How The Funk Was Won: The Simonger & Funk Story, Pt. 6

大変お待たせしました。今回のインタビューパート6は、ついにサイモンガー&ファンク結成直後のエピソードです。

年末の パート5 公開後、ドタバタと忙しくてものすごく間があいてしまいました。すみません。




ライブ報告

2016年2月21日(日)、大井町のシブヤ楽器ライブホールにて、「城南ファンク! Vol.1」というイベントが行われ、サイモンガー・モバイルさんが出演されました。

城南ファンク! Vol.1

残念ながら娘はインフルエンザ発症のため(しかも今シーズン2回目…)参加できず、わたし一人でのライブ鑑賞となりました。初めてサイモンガー・モバイルを聴かれるお客さんが多く、大爆笑の渦、大盛り上がりとなっていて、嬉しかったです。

城南ファンク! Vol.1 でのサイモンガー・モバイルさん

2016年2月21日 渋谷楽器 大井町での「城南ファンク! Vol.1」に出演中のサイモンガー・モバイルさん

従来から数え切れないほど演奏されてきた曲も微妙にアレンジを変えたり、インタールード前のタメを多めにとったり、飽きさせない構成になっていました。また、新曲(?)「靴とゲロのハーモニー」では、曲名はかなりヤバイ(笑)ものの、スティーヴィー&ポールへのオマージュも交えながら極上のファンクチューンとなっていました。

FaceTime で中継を行い、自宅の娘にもライブを届けることができました。パジャマのままノリノリで歌い踊りながら聴いていたようです。娘の2度目の鑑賞となる「ビッグデータ」については、帰宅後解説を加え、TPO をわきまえて歌うように伝えておきました(笑)




インタビューのバックナンバー

  • パート0(ちびっこインタビュー編)
  • パート1(サイモンガーさんと大臣さんの小中学生時代〜初めて出会うまで)
  • パート2 (Extended Version)(豊橋・豊川での精力的なバンド活動編)
  • パート3(圧倒的なインプットの時期、レコード漁り編)
  • パート4 (ファンクさんの音楽ことはじめ〜サイモンガーさんと初めて出会うまで)
  • パート5 (Extra Edition)(特別編、今までに影響を受けた20枚)



インタビュー登場人物

サイモンガーさん

サイモンガー(加藤)さん

ファンクさん

ファンク(小野寺)さん

大臣さん

ファンクラ大臣(陶山)さん

筆者の娘 (8歳)

筆者の娘(8歳)
(写真は5歳当時)

筆者

筆者




Pt. 6: サイモンガー&ファンク誕生

Pt. 5 から続く)

バンド誕生秘話

で、Pt. 4 でお話しした通り、職場の休憩所で出会って、ファンクさんとともだちになりまして。話を聞いてみたら「ファンクが好きだ」っていうんで、「じゃあ、なんかやるか!」って話になって。
で、なんかやるか、って話になった時に、ダンサーがいっぱいいて(笑)
ほんと、いろんな人がいたよねぇ。
そう、ダンサーもいた。DJもいた。 ダンサーでDJの人もいた(笑)
で、ミュージシャンもいっぱいいた。 大学生もいっぱいいた。
そんな環境で、ファンク好きの何人かが集まって、「じゃあ、ユニットやろうぜ!」って話になって。
音楽好き、かつバラエティが豊かなラインアップ、って感じですね(笑)
で、「じゃあ、おれ『サイモンガー』を名乗るから、あなたは『ファンク』を名乗りなよ」って言って。
その名前は、やっぱり、「サイモン&ガーファンクル」のだじゃれからきてるんですか?
いろいろあったんですけどね。もともとは、宝島という雑誌の「VOW」というコーナーがありまして、街のおもしろ物件なんかを紹介するコーナー。
そこに載った誤植だったんですね。「サイモンガー&ファンクル」っていう。
はー、もとは誤植だったんですかー。
そうなんです(笑)で、それがずっと引っかかっていて。
じゃあ、ファンクバンドをやるんだったら、「サイモンガー&ファンク」っていうバンドにしようよ、ってなって。
そのほかにも候補あったよね。「内山田洋とクール&ザ・ギャング」とか。
いや、「肉山田洋とクール&ザ・ギャング」だったよ。
(笑)それは素晴らしいネーミング!
まあ、それ以外にもいろいろ候補があったんですけど。
あの時、いっかい、「サイモンガー&ファンク」の「ファンク」は背負えないから、「サイモンガー」にさせてよ、って言った覚えがあって。
(笑)
いや、「小野寺さんなら背負えるはずだ!」と思って(笑)
やっぱり重いよね、「ファンク」って名前は(笑)
やっぱり重いよ(笑)
まだ、バンドのコンセプトも何もない時に、そうやって名前だけ決まって。
「こちら、サイモンガーです」「ファンクです」って、ファンクってすげぇな、とか盛り上がって(笑)。
けど当時は、一般の人には「ファンク」っていうキーワードがまだそんなに浸透してなかった時期で、まだ特定のイメージに縛られてなかったのが良かったのかもしれませんね。
ですね(笑)
で、打ち合わせをする時間が、本当に山ほどあったんで(笑)
「もう寝れないな」っていうくらいありましたね(笑)
(笑)
その打ち合わせの時に、ホントにいろんな話が出まして。 で、曲名はどうしようか、って話になった時に、職場にポラロイドカメラのフィルムが転がっていたんです。
そのフィルムのケースが、そのまま写真立てにできますよ、っていう奴で。 ケースの縁を切り離して、ここに立ててください、と。
そこに書いてあったのが「Break off flap at the groove」で。 これ、グルーヴって入ってるし、ファンクっぽいじゃん?ってことで、

「Break off the flap」ではなく、また唐突な「at the groove」な感じが、もしかしたら国産メーカーのフィルムだったのかもしれませんね(笑)




(Interlude)

(カバンからガサゴソ何かを取り出して、サイモンガーさん達に)
「はいー、もってきましたー」(と言いながら見せる)
迷路だ!
(娘が自由帳に描いた「レコードゾーン」「おんぷゾーン」の迷路)

(娘が自由帳に描いた「レコードゾーン」「おんぷゾーン」の迷路)

「レコードゾーン」と「おんぷゾーン」ってかいてあるね。
なんでいまこのタイミングでこれが出てきたの?(笑)
(迷路を見ながら)ここがめいろのスタートなの?
これは、めいろのとちゅうなの。
ページをめくると、ずっとめいろがつづいてるの。
小学校で、お友だちとの間で、自由帳に迷路を描くのがはやってるらしいんですよ。
で、今回お会いするから、っていうので、このページを描いたらしく。
セットリストも書いてあるね(笑)
「ちょびひげおくさん」も「おひっこし」も「せっけんをふんでころぶ足」もかいてるの。
希望がいっぱいで、ステキだね。
そう、例の休み時間の休憩所も、こんな雰囲気だったんです(笑)なんでもありで。



ファーストシングルリリース

えっと、話を戻しますと、お二人(サイモンガーさんとファンクさん)が出会われて。
そう、サイモンガー&ファンクを組んで、打ち込みで、とりあえず2曲作ろう、って話になって。
私が「フラップで踊ろう」(Break Off Flap at the Groove)を作って。 で、ファンクさんが「恋のインベーダー」っていう曲を作ってきてくれて。
昭和なセンスが光るディスコなタイトルですね(笑)
で、なんでそんな話になったかというと、ブレーン、と言っていいのかな、DJ Ryu というダンサーでDJの方が、リアルタイムでディスコ文化を通過してるような、ちょっと年上の方だったんで。
「バンドやるんだったら、ディスコっぽいのもやったほうがいいよ、かとちゃ〜ん」って(笑)
(笑)
(笑)懐かしいなぁ。
で、当時のディスコもののレコードとかで、ジャケットに思いっきり日本語でデザインした字が書いてあって、そこに「オリジナル本命盤」って(笑)
写真があるといいなぁ。どっかに載ってたっけ。
どっかに載せてるはずだぞ。
あ~、webかなにかでジャケ写は拝見したことがあります。
フラップで踊ろう / サイモンガー&ファンク (1995)

サイモンガー&ファンクのファーストシングル「フラップで踊ろう」(1995)。 ドーナツ盤サイズのジャケ付きのカセットでリリースされたそうです。




サイモンガー&ファンクの当時のメンバーは、

  • サイモンガー(ボーカル、ダンス、トラックメイキング)
  • ファンク(ボーカル、ダンス、ギター、ベース、トラックメイキング)
  • DJ RYU(ナレーション、ダンス、振付)
  • MISAKI(コーラス、ダンス)
  • ジュリアーノ(ダンス、トラックメイキング)

で、これにゲストとして

  • ファンクラ大臣(ベース)
  • 鈴木一義(ギター)

が参加されていたそうです。




あれ、「恋のインベーダー」って、マキ上田の「私の彼はインベーダーBOY~♪」っていう「インベーダーWALK」っていうのがあって、そっからきてたんだっけ?そっからはきてないんだっけ?
なんかあったんだよね。
え、「恋のインベーダー」って、元ネタはあるの?
あるある。「インベーダー」ってタイトルが、当時ディスコものによく使われていて。
あー。
インベーダーの音が入ったディスコものってあったよね。
「恋のインベーダー」の音源はちゃんと私が持ってます(笑)
それってどっちのバージョン?リリースした方?
「DYNAMITE DISCO!!」っていうアルバムを出して。それのやつ。
シングルのジャケに「今話題のSFサウンド オリジナル盤」って書いてあるんだよね(笑)
恋のインベーダー / サイモンガー&ファンク (1995)

サイモンガー&ファンクのファーストシングル「恋のインベーダー」(1995)。 「フラップで踊ろう」と両A面扱い。

このジャケ写、かっこいい!
「SFサウンド」って、「サイモンガー&ファンクのサウンド」ってことですよ(笑)
えっと、このシングルが出たのは、1995年くらいでしたっけ?
そうです、1995年。



2曲で初ライブ

そうやって、サイモンガー&ファンクを始めたんですけど、せっかく2曲できたし、ライブをやろう、ということになって(笑)
(笑)
2曲で、ね(笑)
そうそう(笑)
で、当時やっていたもうひとつのバンド、PLANET 16 の前座みたいなかたちで出たら、意外とウケたんですよ(笑)PLANET 16 を食った、っていうくらいウケたんです。
そうそう、食った食った。
で、続けようぜ、って話になって。セカンドシングル「海賊クック」を出しまして。
小野寺(ファンク)さんの曲ですね。
そう。俺はそのB面の「ギャラクティカ・マグナム・フォース」って曲を作りました。
あー、あれは音源持ってないんだよなー。けどカッコよかったなー、あの曲。
あれ、またリメイクしようかな、俺。
いやー、ホントにカッコよかった。



そんな感じでサイモンガー&ファンクがスタートしたんです。
じゃあ、最初は結構、とりあえずバンドの名前作ったし、やろうか、みたいなノリで。
そう、シャレです(笑)
で、やってみたら、意外とウケたから、そのまま続けよう、と。
そんな感じです。
そもそも、ものすごく鶴見だけのローカルだったんです。
そう、鶴見のトップスっていうライブハウスで、定期的?っていいか。まあ定期的に出てました。
PLANET 16 というバンドではそこで定期的にやってたんです。 で、1回前座で、2曲できたからやろう(笑)と。
当時はあれですよ。家で打ち込んできた音源を、DATで鳴らして。
おー、DATかー。
DATです(笑)DATってわかります?
もちろん(笑)オーディオマニアが飛びついてましたし、プロ用でも使われてましたね。民生用ではDCCもありましたよね。
いやー、DATわかんない人って、結構多いんで(笑)MDはわかってもDATわかんない、っていう。
まあ、私も年代はほとんど同じですから(笑)
そんな感じで、オケをDATで流すんで、ライブで「じゃあ、次の曲聴いてください!」って言ってから、曲始まるまですごく長い、みたいな(笑)
(笑)



初ワンマンライブ

そういえば、トップスで PLANET 16 の前座やって、もうその次にワンマンライブやったよね?
あー、ワンマンやりましたね。
それは、もうセカンドシングル、サードシングルを出されてた頃ですか?
セカンドシングルだったかな。ワンマンをやろう、っていう話になりまして。 けど6曲くらいでやったよね(笑)
(笑)
6曲しかないんだけど、2曲やったら「ありがと~!」っていってステージを降りて、そっから DJ Ryu の DJ タイムが始まって(笑)
なるほどー(笑)
で、DJ タイムを20分くらいやってから、また出てきて。2曲やって、「ありがと~!」ってステージを降りて、そんなひどいライブをやってました(笑)
あれは楽しかったよね(笑)



フルアルバムリリース

で、アルバムまで出したよね。「DYNAMITE DISCO!!」っての。 だいたい(サイモンガーとファンクで)半々くらいで曲を作って。
a

DYNAMITE DISCO!! / サイモンガー&ファンク (1996)
11曲入りのファーストアルバム。

作詞作曲は、それぞれ別にやられてたんですか?
それぞれやってました。
共作とかは、されなかった?
共作って、してなかったね。
共作してないねぇ。
それぞれが、空いてる時間に作ってきた曲を持ち寄って、という感じで。
そう、「こんなのできたよ」って持っていって。



後日、ファーストアルバムの音源や情報を提供していただいた際、実は一曲だけサイモンガーさんとファンクラ大臣さんが共作されていることが判明しました。

サイモンガー(加藤)さん:
「真・スペースワイフ」のリフって、大臣の作りかけを俺が貰って続き作ったんだっけ?
ファンクラ大臣(陶山)さん:
その通りです。たしかAメロとサビだけ作って、あとはモンガにお願いしたら、見事にバーケイズになって、腹がよじれるほど笑いました。今でもよくきいてます。



当時(おそらく1997年?)にサイモンガーさんご自身が書かれてwebで公開されていたアルバム全曲解説を、発掘してくださいました。以下に一部修正の上引用します。

「DYNAMITE DISCO!!」全曲解説(by サイモンガー)
a

SIDE-A

A-1, A-2 ソウル大作戦(Mission1&2)
Mission1には、サイモンガーのモノローグが入っているのだが、これは「ルパンを意識した」と本人が語っている。Mission2はパーラメント的なファンク・ナンバー。中間部の2人の掛け合いが楽しい。(ファンク作詞・作曲)
A-3 スパルタ神父No.1
ゲスト参加のKAZU鈴木によるギターが熱いファンク。 渋谷に現われたルドルフ・アイズレーがコギャルどもにパンチによる説教を行うイメージ。(サイモンガー作詞・作曲)
A-4 海賊クック
以前シングルとしてリリースされたものを大幅リメイク。「ハッチ大作戦」的なミュンヘン・ディスコ。(ファンク作詞・作曲)
A-5 真・スペースワイフ
PLANET16のファンクラ大臣による、バーケイズへのオマージュ。この曲を気に入ったジュリアーノ(現・LoveSoundSystem)が、マンハッタンレコードで「Too Hot To Stop」を購入。非常に下らない歌詞の曲。(サイモンガー作詞、サイモンガー&ファンクラ大臣作曲・編曲)
A-6 恋のインベーダー
上記ジュリアーノによるリメイクバージョン。テクノ度を増して、おまえのハートを侵略!S&Fのディスコ的側面を善くも悪くも象徴するナンバー。(ファンク作詞・作曲)
    

SIDE-B

B-1 DYNAMITE DISCO!!
全曲中最後に完成、なおかつタイトル曲。アンケート人気No.1。PLANET16のファンクラ大臣によるチョッパーベースは圧巻の一言。 脱退したファンク(現・FreakOut)渾身の一撃。(ファンク作詞・作曲)
B-2 おしゃべり超特急
メンバーのDJ RYUを喜ばせるためだけに作ったオールドスクール・ラップ。シュガーヒル丸出しである。DJ RYUの弟、Don Special B(通称ドンスペ)がスクラッチで参加。(サイモンガー作詞・作曲)
B-3 ホワイト節分ナイト
今のところ唯一のミディアムスロー。かなりモータウン的。ライブでは、サイモンガーが口に手を持っていき、「にせハーモニカソロ」をキめて話題となった。(サイモンガー作詞・作曲)
B-4 チョップくらったMAN
このホームページ(注:サイモンガーさんの旧webサイトのことでしょうか)のタイトルロゴに登場しているキャラクターのテーマ。頭にチョップをくらうと変身する。
曲はビレッジ・ピープル風。歌い方も似せている。ちなみにビレッジ・ピープルのボーカルの人はクスリで捕まった。(サイモンガー作詞・作曲)
B-5 フラップで踊ろう(LIVE)
1st.シングルのライブバージョン。ノリはよいのだが歌の音程が非常に甘いため、ライナーには「ライブならではの荒削りさが魅力」とか書いてごまかした。後半はライブ恒例のプレゼントコーナーがそのまま収録されており、サイモンガー&ファンクTシャツが当たってしまったH君(元気?)の困惑ぶりが微笑ましい。(サイモンガー作詞・作曲)

先日、このアルバムを聴かせていただきました。

20年前ということで、打ち込みの音の雰囲気がやはり時代を感じたりもしますが、ファンクを真摯に追求し、かつ大胆にデフォルメして、面白さを前面に出しているのは、さすが現在の皆さんの活動の源流たる所以でしょう。全体的なユルさの一方、サイモンガーさんのベクトルとファンクさんのベクトルが、絶妙にマッチしているというか。現在よりもっとストレートど真ん中なパクりとアピールをしている感じの曲もちらほら(笑)

「モバイルファンクの頂点」の中でも独特のポジションのメローなミディアムナンバー「ホワイト節分ナイト」が、サイモンガー&ファンクのファーストアルバムに収録されていたのには驚きました。モータウン的、というか、むしろモータウンオマージュ的な渋谷系(オリジナル・ラヴ的?)という雰囲気ですが、このファーストアルバムでもやはり独自の存在感です。そして、「モバイルファンクの頂点」に収録されたバージョンが、歌唱や打ち込みの全てにおいて20年越しのさすがの完成度!と唸ってしまうほどいかに素晴らしいか。それを改めて感じさせられます。




ファンクさんの作曲法について

ほんと、かとちゃんは、楽器を打ち込むのがすごくって。僕が作った曲を、けっこう直してくれたり。いろんなアレンジをしてくれたり。
そう。小野寺さんは、いまだにそうなんだけど、クオンタイズをしない癖があるんですよね(笑) こう、机をトン・トンって叩きながら、生録感覚で作ってきたり。
それを俺がクオンタイズしてあげたり。
今になって聴いたら、そのクオンタイズしてない音源が、ものすごく荒々しくてかっこいいんだよね。
そう、たぶん、小野寺さんは、感覚的に作ってクオンタイズしない方が、かっこいいんだと思います。
そう、かっこいい。



そして、アルバムリリース直後に、サードシングル「奥さまはドーベルマン」をリリースされたそうですが、なんとポケットティッシュ付きのカセットとしてライブ会場などで売られたそうです。すごい。。。

奥さまはドーベルマン / サイモンガー&ファンク (1996)

奥さまはドーベルマン / サイモンガー&ファンク (1996)




最初の解散

で、アルバム出して、サイモンガー&ファンクは一旦解散します(笑)
(笑)
そうだ、一旦解散したんだった(笑)したしたした。
ちなみに、それは何年のことですか?
バンドになる前に一旦解散してるよね?
そう。バンドになる前。小野寺さんが「もういやだ」って言い出して(笑)
小野寺さん、それを何回も言ってきたからね(笑)
サイモンガー&ファンクって、何度も解散してるんですけど、だいたい、小野寺さんがいなくなることで解散してるんです(笑)
そりゃあ、「ファンク」がいなくなるわけですからねぇ。
小野寺さんがいなくなったら、もうファンクじゃないですからね。



1997年頃にいったん解散となったサイモンガー&ファンク。このあとどうなってしまうのでしょうか?

また、PLANET 16 をはじめ、各種サイドプロジェクトはどんな活動だったのでしょうか?

それは Pt. 7 でのお楽しみということで。。。

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