A few supplements to “Soul Deep” 2 of 6

ソウル・ディープ」の再放送はすでに昨晩までに第3回まで終わってしまってますが、第1回補足 (The Birth of Soul、レイ・チャールズの回) に続き、今回は第2回分 (The Gospel Highway、サム・クックの回) の補足になります。録画された方はこちらもお楽しみ下さい。

[Soul Deep Episode 2: The Gospel Highway]

NHK放送版は、オリジナルのBBC版から毎話10分程度カットして短く編集されています。その辺も踏まえて、以下第2回「The Gospel Highway」に関する補足です。

注意: 本稿は、全体のまとめや批評などではありません。あくまで、個人的に興味を持った部分の情報を整理したもの、およびカット部分の特定をしたものです。ご了承下さい。




その前に

この6回のドキュメンタリーシリーズ、当初1月にNHK BSで放送された際、twitter 上 では「このミュージシャンもあのアーティストも抜けてる」「このジャンルもあのジャンルも」って意見も少なくありませんでした。私もそのように思いましたし、(良くも悪くも) BBC の音楽系ドキュメンタリーに特有の捉え方が気になる部分もありました。

けど今では、このドキュメンタリー全体を「黒人音楽史」「ソウルミュージックの歴史」だと捉えなければいいのかな、って思い直しました。本当に黒人音楽史全体、ソウル音楽全体を概説してたら時間が全く足りません。

なので今は、今回の「ソウル・ディープ」ってのは、「ソウル・ミュージックと呼ばれる音楽ジャンルの誕生〜更盛〜変貌の中で、それぞれの時代を代表するような6人 (正確には5人 + 1グループ) を選びだし、その6人について6つのエピソードを時代順に作りました」というものなんだ、と理解することにしています。そう考えれば、もっと素直に映像そのものを楽しめるようになったといいますか。




The Gang’s All Here, Join In The Fun

番組冒頭、カシアス・クレイ (Cassius Clay、のちのモハメド・アリ) の試合の映像が映り、クレイが当時の WBA/WBC ヘビーウェイト級チャンピオン、ソニー・リストン (Sonny Liston) を破ってチャンピオンとなった直後、リング上にサム・クックを呼ぶシーンが映ります。突然のことにうろたえるインタビューア。

私はボクシングについて全然詳しくないのですが、この試合は 1964年2月25日、フロリダ州マイアミビーチで行われた WBA/WBC タイトルマッチで、サムやマルコムXも観戦にきていました (カシアス側がチケットを送り、招待したようです)。

[Cassius Clay and Sam Cooke]

次に映る映像は、ニューヨークのスタジオで (世界チャンピオンとなった) クレイがイギリスのBBCテレビ番組「Grandstand」のインタビューを受ける映像です。収録は1964年3月4日、初回放送は3月7日だったそうです。この時サムをスタジオに招き入れ、「Hey, Hey, The Gang’s All Here」を二人でアカペラで歌っています。クレイの嬉しそうな表情といったら!

なお、意外なことに、カシアス・クレイは 歌手 (!) としてコロンビアレコードと契約していたそうです。当時シングルとして、あの「Stand By Me」もリリースされてました (Columbia 4-43007)。更にはLPアルバム「I Am The Greatest」までリリースされていたようです (Columbia CL-2093 / CS-8893)。知らんかった。。。

[Billboard, Sep. 21, 1963]
(1963年9月21日号のビルボード誌、アルバムレビューより)

しかも、このテレビ番組でサムとアカペラで歌った前日、二人はスタジオ入りしてこの曲「Hey, Hey, The Gang’s All Here」のレコーディングセッションを行っていたというではありませんか。Horace Ott がアレンジャーで、サムがプロデュースを行ったとのことです。カシアスの声域や歌唱力にあわせて(笑)サムがこの曲を用意したとのこと。

余談ですが、カシアス・クレイが初めてモハメド・アリという名前に変えたのはこの収録の2日後、1964年3月6日であったとのことです。マルコムX絡みのこの辺の話は全然詳しくないので、これくらいにしておきます(笑)




Sam’s two years younger brother, L.C. Cooke

[L.C. Cooke in interview]

本エピソードで何度もインタビューで登場してくる、サムの2歳年下の実弟、L.C. クック さん。彼もまたゴスペルシンガーからスタートし、後述する SAR レーベルからシングルも出しています。サムと特質は違いますが、なかなか味のある歌唱で、私は好きです。

また、1965年 (つまりサムの死後)、Mercury の傍系レーベル Blue Rock から追悼盤的なアルバム「L.C. Cooke Sings The Great Years Of Sam Cooke」もリリースしています。レア盤として知られているようですが、なにせ声がサムに似ているにも関わらず、時として聴くに耐えないことが。。。(L.C. さんごめんなさい 笑) 本来 L.C. さんの持つスタイルと異なる兄サムのスタイルに近づけて歌ったのが失敗した、というところでしょうか。

[L.C. Cooke Sings The Great Years Of Sam Cooke]
L.C. Cooke Sings The Great Years Of Sam Cooke
(Blue Rock MGB-24001 / SRB-64001)

なお、1968年に Wand レーベルからシングルを1枚 (Half A Man c/w Do It Over) リリースしたのを最後に、シンガーとしては引退されたようです。




It’s Saturday, It’s Good News, It’s Sam Cooke!

[Sam Cooke at Dick Clark's Bandstand]

続いて映る「Ain’t That Good News」の (口パク) 映像は、1964年4月4日、ディック・クラーク (Dick Clark) がホストを務める番組「American Bandstand」からのもの。番組内のインタビュー映像も続いて写ってますね。

この番組の映像 (特にインタビュー部分) に限らず、他の映像も、今年アメリカの PBS で放送されたというドキュメンタリー「American Masters | Sam Cooke: Crossing Over」でもたっぷり観ることができます。このドキュメンタリーもいつか日本で放送されるといいのですが。。。ぜひ「ソウル・ディープ」第2回とあわせて観たいドキュメンタリーです。




That’s Heaven To Me

[Gospel at church]

ディック・クラーク:「最初のヒット『You Send Me』が出たのは?
サム・クック:「1957年ですね
ディック:「それ以前にはどのくらいレコードを出してましたか?
サム:「それ以前にもたくさん。。。いや、その頃はポップソングは出してませんでした
ディック:「ということは、その当時は別のジャンルで活動されていたと?
サム:「ええ、その頃はスピリチュアル (黒人霊歌) を歌ってました。

というインタビュー映像 (放送当時はこのあともインタビューはあと数分続きました) を引き継ぐかたちで、そしてストーリーはスピリチュアル、すなわち「ゴスペル」の話へと移っていきます。キリスト教信者でなくとも、上のような、当時の黒人教会の映像を初めてみたら衝撃を受けますよね。エンターテインメントと宗教の崇高な融合とでもいいますか (なんていったら失礼か)。


[The Dixie Hummingbirds]

この ディキシー・ハミングバーズ (The Dixie Hummingbirds) のライブ映像、素晴らしすぎますね。いつの映像なのか特定はできませんでしたが、1966年ニューポート・フォーク・フェスティバル出演時にもこの曲「I’ve Got So Much To Shout About」を歌ったようです (未聴ですが音源は CD化 されています)。今回の映像は、もっと前のものじゃないかと思います (1950年代とか) が、実際のところどうなんでしょうね? どなたかご存知の方いらっしゃいましたら、ご教授下さいませ。




カットシーンその1 (少しだけ)

[The Highway Q.C.'s feat. Sam Cooke]

NHK版13分15秒あたり (BBC版10分05秒あたり)、ナレーション「クックは10代の時、The Highway Q.C.’s というグループに入り、シカゴのサウスサイド地区の教会で歌いました」のあと、30秒ほどカットされています。ステイプル・シンガーズ (Staple Singers) の メイヴィス・ステイプルス (Mavis Staples) のインタビューです。

メイヴィス・ステイプルス:
サムのグループ、私の兄のグループ、全部で3グループでバプテスト教会に行くわけ。礼拝が終わると、牧師が私たちをステージに呼び、そして子供たちや、ポテトチップスをかじりながら座っている観客たちを前に、ゴスペルを歌いまくる。観客たちも一緒に歌いまくってた。みんないい歌の練習になってたと思うわよ(笑)。




Have You Got Good Religion

[R.H. Harris and The Gospel Paraders]

そしてサムのアイドルであった、伝説のゴスペルシンガー R.H. ハリス (Robert H. Harris) の歌唱シーン。贅沢にも「Have You Got Good Religion」と「You Must Be Born Again」、2曲も映像が流れます。もう鳥肌ものですね、これは。個人的には第2回の白眉でした。サムの歌唱スタイルの原点がここにあります。

いや、サム・クックのみならず、その後のいわゆるソウル系シンガーの全ての源流と言っても、言い過ぎではないかもしれません。

彼はサムがソウル・スターラーズ (Soul Stirrers) に加入する前のリードヴォーカルで、そもそもソウル・スターラーズ加入は 1938年 (!) とのこと。ゴスペル界に新たなトレンドを巻き起こした革命的なスタイル、ぜひじっくりとご堪能下さいまし。今回使われている映像は、スターラーズ脱退、Christland Singers に続き彼が作ったグループ、ゴスペル・パレーダーズ (R.H. Harris and The Gospel Paraders) によるものです。後述する SAR レコードにも録音を残しており、これらも絶品です。

彼がソウル・スターラーズを脱退するのは1950年のこと (Specialty レーベルと契約しスターラーズが録音した直後)。そのあとポール・フォスター (Paul Foster) という歌手が短期間リードシンガーを務めたのち、サムが迎え入れられたというわけです。


[R.H. Harris and The Gospel Paraders]

しかし、本ドキュメンタリー中、 ピーター・ギュラルニック (Peter Guralnick、サムの伝記本「Dream Boogie: The Triumph of Sam Cooke」の筆者として有名) の語る、ハリス脱退にまつわる噂(?)は、ちょっとショックでしたね。「Dream Boogie」実はわたくし未読なので、さっそく買って読んでみたいと思います。。。




“Jesus Gave Me Water” on a cutting lathe? – no, no

その後、サム加入後のスターラーズが「Jesus Gave Me Water」のレコーディングを行った話になりますが、この時流れる映像 (もちろんスターラーズとは関係ないものですが) をみてワクワクしてしまうのは私だけではないはず。


[78 rpm lacquer ready on the cutting lathe]

要は、レコーダー、ミキサー、アンプ、カッティングレースといった、当時の録音スタジオの光景なのですが、SP 盤や LP がどうやって製造されていたか、ということ自体にとても興味があります。以上余談でした。。。

以前本ブログに「How Vinyl Records Are Made」「What on earth is DEEP GROOVES on vinyl records?」という記事を載せたことがあります。興味のある方はぜひどうぞ。特に前者には、SP 時代、ステレオLP時代のレコード製造工程を解説した、当時の映像へのリンクがあります。




カットシーンその2 (若干)

[Solomon Burke on Interview]

NHK版18分05秒あたり (BBC版15分30秒あたり)、ゴスペル・ハイウェイについて語る、ソロモン・バーク (Solomon Burke) のインタビュー映像の直後、1分30秒ほどカットされています。

このカット部分では、かなり興味深い内容が語られています。

ソウル・スターラーズの「Be with me Jesus」がかかるなか、 ナレーション:
ゴスペル・ハイウェイもショービジネスであった。 アーティスト達は、収入が増えるように、どの町でいつステージに 立つか、慎重にツアースケジュールを組んでいた。

ダニエル・ウルフ (Daniel Wolff、サムの伝記本「Mr. ソウル:サム・クック」の著者):
つまりこういうことです。もしノースカロライナでヒットしたければ、農家がコンバインでの収穫を終えた直後に行けばいい。その時期には、みなお金を持っているから、教会の礼拝でたくさん献金してくれるんです。そして冬にはフロリダ南部にいけばいい。暖かい気候を求めて、お金を持った人が南部に移動してくるのです。そんな感じで、どの時期にはどのエリアにどの順に巡業すればいいのか、緻密に計画されたものが、ゴスペル・ハイウェイというわけです。


[Issac Dickie Freeman on Interview]

続いて The Fairfield Four のメンバー、アイザック・フリーマン (Issac ‘Dickie’ Freeman):
よくミシシッピやアラバマまでツアーに行ったもんだ。8時開始予定だというのに、もう街中の人たちが5時頃からぞろぞろ教会に集まってきてた。荷馬車に乗ってやってくる人たちをよくみたもんだ。




The First Family Of Gospel

[The Staple Singers sings]

ステイプル・シンガーズ (The Staple Singers) の歌唱シーン。非常にオーソドックスなマナーで、素晴らしいです。軽やかな「Great Day」とメイヴィス節が堪能できる「Sit Down Servant」。これも撮影年月日や番組名を特定できませんでした。

ジェームス・ロバーソン (Professor James Roberson) (ゴスペル音楽プロデューサ) による「メンバーが家族であることで、イントネーションや声質が互いに近く、それにより音楽的に美しく、よりタイトなハーモニーになる」といった内容の解説を聞いていると、ジャンルは違えど、やはりタイトで美しいハーモニーを聞かせたビーチ・ボーイズのことを思い出してしまいました。


[The Staple Singers sings]

それにしても、メイヴィスが語る「小柄なのに、なんであんな低い声が出るんだって、みんな私は本当は男だって方に賭けてたのよ!」というエピソードは笑えました。




カットシーンその3 (若干)

NHK版24分45秒あたり (BBC版23分45秒あたり)、「ゴスペル・ハイウェーを巡業したことがあって、二度と戻りたくないという人を知りません。彼らは巡業で十分なお金を稼ぎ、大勢の人と出会い、火遊びだって楽しんだのですから」 というピーター・ギュラルニックのインタビューのあと、1分ほどカットされたシーンがあります。ジェームス・ロバーソン、キャンディ・ステイトンのインタビューです。

ジェームス・ロバーソン:
旦那さんがゴスペルカルテットのメンバーだったとして、そのカルテットが参加する大きな教会の礼拝に集まる信者さんたちの8割が女性。たった4人のメンバーが大勢の女性達の前で歌うわけだよ。そら心配するから奥さんを連れてはいかないよね。

キャンディ・ステイトン:
歌い終わったら、もうあとはなんでもありでクレイジーだった。今から思えばおかしいわよね。酒飲んでへべれけになったり、女性を追っかけまわしたり。けどゴスペルに身を投じてるんだからオッケーなんていうわけよ。ライフスタイルと歌の内容が全然違ってたの。




Gospel versus Secular: “He’s So Wonderful” versus “She’s So Lovable”

サムがついに世俗音楽 (secular music) をリリースするエピソード。ゴスペル歌手がポピュラー音楽を歌うことに反感が大きかった当時、サムは偽名の「デイル・クック」(Dale Cook) としてスペシャルティレーベルからゴスペル曲「(He’s So) Wonderful」の改作「Lovable」をリリースします。


[Lovable by Dale Cook]

サム自身も以前からポピュラー音楽を歌いたいという欲求はあったようですし、彼のゴスペルシンガーとしての才能に目をつけた多くの業界人が彼とポップシンガーとしての契約を結ぼうとしていたようです。例えばアトランティックの ジェリー・ウェクスラー (Jerry Wexler) などもその一人だったようです。

当時スターラーズが所属していたスペシャルティレーベルのゴスペル部門A&R、J.W. アレクサンダー (J.W. Alexander) が、レーベルオーナーのアート・ループ (Art Rupe) に進言したものの乗り気ではなかったところ、同レーベルのアレンジャー・プロデューサで、リトル・リチャードを育て上げたバンプス・ブラックウェル (Bumps Blackwell) が録音を担当すると申し出た、というのが真実のようです。

で、その「Lovable」が録音されたのは1956年12月12日だそうですが、その4ヶ月前、1956年8月、サムは「I’ll Come Running Back To You」を含む非ゴスペル曲3曲を録音していました。もうその頃から、事情が許せばゴスペル以外のポピュラー音楽も作り歌いたいという思いがあったようです。

結局それらの非ゴスペル音源は、1957年、サムとブラックウェルがスペシャルティを離れ、キーンレーベルに移籍したのち、スペシャルティからリリースされたようです(シングル、およびアルバム「Two Sides of Sam Cooke」)。

スターラーズとしてスペシャルティに残したゴスペル系音源は、今ですと3枚組CD「The Complete Specialty Recordings of Sam Cooke」がお勧めです。




カットシーンその4 (少し)

サムと同じく、ゴスペルから転向し成功を収めた ソロモン・バーク (Solomon Burke) も代表曲が2曲「Cry To Me」「Everybody Needs Somebody To Love」がフィーチャーされています。もちろん大名曲、大名唱。

本当に残念なのは、当時の歌っている映像が流れなかったこと。恐らく当時の映像は残ってないんでしょう。。。

この直後、NHK版33分10秒あたり (BBC版33分00秒あたり)、30秒弱ながらカットされているシーンがあります。

ジェームス・ロバーソン:
ソロモン・バークが言ってたそうです。『ゴスペルからポップ音楽に転向するけど、甘ったれて洗練された歌なんか歌うつもりはない。自分をそのまま、あるがままに歌で表現するつもりだ。それでみんなが気に入ってくれたらうれしいし、もし気に入られないんだったら、それでもいい。』

この短いカットシーンのあと映る、別の意味でゴスペル的フィーリングを活かした曲作りで大ヒット「Stand By Me」を共作し歌った、元ドリフターズのリードシンガー ベン・E・キング (Ben E. King) はというと、さすがに口パクながらテレビ番組出演時に歌ったカラー映像が残ってるんですね。




カットシーンその5 (大幅)

NHK版36分55秒あたり (BBC版37分10秒あたり)、その「Stand By Me」カラー映像の直後、9分にも渡ってカットされています。以下詳細。


[Sam sings Cha Cha Cha]

まずは、御大サムの「Everybody Loves To Cha Cha Cha」の口パク映像から! これは1959年3月14日、ディック・クラーク・ショー出演時のものと思われます。ルースな動きのダンスに相当シビれます。

ナレーション:
1960年、多くの層にアピールするサムに目をつけたのが、メジャーレーベルの RCA で、ほどなくサムとレコーディング契約を結んだ。

ここで、主にRCA 時代前半にサムのプロデューサを務めたヒューゴ&ルイジ (Hugo & Luigi) の1人、ルイジ・クリアトーレ (Luigi Creatore) のインタビュー。


[Luigi Creatore on Interview]

ルイジ・クリアトーレ:
サムが『いま曲を作ってる最中なんだ。まだ完成してないけど』といったんだ。『どんな感じの曲なんだ』と聞くと、指を鳴らしながら『フッ! アッ!』(Hohh! Ahh!) って歌いだしたんだ。

ナレーション:
Chain GhangはサムのRCAにおける最初のヒットとなった。 この曲は、高速道路建設作業に従事する黒人の囚人たちにインスピレーションを受けて書かれたもので、彼の楽曲に新たなレベルの繊細さ、緻密さを加えたものとなった。


[Chain Gang]

ダニエル・ウルフ:
この曲でサムは、黒人リスナー達に巧妙に隠されたメッセージを送っているんだ。『僕は自分がどこから来たかちゃんとわかってるし、チェインギャングが何かも知ってる。そしてこうやって歌ってるしね』というメッセージだ。

ピーター・ギュラルニック:
確かに暗く辛い囚人達の生活からインスピレーションを得て作った曲だが、それ自体がこの曲のテーマではない。この曲は一種のドリームソング、夢を歌った曲だよ。

ボビー・ウォマック:
サムはこの曲にいろんな感情、コミットメントを詰め込んだんだよ。

ピーター・ギュラルニック:
この曲には、曲のタイトルに直接結びついてはいない、不思議な感覚の慈悲がある。この曲は、ガウンを着て日々家事をこなす主婦達の歌でもあるんだよ。
そんな風に、枝葉が分かれていくように、いろんな意味が広がっていくんだ。


[Chain Gang]

ナレーション:
Chain Gang は、チャートで2位まで上昇した。それにより RCA は、サムは (ほかのビッグアーティストとは異なり) 自らヒットを作り出せるアーティストであることを知った。

ダニエル・ウルフ:
RCA は、この市場・購買者層についてあまり分かっていなかったが、サムは把握していた。RCA がまだ知らないことをサムは知ってたんだね。だから、ある程度の製作の自由をサムに与えることにした。そして、楽曲が十分に揃ってきた頃には、サムに製作主導権を渡したんだ。


[Sam Cooke at KAGS Music]

ナレーション:
一方、録音スタジオの外でも、サムは音楽業界の事情通であることを示し始めた。サムは自らの音楽出版会社を立ち上げ、1963年までには彼の昔のヒット曲のマスターを買い戻した。また RCA との契約も見直し、RCAでの録音マスターも自らの会社が所有権を持つようにした。

この音楽出版会社というのは、KAGS Music のことで、1958年に設立したとされています。共同設立者はサムの他、件の J.W. アレクサンダー (J.W. Alexander) と、ソウル・スターラーズのメンバーでもあった ロイ・クレイン (Roy Crain) とのことです。このロイから、サムなきあとのソウル・スターラーズがスペシャルティでは厚遇されなくなってきていることなどを聞いていたんだとか。

ピーター・ギュラルニック:
サムは、彼が6歳、7歳の頃から、自分自身の壮大なビジョンをしっかり持っていた。


[Sam Biggest Cooke In Town]

ここで映る興味深い写真。明らかにニューヨークのマンハッタンっぽい大通りの前で両手を広げてポーズを決めるサム、そのままその写真の上の方にカメラが移動し、そこには「Sam’s The Biggest Cooke In Town」と書かれた巨大広告が。カラー写真残ってないのかな〜。

で、これも調べてみましたら、再びビルボード誌の1964年6月27日号に記載がありました。マンハッタンの有名なナイトクラブ「コパカバーナ」で、6月24日から2週間に渡ってコンサートを行うタイミングで、10,000ドル(!)をつぎ込んでブロードウェイ43丁目の角にとりつけられた広告だったようです。その大きさは70フィート (21メートル強) で、重量は1500ポンド (680キログラム) だったとか。


[Billboard, Jul. 27, 1964]
(1964年6月27日号のビルボード誌の記事より)

更にこの広告を設置する前には、「Who’s The Biggest Cook In Town?」というティーザー広告も出していたんだとか。それで「Sam’s The Biggest Cooke In Town」とくるわけで。シャレてますね〜。

すみません、少し脱線してしまいました。再びカット部分の詳細に戻ります。

ピター・ギュラルニック:
彼が初めて自宅を購入する際、黒人地域の家ではなく、ロサンゼルスの白人富裕層地域の家を買った。もちろん回りには黒人なんて一人も住んでなかったし、彼にそうするように勧めた人がいたわけでもなかった。彼は何事にも束縛されず、自分の思う通りにそうしたんだ。『俺はサム・クックだ。ここまで出世したんだ』ってね。

音楽出版会社の話に続いて、1959年に設立された SAR レーベル のエピソード。


[SAR Records, Inc.]

ナレーション:
サムの更なるビジネスへの野望から、彼自身が完全にコントロール権を持つレコードレーベル、SAR が立ち上げられた。

ジェームス・ロバーソン:
彼が自らのレーベルを立ち上げたのは、もちろん金銭的なコントロールが欲しかったからだろうけど、それ以上に、音楽製作面でのコントロールも自分の手でしたかったからだと思う。
事実、彼がSARで契約したアーティストを見れば、もちろん昔ながらのゴスペルカルテットも多いが、同時にウォーマック兄弟や、ジョニー・テイラーといったミュージシャンとも契約している。


[The SAR Records Story]

ゴスペル系では、古巣ソウル・スターラーズ (ジョニー・テイラー在籍時、およびジミー・アウトラー在籍時)、そして師と仰ぐ R.H. ハリスのゴスペル・パレーダーズ、ウォマック・ブラザーズといったあたり、R&B やソウル系ではメル・カーター、ヴァレンティノズ、ジョニー・テイラー、ビリー・プレストンあたりが主なメンツですが、確かにどれを聴いてもサムが積極的にプロデュースをしていた空気が感じられます。当時ヒットしたのはごく一部の曲に留まったようですが。。。

1995年にリリースされた当時、速攻で購入し感激して聴きまくった懐かしの 2枚組CDセット「Sam Cooke’s SAR Records Story」で、この辺りの音源も容易に聴けるようになりました。

サム、ジョニー・テイラーの後釜としてスターラーズに加入した ジミー・アウトラー (Jimmy Outler)。この人の歌すごいです。この人がリードをとるスターラーズの「Amazing Grace」、凄いことになってます。サム自身の「You Send Me」ギター弾き語りデモバージョンなんてのも収録されてますので、未聴の方は是非どうぞ。


閑話休題。再びカット補足に戻ります。ここで ジョニー・テイラー (Johnnie Taylor) の悶絶歌唱シーン! 「Rome (Wasn’t Built In A Day)」を歌ってますが (口パクではありません)、後半部分の崩し方なんぞ、かなりカッチョエーです。映像は1962年当時のものではなく、1960年代後半あたりのTV出演ではないかと思います (年月日や出演番組名が分かる方いらっしゃいますでしょうか?)。 この映像は、1966年に放送された「The!!!! Beat」というテレビ番組からのものと思われます。そうだとすると、番組第13回放送分からの映像ということになります。


[Johnnie Taylor sings]

ナレーション:
ジョニー・テイラーは、サム脱退後のソウル・スターラーズに加入したメンバーで、彼もサム同様クロスオーバーヒットを望んでいたため、SARレーベルとソロアーティストとして契約した。

L.C. クック:
サムは彼 (ジョニー) にどうすればうまくいくか、いろいろ教えてやった。サムは既にそのやり方で成功してたからね。

ナレーション:
サムはプロデューサ、作曲家としてはとても現地主義だった。(彼がレコーディングにも積極的に関与することで) SAR のリリースしたどの音楽にも、サムらしさが出ていた。

ボビー・ウォマック:
どのミュージシャン、どのシンガーも、基本的にどこかサム的なフィーリングを 持っていた。常にサムがトップにいて、どの曲にも必ずサムを感じられる何かが入ってい た。

ナレーション:
ジョニー・テイラーは、他の多くのSARレーベルのアーティスト同様、当時は大きな成功を収めることはなかった。しかしサムはついに当時の大ヒットを生み出すこととなる。彼とともにゴスペル・ハイウェイをツアーしていた頃からの子分的存在、ウォマック・ブラザーズがSARと契約する際、グループ名をヴァレンティノズと変えた。そしてサムは彼らに『ヒット曲を書け』と指導したのである。

実際には、SAR と契約した当初は、ウォマック・ブラザーズ名義でゴスペルをシングル2枚分録音しています。直後、メンバーのうち父親が抜けたタイミングで、ヴァレンティノズと改名して非ゴスペル音楽(=R&B、ソウル系)を吹き込み出したということのようです。


[The Womack Brothers]

ボビー・ウォマック:
サムがこう言ったのをよく覚えている。『もっとクロスオーバーにアピールする曲を作らないとだめだ』ってね。クロスオーバー、つまり、白人層にも魅力のある曲にしなければ、ってことだ。彼らに聞いてもらわねば、って、できたのがこの曲さ。

例のしゃがれ声で、ギター弾き語りで「It’s All Over Now」を歌うボビー・ウォマックさん。このままヴァレンティノズの「It’s All Over Now」へと音源はつながります。

ナレーション:
ヴァレンティノズはこの曲を1964年6月にリリースした。ほどなくラジオ局でヘビーローテーションとなり、SARの人間はみなこの曲の持つポテンシャルに気づいた。皮肉なことに、同じことを考えたイギリスのバンドが、この曲をカバーしリリースした。ローリング・ストーンズである。

この時映像で、ちらっと1964年7月4日付のビルボード Hot 100 が写ります。ちょうどビルボードが R&B チャートを廃止していた時期にあたりますね (1963年11月~1965年1月まで)。ともあれ、ヴァレンティノズの「It’s All Over」は94位にランクインされてます。ちなみにこの時の1位はビーチ・ボーイズの「I Get Around」。

ここからしばらくウォマックの恨み節(?)が始まります(笑)

ボビー:
俺はサムに言ったんだ。『奴等に録音されるのはやだ』ってね。当時はほんとうにいやだった。けれどもサムは自らの音楽出版会社を持っていた。で、俺にこういったんだ。『今は分からなくても、これでよかったんだ、って分かる日がじきにくるさ。』ってな。


[Rolling Stones sings It's All Over Now]

ボビー:
で、やつらのバージョンがギアチェンジでもしたかのようにものすごい勢いでチャートをあがっていくわけよ。

ナレーション:
ストーンズの同曲は世界中で大ヒットとなった。一方ヴァレンティノズのオリジナルバージョンは、USポップチャートからあっという間に消えた。

ボビー:
もう焦ったね。もうムカついたね。奴等が俺たちの曲を奪いやがったチクショー!! って。
けれども、最初に小切手を受け取った時、、、全てが変わったね。

ややあって、にやつきながら「It’s All Over Now」のフシで歌い始めるボビー氏。

♫ 〜 昔は嫌いやったけど〜、今は好きやデ 〜 ♫』 (But I used to hate ’em, but I love ’em now)

よかったですね、印税のおかげで一気に潤って (笑)

ところで、当時のヴァレンティノズですが、1962年リリースの「Looking For A Love」も相当ヒットし、R&Bチャートの8位までいったそうです。ただし作曲者は J.W. Alexander = Zelda Samuels。なのでウォマックとしてはそんなに潤わなかったということなんでしょう。この曲はのちにウォマック自身が1974年にセルフカバーし、R&B チャート1位にしたこともありましたね。

以上、大幅カットシーンでした。このあとサムの「Cupid」がかかる中、室内でしっとりとダンスをする白人カップル達の映像へと繋がります。

ボブ・ディランの「Blowin’ In The Wind」にインスピレーションを受けて作られた、彼なりのメッセージソング「A Change Is Gonna Come」(1964年1月30日録音) のエピソード部分は、カットされずに無傷で残って一安心でした。サムの「風に吹かれて」歌唱シーンも良かったですね。




カットシーンその6 (ほんの少し)

NHK版44分50秒あたり (BBC版54分05秒あたり)、サムが凶弾に倒れたエピソード中、弟の L.C. クックが目を潤ませながら「彼はボディガードをつけなかった」と語るシーン。インタビューの後半部分が10秒ほどカットされています。

L.C. クック:
『誰も僕にかまわないし、僕も誰もかまわない。誰もボディガードなんかつけてないから、僕もつけないんだ。みんな僕のこと好きなの?嫌いなの? (好きに決まってるだろ、だからつけなくっても大丈夫だよ) 』。。。そんな風に言ってたんだ。。。




( . . . 第3回補足に続く . . . のですが、ちょっと忙しいので時間あいちゃいます、すんません . . . )




References / 参考資料:

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