Google Books 上で The Billboard (米「ビルボード」誌)のバックナンバーが1942年のものからほぼ全て閲覧可能になっています。これにより、レーベル、レコード製造、アーティストの動向など、当時のレコード業界のさまざまな側面の歴史を調査するのが格段に楽になりました。これまでは、図書館のような施設で閲覧したり、目星をつけた号を古本屋やオンラインオークションで購入するしかなかったのですから、コンピュータ上でネットワーク越しに検索しながら目当ての記事を閲覧できるというのは、隔世の感があります。
Almost all back issues of The Billboard magazine (since 1942) is searchable and browsable on Google Books website. This enables us to do very convenient research through the web, on history of record labels, record production, artists and many other topics on record industries in the past. Previously we had to go to libaries to look for specific back issues, or we had to look for and buy them at second hand bookstores or at online auctions.
今回は、マイクログルーヴレコード黎明期の「コロンビア対RCAヴィクター」 「33 1/3 対 45」回転数競争あたりからはじめて、諸説入り乱れて解釈が分かれている「EP」というタームについて、過去の資料を探ってみましょう。Wikipedia 日本語版 では 33 1/3回転7インチ盤である、と書かれている EP盤ですが、それは 誤り で、あくまで45回転7インチ盤の一種である、ということがお分かり頂けるかと思います。
This time I am looking up some back issues, to what the term “EP” originally stood for – the term sometimes has been misunderstood (and there has been various opinions on it). So let’s get started with the old 1948 article on the “Speed Battle” – 33 1/3 v.s. 45, Columbia v.s. RCA Victor.
(the rest part of this article is not available in English yet…)
Contents / 目次
- 2022年12月15日追記:
- JUNE 5, 1948: 33 1/3 RPM WAX WRINKLES
- DECEMBER 4, 1948: RCA VICTOR IS NOT GOING TO PUT OUT 33 1/3
- JANUARY 8, 1949: COLUMBIA’S NEW 7-INCHER
- JANUARY 15, 1949: MERCURY SLATES NEW LP VERSION FOR CLASSICALS
- FEBRUARY 12, 1949: CAP SPRINGS WITH 45 IN APRIL
- FEBRUARY 26, 1949: 3-SPEED PHONO MAD WHIRL
- APRIL 16, 1949: “DOUGHNUT” DISK ALBUMS
- JULY 23, 1949: CAP FIRST MAJOR ON 3 SPEEDS
- FEBRUARY 11, 1950: FACTS ABOUT RECORDS
- APRIL 22, 1950: VICTOR ENTERS 33 FIELD IN FULL STRENGTH
- JULY 15, 1950: DECCA TO GO 45 AUGUST 15
- AUGUST 12, 1950: COLUMBIA TESTS “BETTER” 45
- AUGUST 9, 1952: VICTOR TO DISTRIBUTE EXTENDED PLAY 45’S
- SEPTEMBER 20, 1952: MANUFACTURERS GIRD TO MEET CHALLENGE OF NEW EP LINE
- OCTOBER 25, 1952: EVOLUTION AND EXPANSION: A Review of the RCA Victor Fall-Winter, 1952 Program
- AUGUST 17, 1959: AM-PAR DEBS SEVEN-INCH LP
- MARCH 23, 1960: TRUE ALBUM PROGRAMMING
- AUGUST 8, 1961: 7-INCH 33 1/3 RPM SINGLE STEREO RECORD
- Seeburg Releases 100 COPPS Stereo Singles
- CONCLUSION (?)
2022年12月15日追記:
最近当該記事の参照が再び増えてきましたので、てっとりばやい要約を先に書いておきます。詳しい出典・論拠は、以下の長い記事をご覧ください(笑)
「EP」の本来の意味は「Extended Play」で、初出は1952年、米 RCA Victor がリリースした7インチ45回転盤を指し、それは
- 7インチ45回転シングル盤と形状や回転数は同じ
- シングル盤よりカッティングレベルを下げることで単位当たりの記録密度をあげ、
- かつシングル盤よりもっと内側まで記録することで、
- 片面あたり8分程度記録可能にしたメディア
でした。つまり元々の意味は「7インチシングルの収録時間を拡張した (Extended) 盤」という意味です。
そのオリジナル「Extended Play (EP)」登場には、1948年に米 Columbia が 33 1/3回転の LP(10インチ/12インチ、直後に7インチも)を、1949年に米 RCA Victor が 45回転のシングル(7インチ)を、それぞれ従来の78回転盤に代わる新メディアとしてリリースしたことによる、業界をあげての「Battle of the Speed(回転数競争)」が深く関係していました。
7インチ45回転EP は結局アルバムほど普及することはありませんでしたが、英国や欧州において、「シングル以上アルバム以下」のメディアとして、特に1950年代〜1960年代に多くリリースされました。
一方、米国ではステレオジュークボックスの流れから、7インチ33 1/3回転の「Little LP」が生まれ、ジュークボックス需要に応えました。これが日本ではEPと同じような位置付けの「シングル以上アルバム以下」として「コンパクト盤」という名前で特に1960年代にリリースされました。
こういった歴史的経緯から生まれた「EP」というコトバでしたが、特に1990年代頃の英国オルタナなどでみられたように、12インチ45回転3〜4曲入りなども「EP」と呼ばれたり、シングル以上アルバム以下を表す一般的タームとして「EP」が使われるように変化してきた、と考えられます。
JUNE 5, 1948: 33 1/3 RPM WAX WRINKLES
10インチで片面約3分、12インチで片面約5分という、従来の78回転盤(日本でいわゆるSP盤)にかわるメディアとして、Columbia(コロンビア)が開発したのが 33 1/3 回転の10インチと12インチのマイクログルーヴ盤「Long Playing Records」すなわち LP ですが、これがビルボード誌に登場するのは 1948年6月5日号 です。多くのレーベル、製造メーカーなどが新しいフォーマットとして注目していることが伺えるほか、33 1/3 回転という技術自体は目新しいものではない(すでに1930年代に Victor によっていちど実用化されたことがある)といった記事も掲載されています。
片面に1曲づつを収録した「シングル盤」、それを複数枚束ねてバインダーにセットして「アルバム」として売る、という扱いが一般的になっていた78回転盤でしたが、より細い音溝、33 1/3回転という技術により、片面により多くの楽曲を収録可能になります。また、クラシック音楽のような長尺録音を途切れることなく収録することも可能になるといったメリットがうたわれます。
また従来のSP盤(Regular Records)に比べて材質や製造技術の向上により、飛躍的な音質向上が見込めるというものです。コロンビアはこの新しい33 1/3回転の「Long Playing Microgroove Records」をプッシュ、ただし従来の78回転盤も引き続きリリースすることを名言しています。
DECEMBER 4, 1948: RCA VICTOR IS NOT GOING TO PUT OUT 33 1/3
これに対して RCA Victor(RCA ヴィクター)レコードが同じ年に「1949年4月開始予定」として発表したのが、同じくマイクログルーヴ盤ではあるけれども、 45回転で7インチのレコードです。従来の78回転SP盤と同様、最大で片面5分程度を収録可能で、スピンドル部分には大きな穴をあけ、ジュークボックスやオートチェンジャーとしての利用が考えられた形状となりました。SP盤同様、複数枚をバインダーに収め、アルバムとしてのリリースも考慮に入れています。やはり材質や製造技術の向上から、SP盤に比べ音質向上や取り扱いの便利さなどでメリットがあります。
RCA Victor は対決姿勢を鮮明にし、45回転およびオートチェンジャーのプッシュと、従来の78回転を引き続きリリースを続けることを発表します。1948年12月4日号 にはその対決姿勢がすでに記事として掲載されています。
JANUARY 8, 1949: COLUMBIA’S NEW 7-INCHER
これに対してコロンビアは、7インチ 33 1/3回転 盤の発表も行います。1949年1月8日号 では、まもなく正式にアナウンスされる7インチ盤についての記事が掲載されています。元々の12インチ 33 1/3回転盤(original 33 1/3 microgroove record)は主にクラシックなどで、新たに出す7インチ盤はヒルビリーや黒人音楽(race)、子供向け音楽、クラシックのシングルなどとして使う予定であると書かれています。
つまり、コロンビアは、45回転7インチ盤が有利と思われるポピュラー向けシングルリリースの分野(これが全レコード生産数の大半を占める)も、自社が強力に推進する 33 1/3回転を業界標準にしてしまい、RCA ヴィクターに勝とうとしていたことになります。
そしてコロンビアは、7インチ、10インチ、12インチすべてを33 1/3回転に統一し、3サイズ対応のオートチェンジャーも自社で販売を開始します。対して RCA ヴィクターは、あくまでコンパクトさを売りにし、7インチのオートチェンジャーを強力にプッシュし続けます。
JANUARY 15, 1949: MERCURY SLATES NEW LP VERSION FOR CLASSICALS
二社のバトルを静観していた他レーベルですが、セミメジャー/ビッグマイナーの Mercury(マーキュリー)はまず、クラシック向けのリリースに 33 1/3回転盤 LP の採用を決定したと、1949年1月15日号 に掲載されています。もともとクラシックリリースに精力的だったマーキュリーにとって、この長時間盤の登場は渡りに船だったに違いありません。
また、この記事では、マーキュリーの LP では「Reeves-Fairchild Margin Control」という新技術により、コロンビアのオリジナルLPより更に長時間録音が可能になっている、と書かれています。これは、いまでいうところの 可変ピッチカッティング のことで、当時マーキュリーが全ジャンルで多用していた録音スタジオ、Reeves Sound Studio(リーヴス・サウンド・スタジオ)が Fairchild 社(フェアチャイルド)と共同で開発したもので、当時は手動による可変ピッチングでした。
FEBRUARY 12, 1949: CAP SPRINGS WITH 45 IN APRIL
次に動いたセミメジャー/ビッグマイナーレーベルが、ポピュラーやヒルビリーのリリースをメインとしていた Capitol(キャピトル)です。1949年2月12日号の記事では、数ヶ月に及ぶ検討の結果、45回転盤(slower speed platters)の1949年4月からの採用を決めたこと、全SP盤(standard speed platters)リリースの全てが45回転盤で同時リリースされるわけではなく、プッシュしたいアーティストやジャンルによって同時リリースを行う予定で、市場でより45回転盤の需要が高まれば、同時リリースされる盤も増えて行くであろうこと、などが記されています。
興味深いことに、同じページには、Webster-Chicago 社 が 3スピード対応 のオートチェンジャーを開発するという記事も掲載されています。33 1/3回転と78回転は自動対応で、スピンドルのスペーサーを取り付けアイドラーを手動交換することで45回転に対応するとのことです。
FEBRUARY 26, 1949: 3-SPEED PHONO MAD WHIRL
1949年2月26日号の記事「3-SPEED PHONO MAD WHIRL」では、レコードプレーヤー、オートチェンジャーの製造メーカーが、従来からの78回転盤、および新しい33 1/3回転と45回転にどのように対応していくのか、頭を悩ませ知恵を絞り出している様が描かれています。各プレーヤーメーカーの対応予定、開発予定についても詳しく紹介されています。
1949年中はずっとこんな感じで、Columbia 対 RCA Victor、33 1/3回転10インチ/12インチ盤、対、45回転7インチ盤の競争と、それに振り回される他レーベルやプレーヤーメーカーなどの記事が毎号のようにビルボード誌の紙面を飾ります。
APRIL 16, 1949: “DOUGHNUT” DISK ALBUMS
45回転7インチシングル盤の通称としての「ドーナツ盤」(doughnut disk)という表記が初めて現れるのは、1949年4月16日 の記事「30-Cent Saving Offered by Cap On LP Longhair」です。
この、キャピトル(Capitol)が行っている45回転盤アルバム販促キャンペーンについての記事では、次のように書かれています。
- キャピトルの Telefunken シリーズでは、12インチの78回転シェラック盤は1枚 $1.25 だが、同内容の 7インチ45回転盤は1枚 $0.95 で販売される
- レコードを収納するバインダーアルバム部分の代金も78回転盤は $1.25 であるのに対し、45回転盤では $0.50 と安くなる
- 一例として、6枚組アルバムであるベートーベン交響曲6番エロイカを例にとってみると、78回転盤アルバムの価格は 1.25 x 6 + 1.25 = $8.75 であるのに対し、45回転アルバムの場合 0.95 x 6 + 0.50 = $6.20 と、$2.55 もお得になる
- ポピュラーシリーズの場合、78回転盤も45回転盤も赤レーベルは1枚 $0.60、紫レーベルは1枚 $0.75
- しかし78回転盤のバインダーアルバム部分が $0.85 であるのに対し、45回転盤のアルバム用ボックスは $0.35 となる
- よって、ポピュラーのアルバムの場合、同内容の盤では 45回転盤アルバムの方が $0.50 安くなる
これは、45回転という新フォーマットの販売促進という意味もありますが、それ以上に製造メーカー側にとってもメリットがある、ということを意味していると考えられます。レコードのサイズが小さくなった分、1枚あたりに必要な材料も減りますし、それをたばねるバインダーアルバムのサイズも小さくなります。製造品質と再生音質を向上させながら、コストを削減でき、安く提供できる、という点が、メーカー、購買者両者にとってメリットがある、と考えていたことが伺えます。
JULY 23, 1949: CAP FIRST MAJOR ON 3 SPEEDS
戦前から業界を牽引してきた三大メジャー(RCA ヴィクター、コロンビア、デッカ)と違い、大戦終結前後に誕生して一気にセールスをのばし影響力を強めてきたセミメジャー/ビッグマイナー(代表は1942年設立のキャピトルと、1945年設立のマーキュリー)は、フットワークも軽く、新フォーマットにも柔軟に対応していきます。
まず動いたのが キャピトル です。1949年7月23日号 の「CAP FIRST MAJOR ON 3 SPEEDS」という記事で、すでに45回転盤のリリースを開始していたキャピトルが、Telefunken 音源などクラシック音楽向けに、33 1/3回転LPのリリースを決定したと紹介されています。また同時に、これは45回転盤を見限ったという意味ではなく、音楽ジャンルや市場の要求にあわせて、この3スピード(33 1/3、45、78)を使い分けていくのだ、という立場の表明もなされています。
FEBRUARY 11, 1950: FACTS ABOUT RECORDS
大量のクラシック音楽のリリース(と指揮者)を抱えていた RCA ヴィクターですが、その分野ではコロンビアの33 1/3回転12インチLP にリードを許していました。1950年2月11日号 に、そのヴィクターが全面広告を載せます。
- 「もともと33 1/3回転LP盤(マイクログルーヴではない)はRCAが10年も前から開発していたもので、第二次大戦がなければもっと早く市場に投入されたものである」
- 「33 1/3回転盤と45回転盤に使われているマイクログルーヴ盤自体も、RCAが第二次大戦前に開発していたものである」
- 「市場に流通するレコードのうち、90% がポピュラーレコードであり、片面5分以内に収まるものである」
- 「33 1/3回転盤は、市場の 10% の音楽のためのもの、45回転は全ジャンル向けのもの」
- 「78回転に比べて圧倒的に割れにくく、圧倒的に取り扱いが便利で、収納スペース的にも有利なのが45回転盤である」
- 「近々33 1/3回転盤をリリースする予定はあるが、それは既に市場に出回っているものより高品質になる。我々の水準に達する盤が作られるまでリリースは行わない。リリースのペースも45回転盤よりゆるやかになるであろう」
などなど、いかに45回転盤が優れているか、美麗賛辞が並べられています。
つまるところ「コロンビアの 33 1/3回転盤は、我々の水準には及ばず低クオリティである」ということを回りくどく書いたものといえそうです。
APRIL 22, 1950: VICTOR ENTERS 33 FIELD IN FULL STRENGTH
しかし、たとえ市場の10%とはいえ、クラシック向けのリリースとしては片面20分強の収録が可能な33 1/3回転12インチLPが最も有利なのはやはり明らかだったのか、市場もその方向で受け入れを始めたようで、45回転盤が市場に登場して約一年後、ついにヴィクターが33 1/3回転レコードの製造を開始すると発表しました。この 1950年4月22日号 の「Victor Enters 33 Field In Full Strength」という記事で取り上げられています(recognizes the existence of a large 33 1/3 classical market)。
ただし、ヴィクターとしては、45回転7インチ盤がポピュラー向けシングルのみならずクラシックのリリースにも最適であると依然考えており(still holding to the belief that 45 is the best all-purpose record)、引き続き45回転のリリースも力強く進めて行く(Continues All-Out on 45)、というコメントつきです。
JULY 15, 1950: DECCA TO GO 45 AUGUST 15
当時のアメリカ三大メジャーレーベルのうち、RCA ヴィクター、コロンビアの二社がこうやって主導権争いを行っていたわけですが、当初コロンビア側(33 1/3回転盤)についていた、もう一社のメジャーレーベル、Decca(デッカ)がついに、45回転のリリースも開始する(33 1/3回転も引き続き行う)というアナウンスを出しました。1950年7月15日号 に掲載されています。これにより、三大メジャーのうち二社が 33/45/78 の3スピード対応でリリースを行うことになり、コロンビアの 33 1/3回転7インチ盤の雲行きが怪しくなってきました。
業界としてもこのデッカの決定が、クラシックなど長尺ものは33 1/3回転12インチ(ないし10インチ)で、ポピュラーのシングルなどは45回転7インチで、という棲み分けが定着しはじめる大きな流れを生んだといえるでしょう。
果たして、いままで10インチ78回転盤の主な市場であったポピュラー音楽のシングル盤市場の代替として、45回転7インチの認知が進み、多くのマイナーレーベルも追随します。実際、33回転7インチ盤と45回転7インチ盤の当時の売れ行きには相当の差があったようです
AUGUST 12, 1950: COLUMBIA TESTS “BETTER” 45
1950年4月には、全米での一大キャンペーンの実施 をアナウンスしたりと、33 1/3回転7インチLPの普及に力をいれていたコロンビアでしたが、さすがに7インチのサイズでの45回転の優位性は揺るがなかったようで、順調に出荷枚数やセールスで差をつけられていたようです。
そして上述の通り、三大メジャーの一角を担うデッカの判断(10インチと12インチは33 1/3回転で、7インチは45回転で)がパンチとなって効いたのか、コロンビアもついに45回転のテストを開始します。1950年8月12日号 の記事で、「あくまで実験段階での導入である」「引き続き33 1/3回転の7インチLPは強力に推進し続ける」と掲載されています。
AUGUST 9, 1952: VICTOR TO DISTRIBUTE EXTENDED PLAY 45’S
そして今回の記事の本題、「EP盤」(Extended Play Records)がはじめて紙面に登場するのは、1952年8月9日号 においてです。RCA ヴィクターが新開発した新しいフォーマット、「Extended Play」により、45回転7インチ盤の片面に最大8分を収録、クラシック音楽のアルバムにおいて多大なメリットをもたらす(途切れる回数が少なくなる、アルバム全体の枚数を減らせる、など)と紹介されています。
このEP盤という新フォーマットは、レコードのレーベル面付近の盛り上がり部分を減らし レコードのカッティングを浅くする(カッティングレベルを下げる)ことで GPI(grooves per inch, 1インチあたりの溝数)を増やし、さらに盤の中心までカッティングを行うことで実現した、と書かれています。もちろんそれと同時に、通常のドーナツ盤よりもカッティングレベルを下げることで、記録可能な音溝を増やしたということは容易に想像されます。 EP盤の再生音質が、同内容のLP盤やシングル盤に比べて劣ってしまうのは、このあたりにありそうです。
2022/11/29 追記: 当該記事を引用してくださった jurassic_oyaji さんのブログ記事、および意見交換により、 “The additional playing time on the disks has been made possible by reducing the thickness of the lands (the raised portions of the disks), thereby permitting more grooves per inch” における “reducing the thickness of the lands” が指すのは「レコードの盛り上がり部分を減らす」ではなく、「カッティングされて残った部分の厚みを減らす」、すなわち「カッティングレベルを下げる」という解釈が正しいことが判明しました。これは古典的名著 “The Recording and Reproduction of Sound” (Oliver Read, 1952) 内における “groove” と “land” の定義を参照することでも確認できました。ご指摘感謝致します。
SEPTEMBER 20, 1952: MANUFACTURERS GIRD TO MEET CHALLENGE OF NEW EP LINE
1952年9月20日号 の記事では、RCA ヴィクターが発表したこの EP というフォーマットにより、各メーカーが採用するかしないか検討中であったり、45回転盤アルバムの価格帯を見直す必要に迫られている、と書かれています。
いままで片面3〜5分収録で4枚組アルバムを構成していた場合、このEPを使ってアルバムを作れば2枚組で済み、結果として購買者の負担が減り、より価格的にアピールできる、というのがポイントとなっているようです。
しかし、ご存知の通り、複数枚の EP 盤でアルバムを構成する、という流れがメインストリームにはなりませんでした。当初は、一枚ごとにジャケットを奢られ、LP アルバム全体を2〜3枚の EP としてリリースするという流れになりましたが、徐々に LP の売上げがメインとなり、LPの抜粋盤として1枚のEPがリリースされたり、EP 同時リリースを控えるレーベルが出てきました。
1950年代後半にはすでに、45回転7インチのシングル盤=昔の78回転10インチ盤の代替メディア、33 1/3回転12インチ(または廉価版としての10インチ)盤=LPアルバム、というフォーマットが業界標準となっていました。33 1/3回転の7インチ盤や、45回転7インチEP盤というフォーマットは、その本来の目的を果たせず、市場での旬を終えていたといってよいでしょう。
OCTOBER 25, 1952: EVOLUTION AND EXPANSION: A Review of the RCA Victor Fall-Winter, 1952 Program
1952年10月25日号では、28ページにも渡って長編特集企画(および広告)が掲載され、1952年当時の RCA Victor が、EP を含めてどのような販促キャンペーンを行うのか、解説されています。詳しくは 記事 Pt.2 をご覧ください。
AUGUST 17, 1959: AM-PAR DEBS SEVEN-INCH LP
ところが、1959年8月17日号 で、ABC Paramount(ABC パラマウント)レーベルが、33 1/3回転の7インチLP盤のリリースを開始した、という記事が掲載されます。しかも、数週間前にはコロンビアが既に7インチLP盤のリリースを開始していると書かれています。
これはいったいどういうことでしょうか?
MARCH 23, 1960: TRUE ALBUM PROGRAMMING
なぜ1959年に33 1/3回転7インチ盤が復活したのか、その謎を解く鍵は、1960年3月23日号 に掲載された、この Seeburg(シーバーグ)社の全面広告に隠されています。
7インチで 33 1/3回転、スピンドルはドーナツ盤とは違い、12インチLPと同じ小さな穴。現時点ではステレオ盤のみ。片面に3曲、両面で6曲を収録。いわゆる「Little LP」(リトルLP)、日本でいうところの「コンパクト盤」です。
そして、「Seeburg’s exclusive new ‘Little LP’ records in 33 1/3 stereo give you true album programming for your locations … for the first time ever」という誇らしげな文言と共に、ジュークボックスの写真 が掲載されています。
ジュークボックスでステレオ音源を再生させたい。しかしジュークボックスに12インチLPを採用するのには技術的問題やスペースの問題もあり難しい。そこで 7インチの 33 1/3回転盤を作り、片面3曲収録とし、ジュークボックスでステレオLP的な楽しみを提供する、と。
つまり、1958年に登場した ステレオ レコードを、7インチ盤の世界に持ち込むために、33 1/3回転の盤が再登場した、ということになります。1959年の時点で45回転7インチステレオシングルのリリースは少ないながらも行われていましたが、当時はまだステレオ再生可能なプレーヤーの普及率は低く、ステレオシングル盤の一般購買層による需要はほとんどありませんでした。また、7インチ盤の片面に少しでも多くの曲を収録するには、45回転より33 1/3回転の方が(音質面ではさておき)有利でしょう。
このジュークボックスマシンは、33 1/3回転盤と共に、45回転盤も利用可能とうたわれています。すでに45回転シングル盤用ジュークボックスが市場を席巻していた中、ステレオ音源でより多くの曲を再生可能なコンパクト盤も利用可能な新型ジュークボックスは、こののちアメリカで一定の市場を確保することになります。
1960年代に日本で流通していたコンパクト盤(33 1/3回転7インチステレオ盤)は、当時の物価では12インチLPアルバムの購入がなかなか難しかった購買層向けに、ミニアルバム的な位置づけで売られていましたが、アメリカでは主に新型ジュークボックス向けのフォーマットであったことが伺えます。
AUGUST 8, 1961: 7-INCH 33 1/3 RPM SINGLE STEREO RECORD
翌年のこの広告でも、33 1/3回転7インチ盤が大々的に宣伝されています。今度はシングルです。
7インチで 33 1/3回転、スピンドルはドーナツ盤とは違い、12インチLPと同じ小さな穴。LP アルバムではなく、あくまでシングル。現時点ではステレオ盤のみ、モノーラル盤は近々市場に登場予定。
この広告からも、当時は45回転盤でステレオ、というのはほとんど製造されず、市場でも認知されていなかったことが伺えます。実際、通常の45回転ドーナツ盤シングルの多くがステレオ盤に切り替わるのは1969年頃まで待たなければなりませんでした。
Seeburg Releases 100 COPPS Stereo Singles
1965年11月20日号 の「Seeburg Releases 100 COPPS Stereo Singles」という記事で、45回転7インチステレオシングル盤のリリースがジュークボックス向けに間もなく開始される、と記されています。この時点では、一般市場に販売するものではなく、あくまでジュークボックス用のリリースであるとも書かれています。なお「COPPS」とは、「Coin Operated Phonograph Performance Society」(ジュークボックス協会という感じでしょうか)の略だそうです。
CONCLUSION (?)
ともあれ、本題に戻りますと(笑)、EP 盤 とは本来、45回転7インチ盤 のうち、シングル盤より収録時間が長い(片面8分程度収録)盤のことを指していた、ということがお分かり頂けたかと思います。
そして、1952年、Extended Play (または Extended Playing) として初めて登場した時の EP は、音溝の記録時間(記録範囲)を Extend したもの、というのが、本来の定義 だったということですね。
そして、1948年〜1951年頃の新フォーマット戦争は、当時のアメリカレコード業界全体を巻き込んだ大変に混乱したものだったことを改めて確認できました。
Google ブックスに Billboard 誌が全文収録されているおかげで、このようなちょっとした調査も、以前に比べて格段に簡便に行えるようになりました。いい時代になったものです。
素晴らしい考察です。
extendは曲数ではなく、時間だったんですね。
スッキリしました。
cross さん、恐縮です。
「考察」なんてえらそうなものではないですが(笑)、「EP とは 33 1/3回転7インチ盤である」と Wikipedia に書いてあるのをたまたま発見し、「そんなバカな」と、証拠集めをした結果、という感じです(笑)