Revisiting “Tijuana Moods”: セッションテープに残された声と継ぎ目

Front cover of the 2001 Bluebird First Editions two-CD reissue of Charles Mingus's Tijuana Moods (Bluebird 09026-63840-2), reusing the 1962 RCA Victor LP artwork

2001 年の 2CD Tijuana Moods(Bluebird 09026-63840-2、Ben Young 監修)。未発表のセッションフラグメントを多数収録した盤で、この記事が主に聴き直すのもこの 2CD です。

Charles Mingus の Tijuana Moods (RCA Victor LSP-2533) およびボーナストラック入りの 2CD (Bluebird 09026-63840-2) について当ブログで記事を書いたのは2006年、いまから20年前のことです。あのとき私は、2001年のBluebird 2CDリイシューを「隅々まで聴けば聴くほど、謎が解明されると同時に、更なる謎は深まるばかり」と書きました。その後もこのアルバムを聴き続け、文献にあたり、そして最近になって、この2CDをあらためて隅々まで、それも波形とスペクトログラムまで含めて聴き直す機会がありました。分かったこと、訂正すべきこと、新たに浮かんだ問いを、20年ぶりの続編としてまとめておきます。

なお、同じMingusのテープ編集手法「アイランドホッピング」を扱った姉妹記事として、Charles Mingus “Pre-Bird” と、テープの「切れ端」に残された声を同時に公開しています。あちらは1960年のMercuryセッション、こちらは1957年のRCA Victorセッションの話です。あわせて読んでいただくと、Mingusが録音スタジオをどう使っていたかが立体的に見えてくると思います。

セッションはなぜ実現したか (Thad Jones をめぐる訴訟)

2006年の記事で私は、Down Beat誌の報道として「Mingusの Debut レーベルがRCA Victorを相手に訴訟を起こそうとしていた」件に触れました。当時参照できたのはそこまででしたが、いまは経緯がもう少し具体的に分かっています。

Down Beat 1957年9月5日号 p.11 の “Sad Thad” と題された記事によれば、Debut と専属契約下にあったトランペッターの Thad Jones が、“Bart Valve” という変名で RCA のレコーディングに参加し、これに対して Debut が $20,000 の損害賠償訴訟を提起しました (Jones 自身も被告に含まれ、RCA は一般否認で応訴)。

訴訟の対象となった録音は、Al Cohn の The Jazz Workshop (Four Brass, One Tenor) (RCA Victor LPM-1161、1955年) です。1955年5月9日・14日・16日に New York の Webster Hall で録音されたもので (マトリクス F2JB3730〜F2JB3741)、クレジットには Thad Jones が “Bart Valve” 名義で記載されています。

原告の Debut Records は、Mingus が Max Roach と共同で立ち上げた独立レーベルです。Gabbard の評伝によれば、設立の元手は、Mingus が組合に申し立てて得た $500 と、当時の妻 Celia が調達した数百ドルでした。実務を担ったのは主に Celia で、Gabbard は、数年間の Debut をほとんど一人で支えたのは Celia だったと書いています。そしてこの1957年、Mingus と Roach は、膨らむ負債を抱えて Debut をたたんでいます。

その Krin Gabbard の Mingus 評伝 (2016) は、Tijuana Moods のセッションについてこう書いています。

In 1957 Mingus was still relatively obscure, but he had landed a session with RCA, one of the most important labels in the music world, to settle a lawsuit he had brought after the company recorded Thad Jones when he was on exclusive contract with Debut.

(1957年の時点でMingusはまだ比較的無名だったが、音楽界で最も重要なレーベルのひとつであるRCAとのセッションを手にしていた。Debutと専属契約下にあったThad Jonesを同社が録音したことを受けて自ら起こした訴訟を、和解するためである。)

Krin Gabbard, Better Git It in Your Soul: An Interpretive Biography of Charles Mingus, University of California Press, 2016, p.71

つまり Tijuana Moods のセッション自体が、この裁判の和解として実現したというのです。2006年の記事では「リリース遅延の理由ではないだろう」という文脈でしか触れられなかった訴訟が、Gabbard の評伝では、セッションの成立事情そのものとして扱われています。

ただし、Gabbard の書き方には一次史料と合わない点もあります。Down Beat の記事で原告となっているのは、Mingus 個人ではなく Debut です。また、関係する年代を並べると次のようになります。

  • 1955年5月:訴訟の対象となった録音 (LPM-1161)
  • 1957年7月18日 / 8月6日Tijuana Moods の2回のセッション
  • 1957年9月5日号:Down Beat が訴訟を報道。RCA は一般否認で応訴

録音から報道まで2年3か月。この間のどこで提訴されたのかは、Down Beat の記事にも Gabbard の評伝にも書かれていません。セッションの翌月にあたる報道の時点で、RCA は一般否認、つまり争う構えを見せています。当時まだ知名度の低かった Mingus が、RCA Victor というメジャー中のメジャーで録音する機会を得た背景にこの係争があった、というのが Gabbard の読みです。提訴からセッションに至る経緯を確定する材料はありません。

付け加えておきたい点が2つあります。第一に、Gabbard のこの段落には注が付いていません。前後の注が典拠を挙げているのは盤の書誌、Mingus 自身のライナーノーツ、Clarence Shaw の逸話であって、訴訟とセッションを結ぶ話そのものの出典は示されていないのです。第二に、2001年盤ブックレットに解説を寄せた Brian Priestley (Mingus: A Critical Biography, 1982 の著者) は、RCA の膨大な社内ファイルを調べた上で、“Victor’s voluminous files have not yielded confirmation of this” (Victor の膨大なファイルからは、この件の裏付けは得られていない) と記しています。セッションを和解の産物とする側は典拠を示さず、これを疑う側は社内文書に当たっている。史料の重みとして、この非対称は頭に置いておく価値があると思います。

リリースはなぜ5年遅れたか

セッションは1957年の7月と8月。ところが、このアルバムが世に出たのは1962年の夏です。録音から5年。この間に何があったのか。

まず、当座リリースされなかった事情には、レーベルの都合という具体的な説明があります。発売直後の New York Times (1962年7月22日) に載った John S. Wilson の批評 “Mingus’ Best—Off Shelf at Last” によれば、この録音は本体の RCA Victor ではなく、傍系の Vik レーベルのために作られたものでした。

made for the Vik label, which Victor killed shortly after this Mingus session

(Vikレーベルのために作られたが、Victorはこの Mingus セッションの少し後に Vik を畳んでしまった)

John S. Wilson, "Mingus' Best—Off Shelf at Last", The New York Times, July 22, 1962, p.77

Vik のために作られ、受け皿の Vik が消えた。ただし Wilson の説明は、これで終わりません。他の Vik 音源は Victor 本体から発売されているのに、本作は“the past five years”にわたって棚に置かれたままだった。Wilson はその理由を“if Victor had been at all responsive to the jazz market” (Victor がジャズ市場に少しでも応える気があったなら) という言い方で、RCA のジャズへの冷淡さに求めています。これが社外からの見方です。

一方、RCA の中からは別の説明が出ています。発売の3か月前、Billboard 1962年4月28日号 p.6 に、RCA Victor のポピュラー部門A&Rマネージャー George Avakian の署名記事 “George Avakian Views Growing Jazz Market” が載りました。ジャズ市場の成長を論じるこの記事は、“Mingus Released” という小見出しを立てて、数年前に録音された Mingus 盤をリリースする計画 (plans to release) を告知しています。遅延の理由としてそこに書かれているのは、次の一文です。

it was so far ahead of its time that it was deemed unwise to release it commercially until now

(あまりに時代を先取りしていたため、いままで商業的にリリースするのは得策でないと判断されていた)

George Avakian, "George Avakian Views Growing Jazz Market", Billboard Music Week, April 28, 1962, p.6

原文は受動態で、誰が判断したのかは書かれていません。ここは注意が要るところで、Avakian 自身が RCA Victor に着任したのは1960年9月末のことです (Billboard 1960年10月3日号が人事を報じています)。1957年の彼は RCA にいません。つまりこれは、当時の RCA Victor がそう判断していた、と後から来た Avakian が説明している文章です。なお、この記事は Vik にも訴訟にも触れていません。

同時代の説明は、この二つです。社内の当事者は「時代を先取りしすぎているという判断があった」と書き、社外の批評家は「Vik が消え、その後はジャズに冷淡な RCA が放置した」と書く。互いに食い違っていて、どちらが実情に近いのかを判定する材料を私は持っていません。ただ、訴訟に触れないという点では両者は一致しています。前節の Down Beat も、訴訟の存在は伝えていますが、それをリリースと結びつけてはいません。訴訟が遅延にどう関わったのか、あるいは関わらなかったのかは、同時代の記録からは読み取れない、というのが現時点で言えることです。

Cash Box magazine, June 23, 1962, page 32: a capsule review of Charles Mingus's Tijuana Moods (RCA Victor LPM 2533), reproduced with the album jacket

Cash Box 1962年6月23日号 p.32「Cash Box Album Reviews」。録音を“cut six years ago”としているのは誤りで、セッションは1957年7月・8月、この号の時点ではまだ5年に達していない。

後年、この空白に正面から答えようとしたのが、先ほども名前を出した Brian Priestley です。2001年盤ブックレットに寄せた解説で Priestley は、RCA の社内文書を調べた上で、遅延の理由をこう明言しています。

not because of any litigation but because the Vik label itself was quickly phased out

(いかなる訴訟のためでもなく、Vikレーベルそのものが早々に整理されたためである)

Brian Priestley, Tijuana Moods (Bluebird 09026-63840-2, 2001) ブックレット解説 pp.10-11

Wilson の第一の理由を、社内文書の側から支持した形です。もっとも、Wilson が指摘したもうひとつの問い (他の Vik 音源は移管されたのに、なぜ本作だけ5年か) まで解けているわけではありません。

背景をひとつ付け加えておくと、RCA は1960年の秋、ポップとジャズのアルバム部門を競争力ある水準まで育てるという方針のもとで Avakian を招いています (前掲 Billboard 1960年10月3日号)。1962年のリリースがこの方針転換の延長線上にあった、と読みたくなる符合ですが、この人事記事は Mingus にも Tijuana Moods にも触れておらず、時期が整合するという以上のことは言えません。確かなのは、録音から5年後の1962年4月にリリース計画が告知され、7月に発売へ至った、という経過です。

ティファナ体験

アルバムのインスピレーション源については、Mingus 自身の一次証言が残っています。1972年に John F. Goodman に語った回想 (Mingus Speaks, 2013, pp.266-270) によれば、Mingus は Dannie Richmond と二人だけで、California からリムジンを仕立てて Tijuana に出かけています。資金は保険金でした。Goodman はこの回想を「Mingus のティファナにまつわる有名な話 (あるいは一連の話)」として導入しており、内容はかなり赤裸々です。

Gabbard も次のように書いています。

The experience inspired Tijuana Moods, recorded for RCA Victor a few weeks later in July 1957

(この体験が、数週間後の1957年7月に RCA Victor で録音される Tijuana Moods のインスピレーションとなった)

Gabbard, 前掲書, p.216

バンドの中で Mingus がティファナ行きに誘ったのは Richmond ただ一人だった、とも Gabbard は記しています。二人旅の体験が、あの「ティファナ気分」の直接の源泉になったわけです。アルバムを聴きながらこの成立過程を思うと、Dannie Richmond のドラムスがひときわ愛おしく聞こえます。

リイシューの系譜

2006年の記事で扱った2001年の2CDに至るまでに、Tijuana Moods は段階を踏んで再発されてきました。

  • 1962: RCA Victor LSP-2533:オリジナル LP。master takes 5曲のみ
  • 1986: Bluebird 5635-1-RB (2LP) / 5644-2-RB (CD):New Tijuana Moods。master takes 5曲に加えて alternate versions を収録。ただし CD 版は収録時間の制約から Ysabel’s Table Dance (Alternate Take) (12:57) が省かれ、2LP の10曲に対して CD は9曲収録
  • 2000: RCA Victor Gold Series 74321749992 (2CD):Tijuana Moods (The Complete Edition)。BMG France 制作。CD 1 に master takes、CD 2 に alternate takes を全曲収録。スプライス箇所の index は打たれていない
  • 2001: Bluebird 09026-63840-2 (2CD):Tijuana Moods (First Editions)。Ben Young 監修。master takes と composite partial alternate takes に加え、未発表のセッションフラグメント (breakdown、false start を含む) を収録。CD の index 機能でスプライス箇所を記録した決定版
Charles Mingus Tijuana Moods — original 1962 RCA Victor LP (LSP-2533) at left; three CD reissues at right, top to bottom: New Tijuana Moods (Bluebird, 1986), Tijuana Moods: The Complete Edition (RCA Victor Gold Series, 2000), and Tijuana Moods (Bluebird First Editions, 2001)

1986年の CD で1曲落ちた不完全さが2000年の「完全版」を呼び、さらに2001年の Ben Young 監修盤でセッションの全貌に迫るリイシューへとつながった、という流れです。

見落とされがちですが、2000年盤と2001年盤はまったく別のチームによる制作です。2000年盤は BMG France の Daniel Baugarten がプロデュースし、La Source Mastering の Jean-Pierre Chalbos が24-bitリマスタリングを担当。2001年盤は BMG US で Ben Young が研究・リストアを行い、Michael O. Drexler がマスタリングを担当しています。わずか1年違いで「完全版」を名乗る2CDが2種出たのは、大西洋の両岸で別々に企画が走っていたからでした。

制作クレジットを一覧にしておきます。

1957年 録音セッション
録音プロデューサーBob Rolontz
録音エンジニアBob Simpson
テープ編集監修Charles Mingus
1962年 LP初リリース (RCA Victor LSP-2533 / LPM-2533)
LPリリース監修Brad McCuen
1986年 New Tijuana Moods (Bluebird)
リマスタリング制作Ed Michel
エンジニア / マスタリングRay Hall / Jack Adelman
2000年 Tijuana Moods (The Complete Edition) (RCA Victor Gold Series)
リイシュープロデューサーDaniel Baugarten
マスタリングJean-Pierre Chalbos (La Source, Paris)
2001年 Tijuana Moods (Bluebird First Editions)
リイシュープロデューサーBen Young
マスタリングエンジニアMichael O. Drexler

2トラック・セッションマスター

1986年盤のライナーには、こう書かれています。

This compact disc, digitally remastered from the original 2-track session master tapes, presents the original TIJUANA MOODS (the album Charles Mingus called "the best record I ever made") side by side with, except for "Ysabel’s Table Dance", full-length, alternate versions of each selection.

(本コンパクトディスクは、オリジナルの2トラック・セッションマスターテープからデジタルリマスターされ、オリジナルの TIJUANA MOODS (Charles Mingus が「自分の作った最高のレコード」と呼んだアルバム) を、“Ysabel’s Table Dance” を除く各曲のフルレングスの別ヴァージョンとともに収録するものである。)

New Tijuana Moods (Bluebird 5644-2-RB, 1986) ライナーノーツ

「2-track session master tapes」という記述は重要です。1957年の録音が2トラック (ステレオ) で行われたこと、つまり3トラック以上のマルチトラック録音ではなかったことを意味します。

2006年の記事で私は「3チャンネルマスターからダウンミックスしてモノーラル盤を作ったのでは」という推測を書きましたが、この記述に従うなら、その推測は成り立ちません。マルチトラックに立ち返ってリミックスするという選択肢はそもそも存在せず、どの盤も同じ2トラックのミックスを出発点にしています。盤ごとの音の違いがききとれるとすれば、それはマスタリング段階の処理によるものです。

そしてもうひとつあります。Mingus のアイランドホッピング (スプライシング) は、ミックスダウン後のプロダクションマスター上の編集ではなく、セッションマスターそのものの物理的な切り貼りだったことが、この記述から裏付けられます。ハサミを入れられたのは、演奏がそのまま記録された唯一のテープだったのです。

alternate versions を組んだのは誰か

1986年盤の「alternate versions」は、1957年のセッションで録られた別テイクがそのまま眠っていたもの、ではありません。ライナーに寄せた Ed Michel 本人の文章が、成り立ちを率直に説明しています。

まず、Michel が向き合ったセッションテープの実態です。

The reality of the tapes was something else again. Hardly anything was recorded as a complete take, so arriving at the originally released track involved building up on a base take—or segment of a base take—and adding sections recorded as "patches" or "inserts." And, as noted, there was shortening, elimination of details, some loss of structure and solo in making the original TIJUANA MOODS.

(テープの実態は、それとはまるで別物だった。完全なテイクとして録音されたものはほとんど無く、オリジナルとして発売されたトラックに至るには、ベーステイク、あるいはその一部を土台に、“patches”や“inserts”として録音されたセクションを足して組み上げる必要があった。そして先に触れたとおり、オリジナルの TIJUANA MOODS を作る過程では、短縮や、細部の省略、構成とソロの一部の欠落もあった。)

Ed Michel, New Tijuana Moods (Bluebird 5644-2-RB, 1986) ライナーノーツ pp.6-7

通しで完奏されたテイクがほとんど無い。1957年7月18日と8月6日の2回のセッション (録音プロデューサーは Bob Rolontz、録音エンジニアは Bob Simpson) が残したのは、完成品ではなく素材の山でした。1962年に発売された5曲は、RCA がその素材から組み上げたものです。その仕上がりについて、Michel はこう評しています。

First of all, there’s the question of the edits. Most of them are kind of brute-force, and none of them are particularly subtle, which is to say that your ears certainly tell you that there’s an edit there.

(まず第一に、編集の問題がある。その大半はいわば力ずくで、繊細と呼べるものはひとつもない。つまり、そこに編集があることは耳がはっきり教えてくれる。)

Michel, 前掲ライナーノーツ pp.6-7

“brute-force” (力ずく)。対象は1962年発売の5曲、2001年盤でいえば Disc 1 の Track 1〜5です。ただし Michel は、この発売マスターに手を入れることはせず、1986年盤には原型のまま収めています。

では alternate versions は何か。同じ文章の中で、Michel 自身が書いています。

But there was, gratefully, enough first-rate material for an album of alternate approaches to the same tunes, and this time I promised myself that the edits would be a little more on the seamless side.

(しかしありがたいことに、同じ曲群への別アプローチによるアルバムを1枚作れるだけの第一級の素材が残っていた。今回は、編集をもう少し継ぎ目の目立たない側に寄せようと自分に誓った。)

Michel, 前掲ライナーノーツ pp.6-7

“this time” (今回は)。alternate versions は、発掘された未発表テイクではなく、Michel がエンジニアの Ray Hall とともに1986年7月に断片から full-length へと組み上げた構築物です。2001年盤では Disc 1 の Track 6〜9と Disc 2 の Track 1がこれにあたります。

整理すると、このアルバムの編集には3つの層があることになります。1957年のセッションが残した断片。そこから1957年のうちに Mingus 自身が切り貼りして組み上げた発売マスター (継ぎ目は耳で分かる、と Michel が評したもの)。そして1986年に Michel が同じ断片群から新たに組んだ alternate (継ぎ目を目立たない側に寄せたもの)。2001年盤の2枚を聴くとき、私たちはこの3つの層を行き来しているわけです。マスターテイクと alternate で継ぎ目の様子が違って聞こえるとしたら、それは1957年と1986年、30年近くを隔てた2つの編集現場の違いを聴いていることになります。

2チャンネルステレオの音像から、話者が特定できる

この録音は、楽器ごとに立てたマイクを、コンソールで左・中央・右に振り分けて2チャンネルに落としたものです。この配置は最後まで一貫していて、誰が喋っているかを聞き分けるのに十分でした。

中央中央やや右
トランペット (Clarence Shaw)ベース (Mingus)、ピアノ (Bill Triglia)、ドラムス (Dannie Richmond)ブース (Bob Rolontz)トロンボーン (Jimmy Knepper)、サックス (Shafi Hadi)、Ysabel Morel (castanets, voice)

面白いのはブースの声です。何度も聴き比べた結果、ブースからの声はセンターからわずかに右に定位しており、ど真ん中に定位する Mingus の声と聞き分けられることが分かりました。ブースは別室ですから、この「わずかに右」は部屋の位置ではなく、卓の上で決められた定位です。また Ysabel Morel は右。彼女のカスタネットと、後述する場面での含み笑いが、どちらも右チャンネルから聞こえることで裏づけられました。

演奏が止まってスタジオが騒がしくなっても、声がどこから聞こえるかで話者を追えます。この記事で紹介する会話の話者は、ほぼすべてこの定位を頼りに特定しました。

なお、ライナーはブースの主たる話者を Bob Rolontz (録音プロデューサー) と特定していますが、“principal speaker” (主たる話者) という書き方をしています。実際、聴き込んでいくとブースに別人の声が入る箇所が2箇所あり (34:48付近と49:36付近、いずれも元WAV時刻)、ブースに2人以上いたことが音からも確かめられます。第2の声が録音エンジニアの Bob Simpson なのかどうかは、確認する材料がありません。

セッションテープの中へ

2001年盤の Disc 2 後半 (Track 4〜13) には、“session footage” と呼ぶべき未発表断片群が収録されています。breakdown (途中で崩れたテイク)、false start、そしてテイクとテイクの間に交わされた会話。楽器用のマイクが拾ってしまった小さな声を、音量を上げ、再生速度を落として何度も聴き返し、文字起こしを試みました (方法と限界については記事末尾の補足1を参照してください)。

以下、曲ごとに紹介します。会話の引用はすべて私の聞き取りにもとづくもので、時刻は Disc 2を連結した WAV ファイル上の位置です。

Ysabel’s Table Dance: 「彼女に見とれてたんだ」

Disc 2 Track 4は Ysabel’s Table Dance のセッション断片 (マトリクス H4JB 5226) です。take 2の崩壊後、こんなやりとりが残っています。

"Man, I thought, I was, excuse me, man, I goofed, she was gassing me, man."

(いや、その、ごめん、しくじった。彼女にやられちまってさ。)

"She’s gassing us, too."

(こっちもやられてますよ。)

最初の発言はMingus自身です。リーダー兼ベーシストが自分の演奏ミスを認めて詫び、ブース (Rolontz) が「こっちもやられてます」と返しています。“she”はもちろん、スタジオでテーブルダンスを踊っていた Ysabel Morel のこと。ブースが続けて“Listen, Isabel, you should be—”と言いかけたところでテープが途切れ、再開すると右チャンネルから女性の含み笑いが聞こえます。バンドの総帥がダンスに見とれて弾き間違え、それを本人の前で白状しています。このアルバムの体温がいちばんよく伝わる数秒だと思います。

同じ Track 4の末尾、take 8が崩れた直後には、一転して切迫した声が入っています。

"You’ve got some damn limits!"

(とんでもない制約があるんだな!)

"Are you out of your mind? This is our last chorus!"

(正気か? 最後のコーラスなんだぞ!)

この2発話、話の流れからは口論のように読めますが、何度聴き直しても両方とも Mingus の声です。誰かとのやりとりではなく、Mingus が一人で (おそらくブースに向かって) 抗議しています。“last chorus”と言っている以上、崩れた take 8は曲の最終コーラスまで到達していたことになります。あと少しで完走だったのに止められた、という抗議でしょう。“limits”が何を指すのかは分かりません。演奏を止める側の制約、たとえばスタジオの契約時間やテープ残量と考えるのが自然ですが、確定する材料はありません。

確かなのはこの直後の顛末です。マスターテイクのマトリクスは H4JB 5226-3B/4/5/9。抗議の直後に録られた take 9が、実際にマスターの素材に採用されているのです。抗議が通ったのかどうかは、テープは教えてくれません。

Dizzy Moods: 「キャリアを賭けてもいい」「やめときなよ」

Track 5 (Dizzy Moods、マトリクス H4JB 5225) には、ライナーも紹介している微笑ましい場面があります。テンポについてブースに確認された Mingus が、

"You sure your tempos match your other thing?" — "I’m pretty sure. I’ll stake my career on it."

(「テンポ、前のやつと合ってる?」「たぶんね。キャリアを賭けてもいい」)

と請け合った瞬間、小さく女性の声が入ります。

"Don’t do that."

(やめときなよ。)

ライナーによれば、この女性は Mingus が7月18日のセッションに招いたゲストです。声の定位は左で、右に定位する Ysabel Morel とは別人であることが定位からも裏づけられます。スタジオの隅から飛んできた、この“Don’t do that”の絶妙な間。セッションテープでしか聴けない類のユーモアです。

Tijuana Gift Shop: 難所と、飛んだテイク番号

Track 7は Tijuana Gift Shop (マトリクス H4JB 5230) の breakdown 集です。take 1の直前には、Mingus がトロンボーンの Jimmy Knepper に演奏順を伝えつつ自分の遅れを詫びる声が入っています。

"I’m coming before you, Jimmy." "I’ve been goofing, and I’m waiting on you, sorry."

(ジミー、俺が君の前に入る。ぼんやりしてた、待ってたんだ、ごめん。)

ここで収録されているのは take 1、take 2、take 4。take 3がありません。take 2と take 4は同じ箇所、Clarence Shaw のトランペットソロの途中で同じように崩れており、このアレンジの難所がどこだったかが分かります。take 4の後、Mingus は“Come on, trumpet, solo, rehearsal.”と言ってリハーサルに入り、テープが止まります。次に現れるのはマスターテイクの take 6から編集で抜かれたソロ部分 (Track 8) で、take 5もまた欠けています。テイク番号の欠落については、後で全体をまとめて見ます。

Los Mariachis: 仮題「Street Musicians」と、take 19の苦闘

Track 9〜11は Los Mariachis (マトリクス H4JB 5227) で、session footage の中でいちばん長く、いちばん多くのドラマが残っています。

まず冒頭、曲名がまだ決まっていません。

"Lack of a better title right now." "Although it’s got Calypso in it, so I don’t know what else to call it."

(今のところいい題がなくてね。カリプソも入ってるから、他になんて呼べばいいか分からない。)

"You can just call it Street Musicians."

(単に「Street Musicians」でいいんじゃないですか。)

提案しているのはブースの Bob Rolontz です (この発言はライナーにも採録されています)。実際、この曲の中で Mingus は構成上の区画を「Calypso」と呼び続けており (“Four before the Calypso”など、確認できただけで7回)、仮題をめぐるこの逡巡は曲の設計そのものと地続きです。

この「区画」という捉え方は、後年の研究とも響き合います。ジャズ研究者の Stefano Zenni は、Mingus が性格や速度、和声の異なる複数の区画をひとつの長大なコーラスに束ねる extended chorus という形式を用いており、Los Mariachis はその中でもさらに珍しい、主部に戻りながら挿話を重ねる古典的なロンドとして組織されている、と論じています。ソリストはその全行程を辿らねばならず、ソロの方向が形式に強く規定される、という指摘です。この見立ては、テープに残る“Four before the Calypso”のような区画単位の指示と照応します。

take 2が崩れた後には、こんな場面があります。

"I goofed that one."

(今のはしくじった。)

"No you didn’t, man. It was very good. You’re supposed to hold your note and do just as you did."

(いや、しくじってない。とても良かった。音は伸ばして、今やった通りにやればいい。)

先に謝ったのは Clarence Shaw、慰めているのが Mingus です。「音は伸ばして (hold your note)」と返している以上、相手は管楽器奏者で、左に定位する管楽器は Shaw のトランペットです。Ysabel’s Table Dance では Mingus 自身が“I goofed”と詫びていました。同じ言葉が、今度はサイドマンから出て、リーダーがそれを打ち消します。このセッションの人間関係が垣間見えるやりとりです。

苦闘の中心は take 19でした。1:10:21 (元WAV) でブースが“Take nineteen.”とアナウンスしてから、演奏、中断、再開、中断の繰り返し。カウントインは計4回に及び、途中で Mingus は編成まで絞ります。

"Look, bass and piano. One, two, three, four."

(いいか、ベースとピアノだけだ。ワン、ツー、スリー、フォー。)

take 21の中断では、Mingus の指示の精密さがよく分かります。

"One, so start one bar before the out chorus," "which means you’re starting the C7 chord of his solo." "You knock off one, and then one end of his solo."

(アウトコーラスの1小節前から入れ。つまり彼のソロの C7 のコードから始めることになる。1つ削って、彼のソロの終わりから1つだ。)

入り位置を小節数と和音名の両面から特定しています。「とにかくもう一回」ではなく、どこから、何のコードから、と詰めていきます。Mingus のセッション運営がただの気迫ではなかったことを示す好例です。

そして take 22がまとまったパートを通しきると、場が緩みます。教会では音楽はフェードアウトしない、という Mingus の持論に、言葉遊びがかぶさります。

"No, you don’t fade out in them churches" "You drop out" — "Fall out" — "Pass out"

(教会じゃフェードアウトなんかしない。ドロップアウトするんだ。「フォールアウト」「パスアウト」)

“Fall out”を挟んだのは中央または右の奏者で、直後に笑い声が起きています。数十秒前まで小節単位で詰めていた同じスタジオです。

Track 11の最後では、興味深い声が聴き取れます。ライナーの Track 11のインデックス表は、最終行 (index 10) のテイク番号と説明が空欄のまま印刷されています。ところが CD の index 10の位置のわずか0.57秒後、テープの中でブースが小さな声で言うのです。“Twenty-four.”と。公式ドキュメントの空欄が、テープに残った小声のアナウンスで埋まります。take 24 (H4JB 5227-24) はカウントインの約8秒後にフェードアウトし、そこで Track 11が終わります。

A Colloquial Dream: 編集意図がその場で語られている

逆に「音源の発言をドキュメントが裏付ける」例もあります。Track 13 (A Colloquial Dream、マトリクス H4JB 5229) の take 8の直前、ブースのアナウンスはこうです。

"Take eight, work part, patch for six."

(テイク8、ワークパート、6に継ぐための当て込み。)

“patch for six”。これから録る take 8は take 6に継ぎ足すための素材だ、という編集意図が、録音の現場でその場で言明されています。そして Disc 2 Track 2に収録されたこの曲の合成テイクのマトリクスはH4JB 5229-6/8/10。ブースの言葉どおり、take 8は take 6に接がれてリリースされているのです。アイランドホッピングが「あとから編集でなんとかする」手法ではなく、録音の時点で編集後の完成形が設計されていたことを、これほど直接に示す音声はなかなかありません。

ついでに言うと、ライナーには誤植がひとつあります。personnel欄の「CD 2, TRACKS 2 AND 10-14: add Lonnie Elder, narration; possibly Dunlop, tambourine, additional voices」という注記は、印刷どおりでは成立しません。CD 2に Track 14は存在しない (全13トラック) からです。正しくは“TRACKS 2 AND 12-13”でしょう。根拠は3点。(1) CD 2で A Colloquial Dream は Track 2 / 12 / 13のちょうど3つで、この注記が挙げる追加要員はいずれもこの曲のもの。(2) 録音日が分かれており、Track 9〜11は7月18日、Track 2 / 12 / 13は8月6日。Lonnie Elder は8月6日の参加者なので、7月録音のトラックには該当しません。(3)“additional voices”は演奏参加としての声を指す語で、まさにこの曲は語りと掛け声が音楽の一部として入る曲です。

編集セッションには、Mingus 本人が立ち会っていた

“patch for six”は、編集が録音の現場で設計されていたことを示す音の証拠でした。同じことを、制作側が文章でも証言しています。2001年盤ブックレット pp.6-7に載る Ben Young の解説“A Note on the Contents: Meditation on a Pair of Editing Scissors”です。Priestley の解説 (pp.8-12) と同じブックレットに収められた、別人の文章です。Young は、発売マスターの編集についてこう書いています。

Mingus was present at all the editing sessions with engineer Bob Simpson, dictating the choice of takes and where to cut them.

(Mingusは、エンジニアの Bob Simpson との編集セッションすべてに立ち会い、どのテイクを選び、どこで切るかを指示した。)

Ben Young, "A Note on the Contents: Meditation on a Pair of Editing Scissors", Tijuana Moods (Bluebird 09026-63840-2, 2001) ブックレット pp.6-7

録音の現場で“patch for six”と設計された継ぎ足しは、1957年、Mingus 自身の立ち会いのもと、録音エンジニア Bob Simpson の手で実行されたわけです。ハサミを持ったのは Simpson でも、どこで切るか (where to cut them) を決めていたのは Mingus でした。制作クレジット表の「1957 / テープ編集監修 / Charles Mingus」は、この記述にもとづいています。

では5年後の1962年、発売のときに何が行われたのか。Young はこう続けます。

In 1962, RCA Victor producer Brad McCuen saw to it that Tijuana Moods finally came out. McCuen assembled the pieces for the LP and cleared the final sequence with the composer (Brian Priestley’s notes imply that Mingus’s original sequence might have been different). He discovered that Mingus had made most of the critical edits before the project went into hibernation (see page 11).

(1962年、RCA Victor のプロデューサー Brad McCuen の働きかけで、Tijuana Moods はついに世に出た。McCuen は各ピースを LP のために組み上げ、最終的な曲順を作曲者本人と確認した (Brian Priestley の解説は、Mingus 当初の曲順は違っていたかもしれないことを示唆している)。そして McCuen は、プロジェクトが冬眠に入る前に、Mingus が決定的な編集の大半を既に済ませていたことを知ったのである (11ページ参照)。)

Young, 前掲解説 pp.6-7

ここは言葉の範囲に注意して読みたいところです。Young が書いているのは“most of the critical edits” (決定的な編集の大半)、すべてではありません。そして McCuen の側も“assembled the pieces for the LP” (LP のために各ピースを組み上げた) という作業をしています。1962年の仕事が曲順確認だけだったわけでも、逆に1962年に編集が一から行われたわけでもない。決定的な切り貼りは1957年に Mingus の指示で済んでおり、1962年の McCuen はそれを LP という商品に組み上げ、曲順を本人と詰めた、というのが原文の伝える分担です。

この記事 (と2006年の記事、そして姉妹記事) で使ってきた「アイランドホッピング」という語も、出どころはこの Young の解説です。

Most of the splices on Tijuana Moods are due to a recording process sometimes known (in the industry) as "island-hopping."

(Tijuana Moods のスプライスの大半は、業界で時に「アイランドホッピング」と呼ばれる録音方式によるものである。)

Young, 前掲解説 pp.6-7

Young がこの語を「編集方式」ではなく“a recording process” (録音方式) と呼んでいる点は、“patch for six”の場面とぴったり重なります。切り貼りは録音のあとに始まるのではなく、録音のやり方そのものに織り込まれていた、という理解です。

性格の異なる区画を内部に積み上げるという曲の設計そのものが、この録音方式を要請したのかもしれません。一発の通しで完成形に達するのを狙うより、区画ごとに詰めて後で接ぐほうが、この構成には理にかなっていたとも読めます。

完成版は37箇所で継がれている

2001年盤の見どころは会話だけではありません。Disc 1の完成版5曲には、スプライス (テープの継ぎ目) の位置に CD の index が打たれています。2006年の記事では Ysabel’s Table Dance の14箇所を列挙しましたが、今回 cue データから全曲分を機械的に算出しました。

継ぎ目の数
Dizzy Moods9
Ysabel’s Table Dance14
Tijuana Gift Shop5
Los Mariachis6
Flamingo3

完成版5曲で計37箇所。最短の間隔は Tijuana Gift Shop の2:10.97→2:11.40 (曲頭起点)、わずか0.43秒です。0.43秒のセクションが1つ、独立した「島」として挟み込まれている。20年前に「まさかここまで緻密にフラグメントを構築していたとは!」と書いた驚きは、数字にするとさらに際立ちます。

ここでひとつ、この2CDを聴き込む方のために注意を。Disc 1と Disc 2の session footage とでは、index の意味が違います。完成版と alternate takes では index はスプライス位置、つまり編集の継ぎ目を示しますが、Disc 2の session footage (Track 4〜13) ではindex は別テイクの開始点です。session footage で index が増えるのは「編集したから」ではなく「次のテイクが始まるから」。ここを混同すると、断片群を「切り刻まれた編集の跡」と読み違えることになります。

index 00の扱いも一律ではありません。Disc 1では曲間の gap ですが、Disc 2 Track 4では index 00から01までが73.27秒あり、この区間そのものが BREAKDOWN (H4JB 5226-2) です。CD を曲単位でリッピングする際、index 00から01まで、つまりプリギャップを、直前の曲の最後につけるリッピングソフトは多いですが、この Disc 2のボーナストラック群 (session footage) については、プリギャップをその曲の冒頭につける方が、より正確ということになります。

テープに残っているもの、失われているもの

さて、ここからが今回いちばん書きたかった話です。session footage を波形レベルで全数調査して分かったことを、確実なことから順に書きます。

テイク番号が8箇所で飛んでいる

cue の index とライナーのテイク表記を突き合わせると、音の解釈を一切介さずに読める事実がひとつあります。テイク番号の欠落です。

曲 (マトリクス)欠けているテイク
Dizzy Moods (5225)take 9〜13 (5本)、take 15
Ysabel’s Table Dance (5226)take 4〜6 (3本)
Los Mariachis (5227)take 4、take 11〜14 (4本)
A Colloquial Dream (5229)take 7
Tijuana Gift Shop (5230)take 3、take 5

8箇所、計17テイク。ブースのアナウンスは律儀にテイク番号を数え上げていますから (take 7と言いかけて take 8と言い直す場面すらテープに残っています)、番号が飛んでいるところでは、その番号のテイクがこの CD に収録されていない、ということです。

採用されなかった「合成」が、合成されたままテープに残っている

次に確実なのは、ライナー自身が認めている事実です。2001年盤のトラックリストには COMPOSITE (合成) の表記が6箇所あります。つまり、複数テイクを接いで作られた状態のものが、完成版以外にもテープに残っていました。中でも注目すべきは Disc 2 Track 4 index 1の表記です。

COMPOSITE INCOMPLETE TAKE H4JB 5226-3A/4 (UNEDITED)

2001年盤トラックリスト、Disc 2 Track 4 index 1

3Aと4という2つのテイクの合成でありながら、(UNEDITED)、すなわち2001年の CD 化にあたって追加の編集を加えていない、と明記されています。言い換えれば、3Aと4が接がれた状態は、2001年2CDの製作陣 Ben Young や Michael O. Drexler が作ったのではなく、テープにもともとそう入っていたのです。では、この継ぎ目はいつ、どうやってできたのか。ひとつの筋道はこうです。マスターテイク (H4JB 5226-3B/4/5/9) を組むために3Bや4の使用部分が抜かれ、残った部分どうしが接がれてセッションリールに巻かれていた。1957〜62年の作業では、不要部分を抜くときも、切って、抜いて、接ぎます。テープにすき間は残らず、残るのは継ぎ目だけです。あるいは、あくまで推測ですが、当時3Aと4をつないだものも作られたが、最終的に使われたのは3Bと4の側だった、のかもしれません。真実は闇の中ですが、少なくとも、3Aと4は接がれたまま保管されていたのです。

接合部には、デジタル無音が18箇所ある

そのうえで、session footage 全体 (Disc 2 Track 4以降) を対象に、全サンプルがゼロの区間を機械的に全数検出しました。結果は18箇所。そして18箇所すべてが、トラック境界か index の位置、つまり素材と素材の接合部にあります。テイクの演奏の途中に現れたものは1件もありません。

全サンプルがゼロという状態は、アナログテープの転写からは決して生じません。無信号部でもテープヒスは必ず乗るからです。ゼロが並ぶのはデジタル領域で消音した結果であって、テープの状態そのものではありません。無音がある、イコール、そこでテープが切られていた、という短絡はできないのです。

では、この18箇所の無音から何も言えないのかというと、そうではありません。無音に入る「端の形」を測ると、18件は2つの群にはっきり分かれるのです。

第1群 (9件) は、フェードで無音に入ります。2〜3秒かけて単調にレベルが落ちる。たとえば37:48.158の例では、直前3秒のレベルが−30.9→−34.2→−42.0→−47.7→−56.3→−77.1 dBと推移します。このスタジオの残響は−55〜−65 dBのノイズフロアで止まりますから、−77 dBまで落ちるのは処理を掛けなければ起きません。つまり2001年の制作陣は、session footage であっても、必要なら演奏をフェードで落としている。これは確定して言えます。

第2群 (4件) は、直前までレベルが1 dBも動きません。演奏や会話が普通に続いているところで、いきなり無音になる。極端な例は43:11.690 (Tijuana Gift Shop の take 3が欠けている箇所) で、無音直前の250 msは、その前1秒より逆に8.1 dB大きい。長さも0.290 / 0.500 / 0.509 / 0.564秒と1秒未満に揃っていて、数秒かけて落ちるフェード群とは明らかに別の操作です。

そして、この突然の4件のうち3件で、テイク番号が飛んでいます (take 3、take 4、take 11〜14の各欠落箇所)。4件中3件ですから件数としては少ないのですが、フェード群と欠落の対応がばらばらであるのに対し、突然群はきれいに欠落と重なります。

消されたのは何か (筆者の仮説)

ここから先は推測になります。

フェードは音楽的な処理です。演奏を自然に終わらせたいから掛けるものです。ではフェードを掛けずに、ブツッと消音してあるのは何か。音楽的な意図で消したのではない、ということです。だとすれば消されたのは演奏ではなく、継ぎ目に出る雑音ではないか、と私は考えています。候補は物理的にいくつか挙げられます。スプライシングテープの厚みが再生ヘッドを通過するときのクリック。リーダーテープ (酸化鉄が塗られていないので音は出ませんが、前後の切り替わりにショック音が乗ります)。あるいは、手で扱われる切り口付近の伸びや折れによるドロップアウト。

この読みに立つと、継ぎ目には2種類あったと考えられます。プロダクションマスターを組むための音楽的な編集の継ぎ目は、商品になる場所ですから丁寧に接がれ、痕跡は残りません。一方、抜かれたあとの細切れを巻いて保管するための仮の継ぎ目は、丁寧である必要がなく、リーダーテープで区切られていてもおかしくありません。2001年に消音されたのは後者の雑音だった、という筋書きです。

ただし、これは私の推測であって、客観的に証明することはできません。スプライス自体の痕跡 (クリックの残りなど) を波形から検出する試みは、何も掴めませんでした。消音の範囲はエンジニアが決めるものですから、無音の位置から切断の位置を特定することもできません。位置について確定的に言えるのは、あくまでテイク番号の欠落だけです。そして、この仮説が外れたとしても、前の3つの事実 (テイク番号の欠落、テープに残った合成、無音が2群に分かれること) は動きません。

継ぎ目が聞き取れないほどの手際

ライナーが「接がれている」と明記している箇所を2つ、スペクトログラムで精査しました。Ysabel’s Table Dance の take 3の途中と take 7の間 (29:11付近)、それに前述の3A/4の COMPOSITE 区間 (約5分間) です。結果はどちらも、継ぎ目がまったく見えません。ヒス帯に段差はなく、レベルの階段もクリックもなく、音楽的にも自然につながっています。

確実に継ぎ目があると分かっている場所で、継ぎ目は聞き取れない。ということは、1957年の RCA のエンジニアが、それほどきれいにスプライシング作業をした、ということです。

おわりに: 20年経って

2006年の記事を、私は「謎は深まるばかり」という調子で書きました。なぜ5年もお蔵入りしたのか。なぜ決定版 CD にすら未編集テイクがほとんど収録されていないのか。あの頃の私にとって Tijuana Moods は、緻密に編集された完成品と、その背後にある見えないセッションという、二層の謎でした。

20年経って、前者には入口までの答えが出ました。このアルバムは傍系の Vik レーベルのために作られ、その Vik が畳まれた。訴訟のせいではない。ただ、他の Vik 音源が Victor 本体から発売されたなかで、なぜ本作だけが5年動かなかったのかは、同時代の説明が食い違ったまま残っています。後者は、いまも推測の域を出ません。それでも、テイク番号の欠落という形で「無いものの輪郭」だけは描けるようになりました。

そして何より変わったのは、テープの切れ端に耳を澄ませる手段と根気を持てたことです。切れ端に残った会話を聴き取ってみると、そこにあったのは謎めいた天才の密室作業ではなく、時間に追われ (“You’ve got some damn limits!”)、ダンサーに見とれてしくじり、同じ難所で二度つまずき、仲間を励まし、叱り、和音名で指示を出し、言葉遊びで笑い合う、生身のバンドとリーダーの姿でした。そして録音が終わると、Mingus は編集室に移り、Bob Simpson の隣でテイクの選択とカット位置を指示していた。マスターテープに残る鮮やかなスプライスの数々は、この泥臭い積み重ねの上に成立していたわけです。

Pre-Bird の記事では、1999年 CD の冒頭42秒に残されたテイク4直前の会話を紹介しました。あちらがテープの切れ端1枚だとすれば、Tijuana Moods の2001年盤に収録されたのは切れ端の束です。どちらも、アイランドホッピングという手法がセッションマスターそのものを切り刻んだからこそ、「島」にならなかった部分が会話ごと残った。Mingus の編集術の副産物として、1950年代のジャズのレコーディングセッションの実況が半世紀後に届いたのだと思うと、不思議な気持ちになります。

Mingus が「自分の作った最高のレコード」と呼んだアルバムの、その自負の中身を、演奏から編集まで、私たちはようやく作業工程ごと聴けるようになりました。20年前の驚きは、今回、敬意に変わりました。

補足1: 文字起こしの方法と限界

本文中の会話の文字起こしは、whisper (音声認識) を併用しつつ、音量をブーストしたファイルを作り、再生速度を0.7〜0.5倍に落としてヘッドフォンで何度も聴き返して確認したものです。非常に早口で聞き取りにくいところ、楽器音とかぶっているところもあるため、すべてが正確であるとは言えませんが、私が聞こえた範囲内で、現時点で最も妥当と感じられる形で紹介しました。

補足2: 2トラック・ステレオが残したもの

本セッションの録音は2チャンネルのステレオテープです。複数の楽器用マイクをミキシングコンソールで2chに割り当てて、そのまま録音しています。このことが、半世紀後の聞き取りに2つの恩恵を残しました。

第一に、本文でも触れたとおり、定位から話者を特定できたことです。左から聞こえれば左に振られた奏者、センターやや右ならブース、という判断が実際に成立しました。中央に定位が重なる3人 (Mingus、ピアノの Bill Triglia、ドラムスの Dannie Richmond) は声質で切り分けました (Triglia はカスれ気味、Mingus はやや鼻にかかる)。ちなみに話者を特定できた発話のうち、約6割が Mingus のものでした。セッションの主導権のありかは、発話数にもはっきり現れています。

第二に、同時発話が聞き分けられる場合があったことです。左の奏者の“That’s what I’ve been doing.”に中央の Mingus の声が重なる箇所、Mingus の発言にトランペットの Shaw が左からかぶせて弁明する箇所、右のダミ声と左の Shaw に Mingus の“Keep going.”が重なる3者同時の箇所。モノラルに畳むと団子になるこれらの声が、ステレオの空間の中では別々の位置から聞こえてきます。

2トラックで録られていたからこそ、70年近く経ったいま、「誰が」「何を」言ったかを復元できました。リイシューの系譜の節で確認した「2-track session master tapes」という一行は、ここに繋がってくるのです。

ディスコグラフィ

  • Tijuana Moods (1962, LP):RCA Victor LSP-2533 (stereo) / LPM-2533 (mono)
  • New Tijuana Moods (1986, 2LP/CD):Bluebird 5635-1-RB (2LP) / 5644-2-RB (CD)
  • Tijuana Moods (The Complete Edition) (2000, 2CD):RCA Victor Gold Series 74321749992
  • Tijuana Moods (2001, 2CD, First Editions):Bluebird 09026-63840-2
    • Research and restoration by Ben Young; mastered by Michael O. Drexler
  • Al Cohn The Jazz Workshop (Four Brass, One Tenor) (1955, LP):RCA Victor LPM-1161
    • 訴訟の対象となった録音。1955年5月9日・14日・16日、Webster Hall (NYC)。Thad Jones が“Bart Valve”名義で参加

参考文献

  • “Sad Thad”, Down Beat, September 5, 1957, p.11.
  • “Avakian Move Seen Coup for Victor”, Billboard, October 3, 1960, pp.1-2, 16.
  • George Avakian, “George Avakian Views Growing Jazz Market”, Billboard Music Week, April 28, 1962, p.6.
  • “Cash Box Album Reviews”, Cash Box, June 23, 1962, p.32.
  • John S. Wilson, “Mingus’ Best—Off Shelf at Last”, The New York Times, July 22, 1962, p.77.
  • John F. Goodman, Mingus Speaks, University of California Press, 2013, pp.266-270.
  • Krin Gabbard, Better Git It in Your Soul: An Interpretive Biography of Charles Mingus, University of California Press, 2016, pp.43, 71, 216.
  • Stefano Zenni, “Mingus: Understanding His Album, Tijuana Moods”, Playback with Lewis Porter!, November 16, 2025:Lewis Porter の Substack へのゲスト寄稿.
  • Tom Lord, The Jazz Discography:Al Cohn の項 (C6322.10 / C6326 / C6327).
  • jazzdisco.org, Al Cohn discography:RCA Victor LPM-1161 のセッション詳細.
  • New Tijuana Moods (Bluebird 5644-2-RB, 1986) liner notes.
  • Ben Young, “A Note on the Contents: Meditation on a Pair of Editing Scissors”, Tijuana Moods (Bluebird 09026-63840-2, 2001) ブックレット pp.6-7.
  • Brian Priestley, ブックレット解説, Tijuana Moods (Bluebird 09026-63840-2, 2001) ブックレット pp.8-12.

関連記事

  • Tijuana Moods / Charlie Mingus:当ブログ2006年の記事。本記事はその20年後の続編
  • Charles Mingus “Pre-Bird” と、テープの「切れ端」に残された声:同時公開の姉妹記事。1960年 Mercury セッションのアイランドホッピング
 

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