Ray Fowler の傑作? 失敗作?

[Riverside RLP-1102 (Orpheum) Front]

Monk’s Music / Thelonious Monk
(Riverside [US] RLP-1102)
(stereo 2nd cover, Orpheum turquoise label)

はじめに (愛すべきハッタリステレオとの出会い)

誰もが知ってる Monk’s Music。演奏破綻寸前のカオス状態が逆にえもいわれぬ迫力を生み出しているという、不思議な魅力に満ちた傑作です。1957年 6月 25〜26日録音。

上に載せたのは ステレオ盤 (の後期プレス、いわゆる Orpheum 盤)。大学入学直後、まだジャズを聴きだしたばかりの私が、大阪梅田の某中古レコード屋で確か 1,800円で買ったものです。私が買ったモンクのアルバムとしても 2枚目 (*1) でした。すでにその頃、初心者には嬉しい OJC なる LP リイシューの存在も知っていましたが、ジャケットを見る限り OJC の方はモノーラル。たまたまステレオ盤の中古を安く見付けたのでそちらを買ったというわけです。ですから、私にとっては長らく、“Monk’s Music” といえば、このハチャメチャっぷりが更に増幅された音が楽しめるステレオ盤を意味していました。ステレオ盤に入っていない B面ラストの “Crepuscule with Nellie” も、やはり OJC から出ていたアルバム “Thelonious Monk with John Coltrane” (オリジナルは Jazzland レーベル) で聴けたステレオバージョン (“Monk’s Music” 収録のものとは別テイク) で長らく親しんでいました。 モノーラル盤を初めて聴いたのはその約2年後、確か日本盤 CD だったのですが、そのあまりの録音の違いに愕然としたことを覚えています。

(*1): 私が生まれて初めて買ったモンクのアルバムは、当時 CBS から出ていたディジタルリマスターの編集盤 LP “Standards”Columbia 時代のソロピアノを中心にまとめあげたものですが、実はこれが私が生まれて初めて買ったジャズのレコード 2枚のうちの 1枚でした。もう 1枚はエバンスの “Alone” のポリドール盤。クラシックピアノを少し前まで習っていた当時の私は、とりあえずピアノを聴けば少しはジャズが分かるかも知れない、と思って、なにも分からないままこの 2枚を買ったのでした。

その後随分たってから、ステレオオリジナル盤 (ジャケット表に金色のシールが貼り付けられたタイプ) も買いましたが、しばらくして売り払ってしまいました。その頃にはもう、このステレオ盤の常軌を逸したミックスのことを、愛情を込めて「ハッタリステレオ」 (疑似ステレオではありません、ハッタリステレオです) と呼んでいましたから。けれども、私にあのハチャメチャセッションの醍醐味を初めて教えてくれた Orpheum ステレオ盤への愛着はたちがたく、そちらは今でもレコードラックに残っているというわけです。

オーディオ的な意味で真に「ステレオフォニック」な素晴らしい録音の LP や CD をいろいろ聴いてきた今、このハッタリステレオ盤が 1957年6月にステレオ録音エンジニア Ray Fowler によって一体全体どうやって作られたのか、冷静に分析してみることにしました。(*2)

(*2): あ、念の為、私はこのステレオ盤、今でも大好きです。ただし、「素晴らしい」という意味での好きではなくて、「おもしろおかしい」という意味での好きですが。



今回検証する音源

さて、今回の件とは別に、数日前にたまたま買った CD があります。The Complete 1957 Riverside Recordings / Theloinous Monk with John Coltrane” (Riverside RCD2-30027-2) という 2枚組です。昨年リリースされて話題となった Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall の人気にあやかるかの様に、今年出されたものなのですが、これには 15枚組CDボックス The Complete Riverside Recordings にも入っていない未発表テイクが 2曲入っているというので買ったのでした。

聴いてみてびっくり。いや、未発表テイクにびっくりしたのではなく、“Monk’s Music” のセッションのうち、1曲 (“Crepuscule with Nellie” のテイク6) を除く全曲が、例のハッタリトゥルーステレオで収録されていたのです。全曲モノーラル音源で構成されているだろうと思っていたのに。Orin Keepnews さんもかなり思い切った決断をされたものです。

というわけで、今回の記事を書くにあたり、“Monk’s Music”Orpheum ステレオ盤 (及び記憶に残っているステレオオリジナル盤)、“Monk with Coltrane”OJC 盤と並行して、全セッションが録音順に収録されているこの 2枚組 CD をメイン資料とすることにしました。


[The Complete 1957 Riverside Recordings]

The Complete 1957 Riverside Recordings / Thelonious Monk with John Coltrane
(Riverside [US] RCD2-30027-2)



Crepuscule with Nellie (take 1, take 2, breakdown)

6月25日のセッションで録音された 3テイク (テイク2は今回初登場) ですが、これらは最も無茶苦茶なステレオミックスです。

まず前半のトリオ部分。ピアノとベースは右寄りに定位していますが、中央にかけて広がっています。しかもベースは相当ボヤけてフラついた音像です。ドラムスも主たる音は右から中央にかけて広がっていますが、シンバルの音が左右中央に異常な広がりでおおっています。それなのにリムショットやスネア、ハイハットの音はやや右寄り。そして後半部でホーン楽器が加わりますが、これらの楽器はどう聴いても 疑似ステレオ としか思えないヘンテコな音で被さっています。全ての楽器が、左右両チャンネルから、ほんの少しの時間のズレで聞こえてくる、というアレです。

異常にライブな響きのスタジオ内で、異常に無指向性かつ異常に感度の高いマイクを、全演奏者のマイクがお互いの音を拾いまくる状態でセッティングしているかの様な音です。 一体どんなマイクアレンジとミックスをやったら、こんな酔っ払いみたいな音が出来上がるのでしょう? ひとつの仮説として、以下の様なミックスを考えてみました。ただし、私は録音エンジニアリングについては全然詳しくない素人ですから、その辺は差し引いて下さい。

  • ピアノとベースにあてがったマイクは両方とも右チャンネルに入力
  • ドラムスにあてがったマイクも右チャンネルに入力
    (あるいはドラムスにはマイクを 2本あてがって、右チャンネルと中央にそれぞれ入力)
  • 全ての楽器から遠く離れた無指向性(?)マイクは左チャンネルに入力
    その際、低域〜中域はイコライザで減衰させてる? (おそらくしてないでしょう)
  • ホーン/リード楽器用のマイクは一本で左に入力、ピアノ、ベース、ドラムスのマイクが拾った音を右に入力
    (あるいは、イコライザ (ディレイ) で疑似ステレオ化したものを両チャンネルに入力? ま、それはありえないと思いますが)

しかも、後年の様に、8チャンネルとか 16チャンネルとかのマルチトラックに録音したものをあとからミックスするのではなく、どう聴いても録音しているその時に 2チャンネルにミックスしている。その証拠に、オリジナルステレオ盤、Orpheum ステレオ盤、OJC、今回の CD と、全て完璧に同一のミックスです。当時使われていた可能性があるのは 2チャンネルレコーダーか 3チャンネルレコーダーですが、3チャンネル以上だとすると、リミックスの度に微妙に定位が変わってもおかしくないですよね。

この録音の異常さが分かる最も簡単な方法は、リスニングポイントを動かしてみる ことです。ちょうど左右のスピーカの中央にまず立って、そこから前後にゆっくりと動いてみて下さい。そうすると、いくつかの楽器の定位が面白い様に左へ右へと動くように感じられてしまうことでしょう。




Blues For Tomorrow

Monk 抜きの演奏。同じく25日録音で、当初はオムニバスアルバム “Blues for Tomorrow” (Riverside RLP 12-243) に収録されたものです (これも OJC から再発されました)。ステレオ音源は今回初登場となります。

基本的には上の Nellie と同じミックスなのですが、今度はホーンとリードが違います。Gigi Gryce のアルトと Ray Copeland のトランペット、Coleman Hawkins のテナーは右寄りで、左チャンネルからディレイされたエコーが聴こえます。逆に John Coltrane のテナーは左寄りに聞こえ、右チャンネルにディレイされたエコーが入っています。しかもそれはナチュラルエコーというにはあまりにも輪郭がはっきりした音で、逆チャンネルに入っているのです。やはり、後にいうところの疑似ステレオ的なエフェクトをかけているかの様です。実際には、そういうエフェクトをかけているというよりは、他の複数のマイクが拾った音により、位相や時間軸がずれまくった音 が左右から混ざって聞こえてきているということなのでしょう。ともあれ、いわゆるステレオフォニックな定位とは程遠く、ゆらゆらとした音像が右へ左へとせわしなく広がっているという感じの音です。




Crepuscule with Nellie (edited: re-takes 4 & 5)

翌日26日に録音がやり直された Nellie ですが、ここでマイクアレンジとミキシングが変更された様です。ピアノ、ベース、ドラムスの右寄り定位は変わりませんが、ホーン、リードを左側にもってきました。そして、前日の疑似ステレオ的な気味悪いディレイは少し減らされています。しかし音像のふらつき、位相のずれによる気持ち悪さはあいかわらずで、中域以下をカットしてディレイした音が逆チャンネルに入っている様に聞こえてしまうのは相変わらずですし、全体の楽器から離された位置にセットされたマイクが拾った音を被せているように聞こえるのも同じです。

なお、この合体テイク (テイク4 とテイク5) は、“Thelonious Monk with John Coltrane” に収録されたものです。




Crepuscule with Nellie (re-take 6)

そしてマスターテイクは、ステレオ音源が残っていないため、モノーラルのみが現存するものです。こうやってハッタリステレオ録音を聴いてきた中で、清涼剤的に聴けるモノーラル録音。各楽器が奥へ手前ときれいに定位する、理想的なモノーラル録音です。ナチュラルエコーのみで、音のガッツも素晴らしい。




Off Minor (take 4, take 5)

同じく26日の録音。ここで Ray Fowler は禁断の手を使います。録音時にミキサー・フェーダーをいじりまくって、曲の途中でいろんな楽器の定位を左へ右へと変えます。ホーン、リード楽器の左定位、そしてピアノの右定位は不動ですが、ベースとドラムスは中央定位から始まり、Hawkins のソロが始まると左寄りへ、Monk のソロになると右寄りの中央へとせわしなく動きます。しかも、ステレオ空間の中で点定位しているのではなく、不思議な広がりをともなったまま左右へ動くのです。相変わらず、全楽器の音を拾う遠いマイクからの入力が左チャンネルに入っているかの様な音。

この曲の不思議なステレオミックスを聴くと、Ray Fowler が録音中に何をやろうとしていたかが少し読み解けます。ドラムスの音は、ドラムスにあてがったマイクだけではなく、ベースのマイク、ピアノのマイク、ホーンとリード用のマイクからも積極的に拾っており、ソロの切り替わるタイミングでそれぞれのマイクからの入力をフェーダーで操作し、それにより擬似的に位置が右へ左へ中央へ、はては疑似ステレオ的に全体に広がったり、と動いているのです。しかも、特定の楽器が発した音は、その距離に応じて各マイクから時間軸がずれて収録され、それがこの不思議な (あるいは気持ち悪い?) 音の広がりとゆらゆら感につながっているのです。そして彼はこれを確信犯的に行っていたというわけです。




Abide with Me (take 1, master)

同じく26日の録音。アルバムでは冒頭を飾るホーンとリードだけの録音です。テイク1は今回が初登場。

ほとんどの楽器が左側に広がって定位する中、テナー一本だけ右側から聞こえる様に感じます。しかしやはり、疑似ステレオ的な音の揺れと定位のあいまいさがなんとも言えない効果を出しています (?)。




Epistrophy (short version, master)

やはり26日の録音。ピアノが右寄り、ベースが完全に右、ホーンとリードが左寄りというのは他の録音と同じですが、ドラムスの音を更に過激にいじっています。主に右寄りから聞こえるようにも感じるのですが、実際には左からも、中央からも、そして全体を覆う様に広がっている音も混ざっています。あっちこっちのマイクから拾った音の位相ずれが激しく、いったいどこにいるのよ Blakey さん、というくらい疑似ステレオ的効果満点です。




Well, You Needn’t (opening, master)

26日録音であるこの曲では、今までの二日間で培ったハッタリステレオ録音テクニックの集大成ともいえる程ハチャメチャな音が聴けます。ミキサー・フェーダーをいじくりまくってドラムスはあっちへこっちへと動き、かつ分身の術を使ってミリセカンド単位で二重写しのハイハットが聞こえるわ、相変わらずルームエコーなのかテープエコーなのか、とにかくディレイによる不安定な音像の浮遊感がすごいわ、と、演奏内容の面白さ (素晴らしさ) とあいまって「芸術は爆発だ」系の音が堪能できます。ステレオ空間が見事に歪んでおり、時系列でその歪みが変化します




Ruby, My Dear

26日最後に録音されたこの曲 (アルバムでは A面ラスト) は、Coleman Hawkins をフィーチャーしたカルテット編成。今までの中では一番マトモに聞こえます。テナーは左、ピアノは右、ドラムスは中央に広がり、ベースはやや右寄りで、それぞれのマイクがお互いの楽器の音を拾って、まあまあ自然な広がりを聴かせます。しかし Blakey を中心とする空間の歪みはやはり顕著です。




久しぶりに全テイク通しで聴いた感想

もうほとんど後年のステレオフォニックな録音テクニックの全てを無視したといってもいい、後の疑似ステレオに限りなく近い (アコースティック疑似ステレオとでも命名しましょうか)、ハチャメチャなミキシングです。間違ってもこのステレオ録音を規範とするなかれ。トリップしたい方は、へべれけに酔っ払った時に聴けば、もう確実にアナザーワールドに行けます。

クラシック初期ステレオファンの方は間違っても聴かれない様に。激怒すること請け合いです。

1950年代〜1960年代ジャズファンの方、あるいは私の様にこの (ハチャメチャなハッタリ) ステレオ録音が大好きな方は、例えば10年程後の菅野録音を聴くなどして、真のステレオフォニックな録音がどういうものかを耳にしっかり刻んでから、もう一回聴いてみると、二度楽しめます。とにかくおもしろおかしい。これに尽きます。

ジャズではお馴染みの、左と右にくっきり分かれたステレオ盤。あれらは、ステレオフォニックな録音を念頭に置いたものではなくて、単に 3チャンネルレコーダーに各マイクの入力を入れたものを、安易に左右中央にふりわけただけのものです。今回の Riverside 最初期のステレオ録音は、マイクに回り込んだ音を過激に使って、ミキサーフェーダーを積極的に使って、全体にふわふわ浮かぶ音像がお互いにずれまくっているという過激なステレオ録音です。はたしてどちらの方が罪が重いのか?




“Phantom Speaker” の怪

[Riverside Stereophonic]

さて、Riverside の最初期ステレオといえば、やはりこのイラストでしょう。ジャケット裏に記載されていた、ステレオの解説です。右の写真は、Down Beat 1958年9月18日号に掲載された、Riverside Stereo の見開き広告からとりました。この見開き広告には、1101〜1110 の Riverside 10枚と、2201〜2205 の Judson 5枚という、計15枚のステレオ盤が紹介されています。

「. . . いわゆるピンポン効果 (各楽器の音が左右チャンネルに分かれて、それぞれのスピーカからしか聞こえず、スピーカーの間には何も音がない) を避け、我々の意図する自然なサウンドを実現するため、我々独自の録音手法およびミキシング・イコライジング・カッティング (原文中では re-recording) 手法を使い、真に三次元的な音をお届けする。これにより、あたかも左右のスピーカの真ん中に仮想スピーカが実在しているかの様な、左右につながった音となっているのだ . . .」

という奴ですね。問題は、Ray Fowler がこれを実現するために “Monk’s Music” でとったのが、各楽器にあてがうマイクへの互いの音の回り込みを過激な程に使い、更にミキサー・フェーダーをいじりまくるという手法だったことです。これにより、限りなく疑似ステレオ (の集合体) に近いリアルステレオを作ってしまったわけです。各楽器をできるだけオンマイクで収録して演奏の迫力を伝えたいジャズでは、1950年代後半という時期の機器や技術では真のステレオ録音はさすがに難しかったということなのでしょう。 それでこういう過激なことをやってしまったと。

RCA VictorDeccaMercury といった、ステレオ黎明期にあって後世に語り継がれるほどの優秀なステレオフォニック録音を行ったレーベルは、どれもその基礎をクラシックの録音で築いています。彼らの基本は、2本 (あるいは 3本) のマイクを絶妙なポイントにセットし、全体を真にステレオフォニックに録音するということ。 これらのレーベルで同時期に残されたジャズやポピュラー録音でも、特に大編成 (ビッグバンドなど) では、今聴いてもホレボレするようなステレオ録音のものがあります。


さて、このイラストがもたらした風評に、「実は Ray Fowler が意図していたスピーカ配置は、このイラストの様に、左右のスピーカを背中合わせにセッティングし、壁に反射した音を聴くというものだったのだ」というものがあります。というか そんな配置が試みられていたなんて聴いたことありませんよ? それに万が一本当にそうなら、このイラストの下にある解説で、スピーカ配置について注意書きがあるはずなのでは?

確かに後年 (1965年)、BOSE 901 というエポックメイキングなスピーカが登場します。これは、フロントに 1つ、リアに 8つのユニットが搭載されていて、ダイレクト・リフレクティング というテクノロジーに基づき、後方の壁や左右の壁からの間接音も行かして音作りをするというユニークなスピーカで、驚くべきことにその 後継機種 は今でも新品で製造販売されています。しかしそれは “Monk’s Music” 録音の 8年後に出た製品ですし、そのスピーカ (しかも専用イコライザユニットを使うことが前提) で聴く音楽ソースは、当然普通にステレオフォニックな録音であったはずです。




ステレオ最初期の一般的コンポーネント

下の写真は、同じく Down Beat 1958年9月18日号の「Stereo News」という特集記事 (この時期、数号おきにステレオニュースが掲載されていた様です) より。ともに当時一般的なステレオコンポーネントの形態といえます。上のタイプは、片側のスピーカの上が蓋になっていて、この中にステレオカートリッジがとりつけられたターンテーブルが格納されています。アンプ部分も同じくスピーカ上部に組み込まれているのでしょう。下のタイプはいわゆる一体型ステレオコンポで、スピーカとアンプ・チューナー・プレーヤーが一体で家具調に作られています。

[Early Stereo Components]

(上が Pilot Stereo Component-Consoles、下が Fisher Futura II という当時の製品)

同様に、1958年11月13日号のステレオニュース内の記事に添えられた写真を見てみましょう。Down Beat のレコードレビューアの一人、Dom Cerulli さんがステレオコンポを体験する、という記事です。ちょっと見づらいかも知れませんが、右奥と右手前に (やや内側に向けて) ステレオスピーカコンポが設置されているのが分かります。

[Dom Cerulli]

その他、うちにあるいろんな資料 (1950年代前半〜1958年頃) を探してみたのですが、スピーカを正反対に配置するなんてのは一度もみかけたことがありません。有名なオルソン博士の「音響工学」 (1959) という大書に、ステレオスピーカの望ましい配置図が載っていますが、いわゆる一般的な「縦長配置」でした。果たして 1957年6月録音の時点で、Ray Fowler の念頭には本当に左右正反対配置のスピーカがあったのか? 私はそんなことはとても考えられないと思うのですが . . .

これとは別に、ステレオフォニックな録音やスピーカ配置など、音響工学の分野で 1950年代初頭から行われてきた研究の論文や書籍などの資料の存在をノイさんに教えて頂いたので (ありがとうございます)、今後時間をかけてじっくりと調べていきたいと思います。

敢えて焦点をぼかす様に書いてみましたが、要するに言いたいことというのは . . . 分かりますよね?




おまけ

ステレオ LP レコードが市場に出回り出した当時のファクトリースリーブ (内袋) には、よくステレオレコードについての解説が印刷されていました。以下、RCA VictorCapitolMercury のスリーブからイラスト部分を引用します。はい、見事にイラストでのスピーカの向きや位置が バラバラですね。なぜかこの中では Mercury だけ (イラストとしても意味が通じている) マトモな配置で書かれてはいますが。

RCA Victor は、ヘッドフォンステレオだけを前提にステレオ録音をしていたのか? バイノーラル録音ばかりやってたのか? (ちゃうちゃう) はたまた Capitol は、過激にもスピーカを部屋の両端に向かい合わせで設置し、真ん中にリスニングポイントをとるべし、という意味でこのイラストを載せたのか? (ちゃうちゃう)

というわけで、このイラストで描かれているスピーカの向きや配置と、実際のスピーカ設置の向き (と当時広く考えられていたもの、あるいはエンジニア、オーディオ製作者が念頭に置いていたもの) が全く関係ないであろうことは、おおよそ御理解頂けるかと思います。


[RCA Victor]
(RCA Victor)

[Capitol]
(Capitol)

[Mercury]
(Mercury)

[Riverside]
(Riverside)


3 thoughts on “Ray Fowler の傑作? 失敗作?

  1. こんにちわ。
    モンクス・ミュージックのそんなCDが出ていたのですね。前回記事のwith Steve LacyのCDも、共に興味深いブツです(笑)
    さてMonk’s Music~当方の手持ちはabc riversideのモノラル、riverside別ジャケ(イラスト風の山々がバックの切り絵風のやつ)ステレオの2種。モノラルの肉厚なサウンドもかなりいい感じでした。「ステレオ」の方、先日notさんのブログにも《切り絵風のステレオ盤を聴いてみたら、管やドラムは左、ピアノだけが右に寄ったような、しかし擬似ステレオでもないような・・・変な感じではありました。ブレイキーのハイハットは歪む寸前くらいの大きな音でした(笑)》とコメントしましたが・・・ハイハットは確かに左ですが、ドラム全体は中央、右からも聞こえるようでもありました。それで「変な感じ」と書いたのですが・・・今回のshaolinさんの詳細な音場感と録音具合推理で、なんとなく判ってきました。それにしても、そこまで全体の音場をいじってしまうことがあるんですかね。各楽器の左右バランスが「自然とミックス」されてしまっただけの結果・・・ということかも?とも思うんですが。

  2. bassclef さん、コメントありがとうございます。
    > 各楽器の左右バランスが「自然とミックス」されてしまっただけの結果・・・
    > ということかも?とも思うんですが。
    極論すれば、恐らくこれが正解なんだと思います。ただ、少しデッドに調整したスタジオで、アンサンブル全体から均等に離されたツインマイクでステレオ録音をしたら、こんな分身の術は起こりませんよね (笑) ま、そういう録音手法はジャズでは通常まずとられませんが。
    管のマイクは左に入力され、ピアノやドラムスの音もかなり拾ってる、ピアノのマイクは右に入力され、管やドラムスの音も拾っている、ドラムスは中央あるいは右に入力され、これもピアノや管の音を拾っている。
    同じ様に他のマイクが拾う間接音を使って、少しでも広がりをだそうとした Roy DuNann と基本的には同じ手法だと思うのですが、回り込む間接音というには、あまりにもはっきり拾いすぎているように聞こえます。しかも時間軸でかなり遅れた音を拾っている様に感じられます (この両者のために、左からも右からも中央からも聞こえてしまうんだと思います)。それと、スタジオ内を相当ライブな響きに調整してありますよね。これらが混然一体となって、この物凄いステレオが作られているんでしょうね。
    主に左から中央に広がる管の時空間、右から中央に広がるピアノの時空間、左右中央と全体に広がるドラムスの時空間、これらがゆがみあいねじれあって被さっているのが最大の特徴であり、同時に最大の問題です。
    ただ、その「ユガみ具合」が、このセッションでの演奏や楽曲と見事にマッチして、えもいわれぬ魅力を生み出していることは確かです。なのでこのハッタリステレオ録音を愛してやまないのかも知れません (笑)
    Ray Fowler さんがステレオ最初期に、どうやって自然なステレオフォニックな録音ができるか、ではなく、どうやってインパクトのある音を作るか、と格闘した歴史の 1ページとしてとらえることができるのでしょうね。
    そういえば Capitol の最初期ステレオ録音は Contemporary と同様に、自然な間接音を逆チャンネルに入れて、比較的ナチュラルな音場を作ることに成功していますね。ドラムスだけオフマイクっぽいことがあるのは残念ですが . . .

  3. 今思ったのですが、もしマルチチャンネルミキサーと 2チャンネルレコーダーがあったとして、このセッションをまっとうに録音しようと思ったら、
    ・ピアノにマイクを1本 (ホーンの音の回り込みもある程度拾う)、右チャンネルに入力
    ・ホーンにマイクを1本 (ピアノの音の回り込みもある程度拾う)、左チャンネルに入力
    ・その際、ふたつのマイクの距離や向きを微調整して、回り込み具合をコントロールする
    ・ベースにマイクを1本 (遮音板を立てて他の音は極力拾わない様にする)、中央 (両チャンネル) に入力
    ・ドラムスにマイクを2本 (遮音板を立てる)、それぞれ左右チャンネルに入力
    で、全体のバランスをフェーダーで整える、という感じになるんでしょうね。そうすれば、二重写しの様に左右中央から時間差で聞こえたり、左右のステレオ空間の歪みが感じられたりする現象を一定以上コントロールできたのかも知れません (ま、私はエンジニアでもなんでもないのであくまで推測ですが . . .)

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