レコード各社興亡秘話

備忘録も兼ねて。

内外〜タイヘイ〜日本マーキュリー。SP 時代に名を残したこのレーベルの歴史が、1999年に神戸新聞上に掲載された (らしい) 特集記事でまとめられています。その他関西マイナーレーベルの興亡についてもよくまとめられているようです。

日本マーキュリーが東芝にスタッフ・専属歌手をごっそり引き抜かれたのが昭和33年 (1958年)、 日本ではまだまだ SP 盤が幅をきかせていた時代でしょうか。 果たして昭和33年以前に、日本マーキュリーは LP リリースをしていたのでしょうか。

One thought on “レコード各社興亡秘話

  1. これについては、あっさりと資料が見付かりました。
    レコードコレクターズ Vol.1, No.3 (1982年8月号)、
    「ノーマン・グランツの仕事」(岡郷三+中村とうよう)
    という記事に、日本マーキュリーの話が出ていました。
    > … またこのプログラム (注:1953年11月の JATP 来日公演のプログラム) には
    > 日本マーキュリーの広告として、グランツ・レコード第1回発売新譜7枚
    > (JP1010〜6)、第2回発売新譜5枚 (JP1017〜21) の SP と、
    > 「LPレコード十月中旬愈々発売」として『ジャム・セッション #1』(MG1)、
    > オスカー・ピーターソンの『アステア・ブルース』(JPL1) の 2枚の LP が
    > 掲載されている。それによると、最初に出た SP はイリノイ・ジャッケー
    > 「ポート・オブ・リコ」(1010)、チャーリー・パーカー「ブルームディド」(1015)、
    > ジョニー・ホッジズ「二人でお茶を」(1016) などであった。

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