この 4 人の演奏が、昔からたまらなく好きなんです。

1964 年夏、Antibes Jazz Festival での 4 人。左から Red Holloway (ts)、Joe Dukes (ds)、George Benson (g)、Brother Jack McDuff (org)。
Brother Jack McDuff(ジャック・マクダフ)のオルガン、Red Holloway(レッド・ホロウェイ)のテナー、George Benson(ジョージ・ベンソン)のギター、Joe Dukes(ジョー・デュークス)のドラムス。1963 年から 1965 年にかけて Prestige レーベルに残された録音は、聴くたびに体が勝手に動き出します。何度聴いても飽きません。末恐ろしいグルーヴマシンの魔力に、私はずっと虜になっています。
ところが、この 4 人の録音を体系的に聴こうとすると、すぐに困ったことになります。
録音自体は 1963 年から 1965 年の 2 年間に集中しているのに、同じセッションの曲が全然違う LP に収録されたりしていて、体系的に音源を追うのが難しいのです。McDuff は Prestige に長く在籍し、ギタリストが Grant Green → Kenny Burrell → George Benson → Pat Martino と入れ替わりました。後期の LP はこれらの時代をまたいで収録しています。たとえば Steppin’ Out (PRST 7666) は 6 曲中に Green、Burrell、Benson、Martino の 4 人のギタリストが混在し、録音年も 1961 年から 1966 年まで 5 年にわたります。後年の CD 再発でもやはり同じで、Silk and Soul (PRCD-24242-2) は 13 曲中 Benson が弾いているのは 1 曲だけです。どの盤にこの 4 人の演奏が入っているのかを把握するだけで、ちょっとした調査が必要になります。
このシリーズでは、散らばった録音をセッション単位で束ね直して、4 人のバンドとして聴き直してみたいと思います。Part I ではまず、この 4 人がそれぞれどんなプレイヤーで、なぜ噛み合っていたのかを書きます。Part II では時系列順に録音を辿り、Part III でディスコグラフィの整理と検証を行います。
Contents / 目次
McDuff: ベースがすべての源泉
全曲を通して聴き直して、最も強く感じたのがこれでした。このバンドのグルーヴの根幹は、McDuff が左手とフットペダルで弾くベースラインにあります。
McDuff はもともとベーシストでした。1963 年の Live! At the Jazz Workshop (PR 7286) のライナーノーツにこうあります。
“the leader played piano and the only weak spot was bass. So Brother Jack McDuff became the bass player. (Notice the amazing bass line he plays on the organ.) … Within a year he had become so proficient that he was offered a job as bass player with one of the top jazz bands in the country.”
リーダーはピアノを弾いていたが、唯一の弱点がベースだった。そこで Brother Jack McDuff がベーシストになった。彼がオルガンで弾く驚くべきベースラインに注目せよ。 1 年も経たないうちに、国内トップクラスのジャズバンドからベーシストとして誘われるほどの腕前になっていた。
Liner notes, Brother Jack Alive! at the Jazz Workshop (PR 7286, 1963)ベーシスト出身のオルガニストが弾くベースライン。それが 60 年以上前の同時代評で既に “amazing” と書かれているのですが、今聴いても全くその通りだと感じます。Rock Candy(1963-06-05、Front Room でのライブ録音、PR 7274)を聴けば、非常に前のめりにぐいぐい進むグルーヴなのにテンポが微塵も揺らがない。その盤石さの土台が、McDuff のベースにあることがはっきりわかります。
McDuff のベースの凄さは、弾いていないときに明らかになります。Cookin’ Together (1964-02-06、LA、PR 7325) に収録された This Can’t Be Love では、珍しく McDuff がピアノを弾いています。ベースは Wilfred Middlebrooks に任せた格好です。するとどうなるか。あのグイグイくるグルーヴが、消えるんです。McDuff のピアノは若干あとノリに聴こえます。長年オルガンのスイッチ式の軽い鍵盤で弾いてきた人が、ハンマーで弦を叩くピアノの発音タイミングにうまく合わせきれていないのかもしれません。いずれにせよ、McDuff の左手とフットペダルのベースが消えた瞬間に、このバンドのグルーヴの正体が見える。逆説的ですが、この曲は McDuff のベースが全てを駆動していたことの証明になっています。
McDuff はパワー全開でないときも緩急のつけかたが見事です。Whistle While You Work (1963-06-05、Front Room、PR 7274) でのソロ前半を聴くと、わざと音を抜いて、ゴーストノートのように空間を使う「引き算の美学」があります。PR 7286 ライナーの “use of dynamics and stop changes” (強弱とストップチェンジの使い方) という評がぴったり合います。
McDuff のステージトークも聴きどころです。PR 7274 ライブ録音には曲間の MC が残っていて、Sanctified Samba の前には “once you get that church in you, it’s kind of hard to backslide all the way” (教会の音楽が身に沁みついたら、そう簡単には足を洗えないもんだ)、Undecided の前には “With the hot sauce” (ホットソースでいくぜ) と声を上げています。Rock Candy という曲名、PR 7274 ライナーの “just cook!” (派手にいこうぜ!)、そして 1965 年の Hot Barbeque (1965-10-19、NY Regent Sound 録音、PR 7422) まで、McDuff は一貫して食べ物の比喩で音楽の熱量を表現しており、当時のスラングとはいえ、ショウマンらしい語り口です。
他にも興味深いのは、It Ain’t Necessarily So(同じく Front Room、PR 7274)で聴こえるベースのリズムフィギュアです。12/8 拍子の格子でいうと、小節最後の 3 連 8 分(12 番目)から次の小節の頭(1 番目)へ食い込むアンティシペーション。これは、The Pink Panther のテーマと同じ構造です。小節の終わりから次の頭へ跳ぶこの仕掛けが、スローテンポの曲なのに、バンド全体を前へ前へと引っ張ります。後に触れる Dukes の hi-hat bark もまた小節の終端近く(16 分の 14 番目)に仕込まれています。このバンドの推進力は、小節の終わりの方にも秘密があるといえそうです。
Dukes: 設計されたショーマン
Joe Dukes のドラムスからは 4 つの側面が聴き取れます。
1 つ目は、個の力です。
Screamin’(PR 7259、1963 年)のライナーノーツに、的確な同時代評が残っています。
“‘Soulful Drums’ is really something, this is a fabulous framework for the big talent of Joe Dukes, this is the way I like to hear drums, instead of the drums goin’ for themselves, Jack keeps the organ thing behind and around Joe’s message. Wherever Joe Dukes came from, it is sure that he spent much time in the woodshed, his control is beautiful.”
‘Soulful Drums’ は実に素晴らしい。Joe Dukes の大きな才能のための見事な枠組みだ。ドラムが自分勝手に暴走するのではなく、こういうふうにドラムを聴きたい。 Jack がオルガンで Joe のメッセージの後ろと周りを包み込んでいる。Joe Dukes がどこから来たにせよ、彼が練習部屋で多くの時間を過ごしてきたのは確かだ。彼のコントロールは見事だ。
Liner notes, Screamin' (PR 7259, 1963)ドラムが自分のためだけに暴走するのではなく (“instead of the drums goin’ for themselves”)、McDuff のオルガンが後ろから包み込む構造の中で叩く。その制御の美しさです。1963 年にして既に「コントロールの人」と評されていました。
2 つ目は、ライブの持久力です。
Benson はこう証言しています (Smithsonian Jazz Oral History, 2011)。
“But when he was on that bandstand, he was the knockout cat of the night. Everybody came from everywhere. No musician would pass up the chance to see Joe Dukes.”
しかしステージに上がると、彼はその夜のノックアウト王だった。あらゆるところから人が来た。Joe Dukes を見逃すミュージシャンはいなかった。
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011Count Basie のバンドメンバーが来たときのエピソードも強烈です。
“Count Basie himself sat right in front of Joe Dukes, because at the end of the show he would play a roll on the bass drum and play the drums backwards, like thundering and lightning.”
Count Basie 本人が Joe Dukes の真ん前に座った。ショーの最後に彼はバスドラムでロールを叩き、ドラムセットを後ろ向きに叩いた。雷鳴と稲妻のように。
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011その「ショーの最後」の記録が、おそらく Jive Samba(Jazz Workshop 1963-10-03、LP の B 面最終曲、PR 7286)です。吉田輝之氏 (banshodo.com) は、この時期の Dukes のプレイに「怒り」を聴き取っていて、なるほどと思いました。
ただ、今回改めて音源を隅々まで聴き返してみると、少し違う像が浮かんできました。曲冒頭からタム、スネア、シンバル、リムショット、カウベル、とありとあらゆる打楽器で叩き、中盤のドラムソロでは “My Soul!” と 4 度叫び、”Yeah Yeah Yeah Yeah!” とセルフ Call & Response を始め、最後に “My My My” を合図にバンド全員をテーマに戻す。怒りというよりは、ショーを仕切るドラマー、と聴こえるのです。声で観客を煽り、同時にバンドにキューを出す。その統率力を、Basie が最前列で見ていたわけです。
なお、Front Room の録音を右チャンネルだけで聴くと、客が “yeah!” “Holy Roller!” “don’t stop now, Jack” と叫んでいる声が残っています。この夜の Front Room は、真っ黒コテコテの熱気に包まれていました(詳しくは Part II で)。
3 つ目は、hi-hat bark です。
Dukes の演奏を聴いていると、通常のクローズドハイハットのグルーヴの中に、突然、短い破裂音が 1 発だけ入ることがあります。ハイハットを開き気味に強く叩き、すぐ閉じる奏法で、hi-hat bark と呼ばれます。Purdie や Gadson はこれを連続パターンに組み込みますが、Dukes は通常グルーヴの中に不意の 1 発だけ入れる。その突発性がバンド全体にスパークを与えます。
この bark の拍位置に注目してみました。1 小節を 16 分音符 16 個に分解したとき、Dukes の bark は 14 番目 に来ます。4 拍目の直後の 16 分音符(英語圏の音楽用語では “e” of 4)。小節の終端近く、次の小節頭への跳躍台のような位置です。不意の 1 発に聴こえる理由は、この端数的な拍位置にあります。
この hi-hat bark は、特に Undecided (1963-06-05、Front Room) の 2 テイクで目立って聴こえます。
| master (PR 7274) | alt take (PR 7492) | |
|---|---|---|
| bark 数 | 5 箇所 | 6 箇所 |
| タイムスタンプ | 0:41 / 1:01 / 3:44 / 5:16 / 7:27 | 0:36 / 0:57 / 3:38 / 3:54 / 5:10 / 7:19 |
master と alt の対応がほぼ平行になっています(テンポ差ぶんだけ alt が前倒し)。bark が両テイクの曲中ほぼ同じ構造位置に出現しています。つまりこれは「その場の閃き」ではなく、曲の同じ場所で仕掛けているのです。
Four Brothers (1964-07、Golden Circle、PR 7362) でも bark を確認しました。1 年越し、大陸を越えて持続する Dukes の様式です。
Bernard Purdie のパターンと比べると興味深いものがあります。Purdie の典型は 14+16 番目、あるいは 12+14+16、または小節をまたぐ 16+2。Dukes は 14 のみの単発です。Purdie が体系的なパターンとして確立した位置に、Dukes は散発的に、しかし一貫して打ち込んでいる。先行形といえるのかもしれません。
4 つ目は、Dukes のルーツです。 George Benson は、彼のルーツは Art Blakey だ、と語っています。
“His hero was from my hometown. It was Art Blakey, and he played them same lumpy rolls that Art used to play, them single-stroke rolls.”
彼のヒーローは私の地元の人だった。Art Blakey だ。Blakey が叩いていたのと同じゴツゴツしたロール、あのシングルストロークロールを彼は叩いた。
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011Flophouse Magazine (2016) も “Art Blakey-like single-stroke rolls” と書いており、これらの証言と、私が初めて聴いたときに思った「Blakey っぽいロールだなぁ」という感想が一致しています。Blues 1 & 8 (Jazz Workshop 1963-10-03) の 1:23〜1:45 あたりのドラムソロでは、その Blakey 直系のロールとリムショットがはっきり聴き取れます。
最後に、Dukes が現在の音楽教育にも名前を留めていることを記しておきます。ドラム教育者 John R. Hearnes の教材 (2026) では、Art Blakey、Max Roach、Elvin Jones、Philly Joe Jones、Tony Williams、Buddy Rich らと並んで、Joe Dukes の “Hot Barbeque” がサンプル録音リストに掲載されています。
Benson は Dukes の人物をこう結んでいます。
“He was so magnificent as a musician, a drummer. I thought he was one of the greatest things that ever happened to mankind as far as musicianship was concerned.”
ミュージシャンとして、ドラマーとして、彼は本当に壮大だった。音楽家としては、人類に起こった最も偉大なことのひとつだと思った。
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011Benson は同時に、Dukes が “spectacular young fellow” (すごい若者) であり “a nuisance” (厄介者) でもあったと語っています。バンド内での軋轢もあった。しかし Memphis への帰省で、6 年ぶりに母親に再会した場面を見たとき(”His mother saw him, and she cried her eyes out. … I thought of him differently after that.” (母親は彼を見て、泣き崩れた。あの日から、彼のことを違う目で見るようになった))Dukes への見方が変わったのだと。ステージの上の怪物と、母の前の息子。Joe Dukes という人物の厚みは、演奏だけでは語りきれません。
Benson: バッキングの天才、発展途上のソリスト
George Benson が McDuff のバンドに加入したのは 1963 年です。多くの資料が 1962 年としていますが、本人が “No, I joined him in ’63.” (Smithsonian, p. 35) と訂正しています。
加入の経緯はかなり劇的です。19 歳の Benson は妻への暴行容疑で翌日に刑務所行きが確定していた夜、Don Gardner(当時を代表する歌手・作曲家・ドラマー、当時は Philadelphia Clef Club of Jazz and Performing Arts の理事長)を通じて McDuff がギタリストを探していると聞き、飛び入りしました。McDuff は New York のマネージャーに電話して「この子を連れて行く」と告げ、$35 を渡しています。Benson はそこから裁判費用 $27 を払い、その夜 McDuff と出発しました。ところが初日に解雇されています。しかし数週間後に復帰し、その後の 2 年間がこのシリーズの舞台になります。”Jack McDuff saved my life”(Jack McDuff が俺の人生を救った)と Benson は語っています。
1963〜65 年の録音を聴いて浮かぶのは、後年の Breezin’ に至るスターの若き日の姿ではありません。バンドの一部として有機的に機能した数年間です。
Benson 本人がこう言っています。
“My solos weren’t good. My solos were mediocre.”
自分のソロはよくなかった。凡庸だった。
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011そして:
“I made him sound good. If you listen to those records, I’m kicking behind Jack. Jack loved that stuff.”
私は彼 [McDuff] をよく聴こえさせた。あのレコードを聴いてみれば、私は Jack の後ろで蹴っている。Jack はそれが大好きだった。
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 20114 人の全録音を聴き直して、改めてこの発言は誇張ではないと確認できました。たとえば Rock Candy。Benson のギターソロ自体は同じリフの繰り返しが多いのですが、バッキングに回った途端に McDuff と Dukes のグルーヴと一体化し、素晴らしいアクセントを付加します。3 者は無限に聴いていられるほどの一体感を生み出します。Sanctified Samba (Front Room 1963-06-05) ではソロにぎこちなさが残りますが、バッキングは完璧です。
もちろん、2 年間のうちに Benson は成長しています。Four Brothers (Stockholm 1964-07) でのソロは格段にまとまっていますし、Shout Brother (LA 1964-02-06) では後年に通じる歌心の萌芽があります。前任ギタリストの Kenny Burrell が控えめで職人的にまとめるのに対し、若い Benson はイナタく、ブルース臭く、奔放です(具体的な対比は Part II で)。しかし成長の途上にあっても、一貫していたのはバッキングの質の高さでした。
Hank Garland — Benson がギタリストを目指したきっかけ
余談ですが、Benson がギタリストの道を選ぶきっかけとなったのは、カントリー/ジャズギタリスト Hank Garland でした。
Pittsburgh に住んでいた 17 歳の頃、近所の Chad “Carrie” Evans の家での土曜レコード鑑賞会で Garland の Jazz Winds From A New Direction(1960 年録音)を初めて聴いたのです。
“We put that record on, and we could not take it off. It captivated us from bar one.”
そのレコードをかけたら、外せなくなった。最初の小節から心を奪われた。
George Benson, Folio Weekly, December 21, 2004
Jazz Winds from a New Direction / Hank Garland (Columbia CL-1572, 1960)
過去にこのアルバムについてブログ記事を書いています
Smithsonian のインタビューではこう語っています。
“I haven’t heard that since Charlie Christian, because he would light a song up.”
こんなのは Charlie Christian 以来だ。曲を弾くと、曲ごと光り出すんだ。
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011“Hank Garland, whom I met later. He became one of my big mentors.”
Hank Garland には後に会った。彼は私の大きなメンターのひとりになった。
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011Garland はカントリーの名手として知られていましたが、Jazz Winds でジャズの才能を開花させました。ところがその翌年(1961 秋)、自動車事故でキャリアを絶たれてしまいます。Benson が Garland に感化されたであろう時期の直後に、憧れの対象が音楽シーンから去ってしまった。そして 1963 年、Benson は McDuff のバンドに加入しています。
1992 年、Benson の Jacksonville 公演を前に、Garland から手紙が届きました。「あなたの仕事を気に入っている。ショーを観に行きたい」、と。
“To me, that was like receiving a Grammy.”
あれは、グラミー賞をもらったようなものだった。
George Benson, Folio Weekly, December 21, 2004当日、Garland は実際に会場に来ました。Benson は演奏前にステージから客席の Garland を “one of the greatest guitarists ever” (史上最高のギタリストの一人) と紹介し、スポットライトが当たり、スタンディングオベーションが起きたそうです。Jazz Winds を聴いた土曜の午後から、30 年越しの再会でした。
Holloway: 穏やかなコテコテ
Red Holloway のテナーをどう形容するか。「太い」「R&B 的」とよく書かれますし、その通りではあります。ただ、Illinois Jacquet、Arnett Cobb、Red Prysock、Big Jay McNeely といったコテコテ系テナーの系譜と比べると、Holloway は異質です。バンドを差し置いてブリブリ暴走しない。McDuff=Benson=Dukes のグルーヴに乗っかるように、あるいは 4 者が一体化するかのように吹く。穏やかなコテコテ、それがバンドの一員としての Holloway の節度です。
Brother Red (1964-02-06、LA、PR 7325) を聴くと、それがよくわかります。Holloway を前面に出すために後ろの 3 者は控えめになるのですが、穏やかなコテコテの裏に、分かりにくいがドロドロしたグルーヴが蠢いているのが聞こえます。名義が違っても、実体は同じ実働バンドです。
Holloway には、「Benson の味方」という、バンド内でのもうひとつの顔がありました。
“Red Holloway, he always got on me. He said, ‘I envy you.’ He said, ‘Because it takes me three days to learn these parts, and I read music.’ He said, ‘You – in 20 minutes you got your part down.'”
Red Holloway はよく私に言った。「お前がうらやましい。俺は譜面が読めるのに、パートを覚えるのに 3 日かかる。お前は 20 分で覚えちまう。」
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011“He said, ‘You’re going to be a monster guitar player.’ He said, ‘Don’t pay no attention to what them cats is talking about.'”
「お前は間違いなく化け物みたいなギタリストになるぞ。あいつらの言うことなんか気にするな。」
George Benson, Smithsonian Jazz Oral History, 2011Four Brothers (1964-07、Golden Circle、PR 7362) のセカンドハーモニーを耳だけで 20 分で覚えた Benson の横で、譜面を持っている Holloway が四苦八苦していた (“scuffling through”)。その逆転の構図を指して、Holloway は嫉妬ではなく、励ましの言葉をかけています。
なお、Live! At the Jazz Workshop (PR 7286) では Holloway と Harold Vick の 2 テナー編成になりますが、フルートとソプラノサックスの担当者については、ジャケット裏、TJD、jazzdisco.org、他の資料がいずれも異なる表記をしており、未確定のままです。本稿では「フルートが聴こえる(担当は資料により異なり未確定)」の範囲で触れることにします。
4 人がつくったもの
McDuff のベースが駆動し、Dukes のドラムスがスパークを与え、Benson のバッキングが隙間を埋め、Holloway のテナーが穏やかに歌う。4 人は個々に優れたプレイヤーですが、この組み合わせで生まれるグルーヴは、この 4 人が揃ったときにしか生み出せないものです。Rock Candy を聴いてみてください。あるいは Blues 1 & 8 でもいい。体が動き出します。何度聴いても。
では、このグルーヴマシンがどう生まれ、どう変わっていったのかを、時系列で追ってみましょう。Part II に続きます。
本稿は 3 本シリーズの第 1 回です。Part II: 時系列順に聞いてみる / Part III: ディスコグラフィカルなデータ