadelic (1st)
P-VINE(JP)        PCD756    Free Your Mind...
P-VINE(JP)        PCD757    Maggot Brain

1992年5月10日発売
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P-VINE(JP)        PCD758    America Eats Its Young
P-VINE(JP)        PCD759    Cosmic Slop
P-VINE(JP)        PCD760    Standing On The Verge Of Getting It On

1993年発売
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CharlieGroove(UK) CDGR101   Hardcore Jollies
Priority(US)      P2 53873  Hardcore Jollies
CharlieGroove(UK) CDGR100   One Nation Under A Groove
Priority(US)      P2 53872  One Nation Under A Groove

1993年8月21日発売
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Alfa(JP)          ALCB835   Hardcore Jollies

1995年8月20日発売
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Alfa(JP)          ALCB836   One Nation Under A Groove

最初に頑張っていた日本のレーベルといえば P-VINE の印象が私も強かったのですが、意外や意外、パーラメントのポリスターでしたね。ともあれ、サイモンガーさんのおっしゃる「Westbound の Funkadelic」は、国内盤としては1992年まで入手不可能だったということになりそうです。




閑話休題。インタビューの続きです。

Pt. 3: リスナーとしてのインプット時代(続き)

レコード・コレクターズはあれですよね。まだ中村とうようさんが編集長だった時代は、バラエティに富んだいろんな音楽ジャンルを広く扱っていたのに、1987年代頃にロック系に舵を切って、その後だんだん「コレクター」向けのガイドブック的な雑誌へと変わっていったのが残念でした。
だって、「レコード・コレクターズ」だもん、書名が!(笑)
(笑)
まあそうなんですけど、その書名でありながら、実体が違った、というのが個人的に面白かったんですよ。骨董品的な意味での「コレクター」向けでなかった、というか。
レコード・コレクターズ Vol.1 No.1 (1982/5)〜No.6 (1983/2)

創刊当初のレコード・コレクターズ。創刊号は1982年5月発売、当時は「別冊MUSIC MAGAZINE」扱いで、隔月刊発行でした。
筆者は1990年代に後追いでこれら初期レココレ中古本(〜1987年頃まで)を買い漁り、あらゆる未知の音楽への興味を授けてもらいました。
今となっては内容は古くなってはいますが、未だに折に触れ読み返しています。

そういえば、P-FUNK 特集号って、こう、本を買ってきて、表紙をめくると、いきなり美空ひばりの記事だったよね(笑)
(笑)
ちょうど(ひばりさんが)亡くなられた時ですかね。「追悼・美空ひばり」という記事で。
瀬川昌久さんの書かれた「さようなら、美空ひばり」という追悼記事でしたよね。
まあそんな感じで、レココレも徐々に「市場価値」に迎合する方向に強く行ってしまったというか、特に2000年代に入ると。
ああ。
1982年の創刊から数年、1987年ごろまでの号は、「他の奴らがなに言ってようが構わん、わかってもらえなくてもいい、俺はこれが好きなんだ!」っていう雰囲気があって、そのオールジャンル的ごった煮感が好きだったんですけどね。
まあ、けど、そういうのはどこの業界でも同じようなもんだと思いますよ。。。
そうかも知れないですね。
まあそんな感じで、徐々に(レココレを)買わなくなってしまったんですけど。
それが、今や Apple Music で(毎月の講読料さえ払えば)聴き放題ですからね!
これは信じがたいですね、あの頃から考えると(笑)
(笑)
ほら、Cameo の「Cameosis」とか、本当に高かったですよ、当時。
Knights of the Sound Table」なんて、8,500円で買いましたもん。
え、ダウンステアで?
そう、ダウンステアで。
ダウンステアで8,000円だった?
8,000円だか、8,500円だか、とにかく高かった。
マジか?!(笑)
(笑)
ダウンステア」っていうのは、名古屋の千種区にあったレコード屋なんですよ。
こっち(豊橋・豊川)にいるときは、そこでよく買ってたんです。
で、そこのおやじさんが、まぁ口がうまくて!
(笑)
「え、お前昔のキャメオ知らんのか?」「昔のキャメオを知らんのはモグリやで!!」とか言われてね。
(笑)
「ほな聴かせたるわ!」ってね。
そう、「聴かせたるわ!」って言われて、LP をサウンドテーブルに乗せてね、イントロが流れるわけですよ。「~~~~ぃぃぃひぃぃぃぃぃぃ、どどんたかどんどんどん!!!!」ってね(笑)
その音が流れた瞬間に「買います!」って言ってました(笑)
速攻「買います!」って言ってたね(笑)
買わせ上手だったよね。
もう即座に買ってたね(笑)8,500円で。
「ペッペッペッペェ~」という音とともに 8,500円差し出して(笑)
(笑)
しかもボロボロのね。ジャケもボロボロ、盤もボロボロ。

「~~~~ぃぃぃひぃぃぃぃぃぃ、どどんたかどんどんどん!!!!」と「ペッペッペッペェ~」については、「Knights of the Sound Table」のA面1曲目、「Knights by Nights」のイントロを聴いていただくと、当時の大臣さんがいかに速攻で購入を決意したかがリアルにわかって面白いです(笑)

インタビュー時に大臣さんが「LP をサウンドテーブルに乗せてね、イントロが流れるわけですよ」とおっしゃった箇所。明らかに「ターンテーブル」のことだろうな、と思ったのですが、「それだけ Cameo 好きなんだなぁ」と(笑)

いやー、商売うまいなぁ、そこのおやじさん(笑)
まだやってるのかね、あそこ。
もう聞かないね、聞かない。

千種区の ダウンステア ですが、調べてみたところ、その後矢場町に場所を移し、その後は分かりません。もしかしたら廃業されているのかもしれません。ブログ は残っていますが、2009年を最後に更新がないみたいです。また webサイト は見事に別のサイトに変わっているようです。。。

後日、このダウンステアに通っていた時代のエピソードを、大臣さんに教えてもらいました。

ファンクラ大臣(陶山)さん:
ある日帰省したら、僕の実家で、モンガ(加藤さん)が、「名古屋で買ったんだ!」って、Graham Central Station の「My Radio Sure Sounds Good To Me」をドヤ顔で見せつけてきて。針を落として、いきなりの「Pow」で、ひっじょーーーうに悔しかった記憶があります。それがダウンステアだったんですね。
ファンクラ大臣(陶山)さん:
で、僕も一緒に行こう!ということになって、キャメオの(「Knights Of The Sound Table」の)話あたりにつながります。
あと、我々が、本当に一番参考にした資料というのがありまして。ダウンステアで、何千円以上買うとくれるとかっていってもらった、コピー(笑)。
当時たぶん早稲田の GALAXY とかいうファンクの好きな人たちのサークル?があって、そこが出してた会報みたいなののコピーでした。タイトルうろ覚えですが、「マストバイFUNK 100選」みたいな、ファンクの出来の良いレコードが、100枚紹介してあるものでした。
それはすごかったです。今思うと、中に JAM さんとかいました。



まあ、あの頃と違って、いまアナログで高いものって、よっぽど限られてきちゃうんだろうねぇ。
むしろ、いまアナログで(あの時散財した)アルバムを買ったら、高いのかどうか、知りたいよね(笑)
どうなんだろうねぇ。
まあ、今は、ホントに、さっき言った「骨董品」的な扱いになってるんですよ。
そうなんですねぇ。
音源を聴く手段がないから、どうしても欲しい!っていうので高くなるんではなく。
昔はそうでしたね。
そう、そして当時はアナログでちゃんと聴いてたもんね。
だから、今は、電子的な媒体であれば(音源は)あるんでしょうけど、それでもあえてアナログで聴きたい、っていう人がいるんでしょうかね。よく分かりませんけど。
「聴きたい」というより、「所有したい」になってるんですよ、最近は。
レコードジャケットの作りがA式かE式か、とか、そういう世界になってるんです(笑)
ジャズとか、マイナーソウルみたいなのは、いまでも(レコードでしか聴けないから)高い、ってのはあると思うんですけどね。それはわかります。
そういうジャンルもありますよね。珍盤発掘系とか、レアグルーヴ系とか。ジャズでは北欧とかアフリカのジャズとか(笑)
それが、さっき言った、2000年くらいからのレココレが、ロックでも(骨董品的扱いを)やり始めたんですよ。
この刻印があるのはどこのプレス工場だから高い、とか。刻印の枝番が若い方が音がいいから高い、とか。あの時代をリアルタイムで聴いてきた方々が、定年を迎えて、お金もあるわ、暇もあるわ、で、高いオーディオに走ったり、「オリジナル盤は音が特別なんだ」といってオークションで高値を呼んだり、とか。
はぁ~、なるほど。それはやだなぁ。
そんなこんなで、一部だけが物凄い高値を呼んだり。例えば Led Zeppelin の 1st アルバムで、ジャケのロゴがターコイズ・ブルーのもので Superhype クレジット、マトリクス刻印修正なし、刻印末尾が 1/1 のものだけ異常な値段にになったり、とか。
でも、それって、CD でも聴ける音源なんですよね? 電子的媒体で当たり前に買える時の話なんですよね?
そうなんです。(メディアに記録された音の鮮度はさておき)聴ける音楽は同じものなんです。
Beatles でも、1st アルバムのゴールド・パーロフォンレーベル、ステレオ盤が、針飛びしても30万とか、一時オークションで300万円越えをつけたりとか。
はぁ~、なるほどなぁ。
そういえば、「レコード・コレクターズ」誌って、ビートルズだとアルバム単位で特集組まれて1冊組まれてたよね。
そうでしたね(笑)出てましたね。



まあ、とにかく、そんな感じで、レコ漁りの時期がありーの。
そう。その時期は「圧倒的なインプットの時代」ですよね。
インプットの時代はあんまりバンドやってなかったもんね。
やってなかった、全然やってなかった。
へぇ、そうだったんですか。
そう。そして毎週毎週レコードを買いに行っては、数万円散財し(笑)みんなで集まって聴かせあったり、ダビングしあったり(笑)
そうそう(笑)
そういうのをずっとやってた時期でした。 俺も聞くばっかりで、音楽を全然やってなかった時期。
なるほど。
当時、豊橋でサラリーマンをやっていた時期ということもあったんですけど。
それもあって、音楽活動はやれてなかったんです。
そうこうしているうちに、ここ(大臣)とやってる「ザ・スタンダード」というバンドで上京することになりまして。
みんなで(東京に)出て行って。そして、まさにこの武蔵小杉で集まった、という。
そう、まさにこの武蔵小杉ね。レジェンダリー武蔵小杉(笑)
むしろ In This Very 武蔵小杉ですよ(笑)
(笑)
(こっそり「パパ、いまこれ聴いてるの」と iPhone を見せる)
(? あ、ヒッグス粒子ね)
ヒッグス粒子きいてるのか!(笑)
ああ、もちろんちゃんとフルアルバムここに入れてますから(笑)
まあ、そんなことがありまして。
その上京したバンドはほどなく終わってしまうんですけど(笑)
(不敵な笑い)
で、違うヴォーカリストが入って、「Planet 16」というバンドになりまして。 女性ヴォーカル、ベース、キーボード、あとギター、という。
なるほど〜。
やっぱり、小さい編成の、打ち込みベースのバンドでした。
いま大臣トリオがやってるような感じの、小さい編成からスタートしたわけです。
そのバンドが始まっていた時にはもう上京していたわけですので、上京して、こちらで仕事に行くわけですよ。
はい、はい。
で、お待たせしました(笑)
ついに、ファンクさん登場です!!(笑)
(爆笑)



衆議院、圧力団体、ザ・スタンダードその他多くのバンドで精力的に活動されていた高校生時代(Pt. 2)から一変、サイモンガーさんも大臣さんも、ひたすらレコ漁りの日々。圧倒的な量のインプットにより、自分達の本当に好きな音楽=ファンクのなんたるかを咀嚼し、血肉と化し、きたるべき本格的バンド活動再開への下地作りをしていた時期だったのでしょうね。

サイモンガー・モバイルやサイモンガー&ファンク、ファンクラ大臣トリオ、そしてファンクさんがかつて活動されていたバンド Afrodisiac も含め、筆者がリスナーとして聴いてすみずみまで大満足できるのは、やはり皆さんがミュージシャンである前に、圧倒的にリスナーであるからなんだよなぁ、と改めて納得した次第です。「この超絶技巧の演奏を、俺もやりたい!」ではなく、「これだけ聴き応えがあって体を動かしたくなるすごい音楽を、自分も作りたい!」である、という違いといいますか。

さて、次回 Pt. 4 は、大変お待たせしました、ファンクさんのエピソードです。

Pt. 1 では、サイモンガーさんと大臣さんの音楽ことはじめをお届けしましたが、今度はファンクさんがどのようにして音楽への興味を強めていったのか、全インタビューパートでも屈指の、とても素晴らしく心を打つエピソードです。

あのインタビューの日の感動をうまく伝えられるよう、今まで以上に心して文字起こし、編集をしたいと思います。どうぞお楽しみに!

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