Granz’ Jazz to Shift To Clef Label Aug. 1

ずっと前から、調べよう調べようと思って忘れていたのですが、先日、別の調べ物をしているときに発見しました。1948年頃から Mercury とディストリビュート契約をしていたノーマン・グランツ音源が、グランツ本人の Clef レーベルに切り替わった時期。過去に調査した際に、1953年であることまでは特定できていたのですが、より詳しい切り替わり時期を調べようと思っていたのです。

The other day I happend to find the very article that identifies the period when Norman Granz stopped distribution contract with Mercury label and started his own Clef label – I found this while I was looking for info on other research topics… I knew it was in 1953 after my past research, but I wanted to identify more precise period of when the Mercury-Clef transition was conducted.

(the rest part of this article is available only in Japanese…)


1953年7月11日号の The Billboard 誌、14ページにこじんまりと掲載されたこの記事で、グランツ監修のジャズ音源は1953年8月1日をもって Mercury レーベルからのリリースをやめ、Clef レーベルからリリースされる、というニュースが紹介されています。


本記事を要約するとこんな感じです。


  • 「Mercury レーベルのジャズ部門を担ってきた Norman Granz が、自身監修の旧録音、および今後の新録音を、新たにたちあげる Mercury のジャズ専門傍系レーベル Clef からリリースすることで Mercury の社長 Irving Green 氏と合意を交わした。」
  • 「Clef Records のレコードは Mercury の販売網を通じて全国販売される。」
  • 「Granz 監修のもと Mercury で録音を行ってきたミュージシャンの契約は今後 Clef Records にスムーズに移行される。」
  • 「この契約により、Mercury は今後、Granz 抜きでジャズ録音を行うことが可能になり、その担当には現在 R&B 系を担当している Bob Shad があたる。」
  • 「すでに製造されている Granz 音源の Mercury ジャズレコードは、在庫がなくなるまで販売され、その在庫がはけると予測される8月1日からは Clef レーベルから引き続きリリースされる。」

つまり、現在でも中古市場でよく見かける例、例えば Mercury レーベルのジャケットの上に Clef Records のステッカーが加貼された盤、は、1953年8月1日以降、在庫がなくなり新たに Clef Records のもとで製造した盤が出回るまでの間に流通していたことになります。


Clef sticker on Mercury


この記事で興味深いのは、Clef が依然 Mercury の傍系レーベル扱いという書かれ方をしている点です。この記事の担当記者のミス、という可能性もありますが、もしかしたら(あくまで個人的な推測ですが)Clef レーベルとして独立した直後は、この記事で書かれていたように、あくまで Mercury のジャズ専門傍系レーベルという扱いで、流通ネットワークも(全米に販売ネットワークを持ちメジャーレーベルである) Mercury Records のものを利用していたものの、Mercury から独立してほどなく、Granz がさらに1954年2月に Norgran レーベルを立ち上げる頃には、Mercury との関係を完全に解消し、完全な独立レーベルとしての道をスタートさせた、という可能性もあります。この辺りは引き続き調査が必要です。




Norman Granz' Jazz On Mercury Records 1st Edition, p.2

(from “Norman Granz’ Jazz on Mercury Records” brochure, 1st edition, 1952)

なお、「Clef」という名称は、Mercury からディストリビュートされていた時代(1948年〜1953年7月)にもすでに存在し、当時 Jazz At The Philharmonic Inc. 名義で配布されていたカタログにも「Clef Series」というシリーズ名が現れています。ちなみにその Clef Series というシリーズ名は、10インチLPの MG C-100 番台、MG C-500 番台、そして12インチLPの MG C-600 番台、Fred Astaire の4枚組アルバム MG C-1000 番台を指す名称で、カタログ番号の「C」が「Clef」を意味する、ということになります。上に載せたのは、1952年春に配布された「Norman Granz’ Jazz on Mercury Records, 1st Edition」というカタログパンフレットからのものです。




もうひとつ興味深いのが、Granz と契約していた期間は、Mercury レーベルでのジャズ録音は、すべて Granz 監修のものに限られていた、1953年8月以降は Mercury 自体が独自でジャズ録音を行いリリースしても良くなった、という記載です。

確かにそういわれると、1948年頃から1953年頃にかけては、Granz 関連の録音を除くと、純粋なジャズの録音は Mercury にはほとんどありません。Dinah Washington はまだ R&B 系の扱いでしたし、Patti Page もジャズシンガーというよりはポピュラーシンガーでしょう。Ben Webster の1952年録音(Bob Shad プロデュース)も、ジャズではなく Johnny Otis 絡みの R&B 録音です(しかし、ジャズファンは軽視するかも知れませんが、この録音は素晴らしく良い出来です。未聴のかたは是非お試しあれ)。Paul Quinichette の1951年〜1953年の一連の録音(これも Bob Shad プロデュース)も、当時は R&B 系という扱いだったのでしょう。

Mercury でジャズの録音が最も盛んになるのは、この記事にも書かれている通り、R&B 系プロデュースを行っていた Bob Shad が本格的にジャズ録音の充実に着手し、1954年3月にジャズ専門の傍系レーベル EmArcy をスタートさせてから、ということになります。つまり、EmArcy (Em Ar Cy = M R C = Mercury Record Corporation)スタートの背景には、1953年8月をもって、Granz 関連のジャズ録音の権利がすべてなくなってしまった Mercury が、ジャズ系のリリースを充実させる必要があった、という事情があったわけです。このあたりについては、また改めて詳しく書く予定にしています。




The Billboard Aug. 7, 1948 - page 36

(from “The Billboard” August 7, 1948 issue, page 36)

ついでに、Granz が Mercury とディストリビュート契約を結んだのは、Billboard 誌1948年8月7日号の記事によると、1948年7月最終週とのことです。いちばん最初に Mercury からリリースされたのは JATP Vol.6〜8 のSPアルバム3種など数枚だったようです。興味深い点としては、これらのアルバムは「previously distributed on Granz’s short-lived Clef label」と書かれています。つまり、Asch/Disc/Stinton などとディストリビュート契約を結んでいた Granz が、いちどは Clef レーベルをたちあげ、自前でリリースをしようとしたが、早々に断念、Mercury とディストリビュート契約を結んだ(そしてのちに1953年満を持して Clef として再独立した)ということになります。

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